• 全学年の集合写真=駒澤大学玉川キャンパスサッカー場で(菅原 菜央撮影)

お別れサッカー開催!4年生の引退コメント掲載

[サッカー部](2020年02月11日 16時03分)

2月8日、駒澤大学玉川キャンパスサッカー場で4年生とのお別れサッカーが行われた。各学年対抗で優勝を競う試合形式で、チームメイトとサッカーを楽しみ、4年生にとっては共に戦ってきた仲間との最後のプレーになった。

以下、前回の記事であげられなかったリーグ戦登録メンバー以外の選手の引退コメント。


◆GK 加藤 心(商4)
「(4年間を振り返って)あっという間だった。早かった。上手くいかないことの方が多かったが、周りの人特に同期に恵まれて後悔なくサッカー人生を終えることができた。(同期への思い)人間にしてくれたと言うのはおかしいが、ちゃんと社会人これから長い人生がある中でこの4年間が自分の中で基礎というか、これからの人生に繋がっていくような4年間にしてくれたと思っている。(後輩へメッセージ)自分はキーパーだったが、キーパーは1人しか試合に出られないというポジションで、人数も多い中でそれぞれの武器は1人1人違うと思う。その長所を伸ばして短所を克服できるように。キーパーは1人だが「キーパー陣でゴールを守る」といういい関係ができればチームは強くなると思う。(監督・コーチへ)こんな自分を4年間在籍させてというか、指導してくださったことにまず感謝して、キーパーコーチの輪島さんには現役のときにもお世話になった。先輩と後輩という関係から指導者と選手という関係へと変わって難しかったと思うが、精一杯接してくれた。4年間で変わった姿を見せられなかったかもしれないが、これからの人生で少しでも「あいつに言ってよかったな」というふうに思ってもらえるように頑張っていきたい。(一番の思い出は)たくさんあるが、やっぱり自分が試合に出ている、出ていないに関係なく勝った試合。自分が試合に出てなくても勝った試合というのは思い出に残っている。直接試合に関わることができなくても例えば応援とかスカウティングでチームに貢献していくという気持ちもあったので、結果に結びついたときは4年間で一番嬉しかった。何かひとつの出来事ではないがいっぱいあるなと思った。そういう出来事ひとつひとつが思い出。(感謝している人は)一番はやっぱり家族。4年間ここまでサッカーを続けさせてもらって、そのサポートも最大限してもらった。これから少しでも返していけるように頑張っていきたい。(今後の進路について)自分はまた学びたい。体育会でやった4年間とこれからの2年間がまた自分を成長させてくれると思っていて、よりいい人間になれたらと思う。(サッカーは続けていくか)サッカーはやり切って、今はまだするつもりはない。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『家族』自分含めていろんな人がいるから理解できないときや許せないときはある。そんなときでも許せるというか、友だちだったら許せなかったりすることもあると思う。もし兄弟だったらなにかしてそこでは怒ってもなんとかなってほしいと思ったりする。お互いが成長できていく感じがいいなと思うから。何をされても許せるし、お互いが成長できていると思うから家族だなと思った」

◆GK 佐藤 亮祐(G4)
「(4年間を振り返って)いい仲間に出逢えたのでそれが一番の思い出というか、一生関係を持っていられる仲間に出逢えたことが一番良かった。(同期への思い)これからも一緒に付き合っていきたい。困った時とかは色々相談していきたいと思う。(後輩へ一言)キーパーに向けて、練習はきついと思うけど試合で嬉しさも味わえると思うので、そのきつい練習を頑張って欲しいと思う。(4年間で一番の思い出)3年生の時のインカレで準優勝になったこと。(自分は)ピッチの外だったが、チームが一つになっていて嬉しかった。(4年間で一番思い出に残っている試合)自分は今年ジョコでやっていたので、南葛との試合はチームが一つになっていていい試合だったと思う。(監督やコーチへの思い)監督はサッカー以外のことも教えてくれた。その分試合に出れなかった人たちはそれ(サッカー)以外のことが多く学べたのは大きかったと思う。すごく感謝している。(思い入れのある後輩)鈴木悠太。結構一緒のカテゴリーでやってきたので、彼の活躍に期待したいと思う。(一番感謝したい人)輪島コーチ。現役の時から沢山教えて貰って、なかなか結果は出せなかったが最後まで色々教えてくれて感謝している。(ジョコでの活動について)最後昇格して終わりたかったというのは正直あるが、最後は全力出しての結果だったのでしょうがなかったと思う。来年のジョコのメンバーに昇格は任せたいと思う。(今後の進路について)就職する。(駒大サッカー部を一言で表すと)団結力というか、仲間の間の絆が強いチームだなと思う」

◆DF 新井 克之(仏4)
「(4年間を振り返って)最初は本当にこの大学が嫌で、嫌々やっていたが、結果的に続けてきて、最終的にはよかったかなと思う。(同期への思い)やっぱり途中で辞めようと思った時期もあったが、この同期だから続けられたというのはあったと思う。(後輩へメッセージ)とにかくひたすら日本一を目指して、自分たちが成し遂げられなかったことを成し遂げて欲しい。(一番の思い出は)毎日が思い出だが、一番印象に残っているのは最後の社会人との昇格戦に負けた試合。自分が本気でやるサッカー人生最後の試合で、今まで不完全燃焼なところがあったが、ちょっとやり切ったというところがあの試合では感じられた。(監督・コーチへの思い)最初はあまり好きではなかったが今では感謝している。(感謝している人は)やっぱり同期のみんなと親。(今後の進路について)普通の社会人になるので、この大学で学んだことをいかしてしっかり働ければいいかなと思う。(サッカーは続けていくか)時間に余裕があったらやっていきたい。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『元気』みんな仲がいいから」

◆DF 小川 礼太(経4)
「(4年間を振り返って)最初1年の頃は試合にも出させてもらっていい思いをしていて、でもうまくいかずに、いいこともあれば悪いこともあって。でラスト1年頑張ろうと思ったら手術して、自分の思い描いていたとおりの4年間にはならなかったが後悔はなくて、この4年生たちと出会えたのがすごく嬉しい。この仲間じゃなかったらその苦しい時期は乗り越えられなかったなと思う。(高校時代はキャプテンをしていたが)高校時代とはまたガラッと変わった感じで、大学に入ってキャプテンではない別の立場でチームに関わって、でも高校のときにやってきたことというのは無駄ではなかった。そのことをいかしつつ大学でもやれたと思う。(同期への思い)色々迷惑もかけたところもあるので辞めたいと思った時期はあったが、結局辞めなかった理由も、本気で同じ目標を目指してやってく仲間たちが魅力的だし、みんなかっこいいと思った。ありがとうという気持ち。(後輩へメッセージ)かわいい後輩たちなので頑張って欲しいし、日本一になって欲しい。リーグ戦でも勝ちの方を多くして毎日楽しい日々を送って欲しいが、苦しい時期は絶対来ると思う。その苦しい時期を乗り切るためにはやっぱり仲間の存在はすごく大事だと思う。横にいる同じ学年の仲間とか後輩を大切にして欲しい。(一番心に残った試合は)自分が大学1年生のときの、後期の集中応援の流経大戦。自分はそのとき予定ではベンチだったが、4年生のスタメンの先輩が行きの電車で貧血で倒れて、主務から急遽自分がスタメンになるという連絡が来た。何もスタメンの心構えをしていなかったが、その日はわりと落ち着いていて自分の仕事ができた。その日は寮生みんなで1年生坊主にした日だったので坊主初披露の試合で、自分も得点に絡めたのでチームに貢献できたと思えた試合だった。(一番の思い出は)やっぱり学年会。いろんな話もしつつばか騒ぎして、何も考えずに飲む一夜が思い出。サッカーでは2月の走り期間。苦しい中みんなで声を掛け合って乗り越えた1ヶ月間だった。(監督・コーチへの思い)こんな自分を推薦という形で取っていただいて、4年間トータルでは結果出せなかったと思うのですごく申し訳ない気持ちでいっぱいだが、そんな自分のことを見捨てずにずっと指導してくれた。ときには厳しいことも言われたが、すごく愛のあるものだなと思っていたので、たくさん人間面の部分でも成長できたと思うので感謝している。(感謝している人は)親、家族。家族がいなければ東京にも出てこられなかったし、好きなことをできているのも親のおかげだと思っている。親がいなければ好きなこともできてなかったと思うし、その辺に関しては本当に感謝している。(今後の進路について)普通にサラリーマンとして頑張る。サッカーでつちかってきたものは絶対に生きてくると思うので、やるからにはトップを目指せたらいいと思うが、楽しくやりたい。いい仲間たちとも出会えると思う。あと社会人サッカーもやろうと思うので、そこでも新しい目標を決めて、新しい景色も見えてくると思うのでそこでまたいろいろ考えたい。サッカーは結局辞められない。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『輪』やっぱり横のつながりとか縦のつながりがこの大学はすごく強いと思うのでそれが理由」

◆DF 古家 秀太(法4)
「(4年間を振り返って)いろんな面でめちゃくちゃ濃かった。人としてもサッカープレーヤーとしても成長できたと思う。(寮長も経験したが)例年とは違う取り組みをしてみるというか、そのピッチ内だけではなくピッチ外の部分にもこだわっていきたいなと思って。小さな積み重ねがいつかキツいときに自分たちの方にボールが転がってくるというか、チャンスが来たり。そういうのに取り組みたいと思った。自分のやりたいようにやらせてもらっていたので1,2,3,4年生には感謝したい。(同期への思い)自分とかはピッチに立ってプレーすることができなかったのでピッチ内で戦っている人たちは本当に誇らしかった。自分たちの分も背負ってやってくれていたので毎試合刺激をもらっていたし、自分ももっと頑張らないといけないと感じて、ピッチに立てなかった自分たちもピッチに立つために毎日一緒にやって乗り越えてきたので、自分の同期は本当に誇らしい。自分の今後の人生でとても宝になると思う。(矢板中央高時代から星や森本と一緒にやってきたが)あの2人の存在があったから自分も簡単に心が折れなかった。あいつらに絶対負けないという気持ちがあったので、すごくあの2人には感謝していて、自分を大きくしてくれた。(後輩へメッセージ)結果も大事だが、この駒大サッカー部が終わったときに後悔ないなという気持ちで最後は終わってほしい。自分たちのことを信じて、自分たちのできることを全部やって終わって欲しい。結果も大事だが、それ以上に大切なものがあると思うので、そこを大切にして頑張ってもらいたい。(一番心に残った試合は)自分たちの代ではないが、1つ上の代で例えれば大臣杯で大体大に負けてインカレで勝ったときは本当に感動した。本当にすごいなと思った。自分の代では自分が出ていたIリーグで前期4戦くらい勝ちなしで最下位まで落ちて、そこからアウェイの産能大とやって2-1で勝った試合。あれは自分にとってすごく心に残っている。岩本コーチに4年生という立場を改めて言われて、そこから駒澤大学の4年生とは『どういう人間であるべきか』ということを言われた中で、それを踏まえての試合だったのですごく勝ててよかった。自分の中でターニングポイントになった。(一番の思い出は)学年会。4年生で飲む学年会が全て思い出。それもあるが4年生と過ごした全てが本当に自分にとっては大きな思い出。(監督・コーチへの思い)人として、サッカーのことよりは人としてどうあるべきか、というのを口酸っぱく言われてきたので、本当に今自分がサッカーに対してここまでの日々がどれだけ大切だったか今すごく感じる。社会人になっても大切なことを学んだ。(4年間を終えて感謝している人は)本当に自分に関わってくれた全ての人に感謝したい。(今後の進路について)自分は就職なのでみんなに負けないように頑張りたい。みんな違ったステージに立つので、そいつらに負けないように、自分なりの形で頑張りたい。(サッカーは続けていくか)続けない。駒大でやり切った。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『秋田浩一』駒大サッカー部を一から作った漢。サッカー面のこと以上に、一人の人間としてどうあるべきかを常に本気で僕たちに伝えてくれたことに本当に感謝したい。そしてこの素晴らしい組織に入れさせてもらったことに、本当に感謝したい」

◆MF 坂口 快晴(営4)
「(4年間を振り返って)色々あったがここまで辞めずにやり続けた自分を褒めたい。(同期への思い)色々遅刻とかで迷惑をかけたが、なんだかんだ受け入れてくれて感謝している。(後輩へ一言)遊んだりバイトは引退してからもできるので、今しかできない部活を頑張って欲しい。(4年間で一番の思い出)情けない記憶だが、遅刻ばっかりして学年会議が起きてみんなに迷惑をかけてしまったことが一番心に残っている。(4年間で一番思い出に残っている試合)4年生で最後のアイリーグに出させてもらったこと。(監督やコーチへの思い)本当に人間として成長できる場を提供してくれた。その組織に入れてもらってありがとうございましたと伝えたい。(思い入れのある後輩)國生竜成。距離感を感じさせないくらいフランクに接してくれたので楽しかった。(一番感謝したい人)同期の髙橋巧哉。僕が遅れて入部した時に最初に声をかけてくれて、輪に入れるように便宜を図ってくれたり、色々教えてくれて感謝している。(今後の進路について)保険会社に内定を頂いているので、ちゃんと卒業して頑張りたいと思う。(アイリーグの活動について)ずっと出られなくて出たいと思っていたが、出られない時期も腐らずに頑張ってこられた。最後コーチからお情けではないが、そういう意図もあって出させてもらえて本当に感謝している。(駒大サッカー部を一言で表すと)『男』みんな本当に熱い人たちで、なんだかんだ自分に厳しい集団だと思うので男だと思う」

◆DF 中山 裕己哉(G4)
「(4年間振り返って)練習での走りがきつかった。(思い出に残っている試合は)自分は出ていないが、後期の法政戦で残留が決まった試合。自分が出てない試合であんなに嬉しかった試合は初めて。(同期へ)みんながいたからやめなかった。1年の時は走りgきつくてやめたいと思ったが、今思うとやめなくて良かった。(一番の思いでは)やっぱり走り(笑)。クーパー走っていう3000mを12分間で走るみたいなのがあって。去年の今日、12分以内に入らなきゃいけないんですけど自分その中に入れなくて、みんながはして背中を押してくれたのを覚えている。(感謝を伝えたい人は)お母さん。好きなことやらせてくれたので。後は岩本コーチ。ずっと1年の時からお世話になっていたので感謝を伝えたい。(お母さんに引退後会ったらなんと伝えたいか)あざしたって(笑)。(後輩に伝えたいことは)走り頑張ってねって(笑)。(指導者に伝えたいことは)最初は厳しいなと思っていたが、愛情のある優しさだなと最後の方は思っていて。社会に出ても役立つことをいっぱい教えてもらったんでそういう点ですごく感謝している。(進路は)一般就職。サッカーは遊びで続ける程度。(自分にとって駒大サッカー部とは)『生活の一部』」

◆MF 今井 達大(仏4)
「(4年間を振り返って)キツかったが楽しかった。(どんなところがキツかったか)やっぱり走りとか、試合とかよりも練習が多くて、その練習がキツいので、そういうところで1日1日の練習がキツかった。(同期への思い)もう感謝している。キツくても、自分はだらしないところが多いがみんなのおかげでやり切れたというところがあるので、感謝している。(後輩へメッセージ)後輩は親しくしてくれてもうありがとうという感じ(Iリーグで活躍してきたが)最初負けたりして苦しいときもあったが、勝ちも多くなったりして、どんどんチームが一丸となっていったように思える。(一番心に残った試合は)Iリーグにしか出てないので、いつかは忘れたが中央学院大戦で、1-1で後半の最後の方に自分のフリーキックで(追加点を)アシストできたのが気持ちよかったというか、嬉しかった。(一番の思い出は)思い出というか、寂しいと思うのは練習終わりに部室でジュースじゃんけんをすること。それが一番の思い出。(感謝している人は)同学年のみんな。自分サポートとかもサボったりすることも多く、部室にたりもしたがそれでもずっとキツいときとかもやってこられた。みんなのおかげで4年間やり切れたので同学年に感謝している。(今後の進路について)会社で営業をやる。その会社の社会人チームに登録したので、ここ(駒大)ほど本気ではないがサッカーはやっていきたい。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『男』監督をはじめ、技術や戦術じゃなくて男として勝てってずっと言われてきたので、そういうところかなと思う」

◆MF 鈴木 翔太(営4)
「(4年間を振り返って)きついこともあったが、アイリーグに出れたりして勝ったときは楽しかったので、やってて良かったなと思う。(同期への思い)同期は他の学年と比べて技術はないと思うが、走りとかは手を抜かないでやる人たちばかりで、その人たちについて行こうと思ってやれて良かった。いい仲間だと思う。(後輩へ一言)自分もそうだが、Aチームで試合に出れない人も必ず居ると思うが特に4年生になる人たちは腐らずにやって、何かしらチームのためにできることはあると思うのでやって欲しいなと思う。(4年間で一番の思い出)トルコ遠征に行った時に、(練習試合で)三石海斗が途中出場で入ってすぐ交代させられて、監督に腹パンを食らって喝を入れられた後にもう一回インして、直後のワンプレー目でめちゃくちゃチャンスのボールが流れてきて、キーパーもいなかったのにそれを外して、終わった後に何で外したのか聞いたら、『ゴールがズレていた』(と返事が返ってきた。)シュートがズレてたんじゃなくて、あくまでゴールがズレてたよ、と言う話(笑)。(思い出に残っている試合)これもトルコに行った時の話だが、ルーマニアのブカレストと廃墟のような雰囲気のスタジアムでやって、セイジさんが上からずっと声だけ出していて、自分たちも戦力的には強いチームではなかったが一生懸命やって、結果2-3で負けてしまったがその時の試合が一番ガチでやったというか、人生で一番死ぬ気でやった。けど勝てなくて、そこでもう一回ちゃんとやらないとと思った。(監督やコーチへの思い)自分はAチームではなかったので直接サッカーの指導とかは受けなかった。自分は来年から教員になるが、(学校を)探している時も監督に色々話を聞いたりした。そういうところで助けてもらったりしたので感謝している。サッカー面で言えばセイジさんとかテツさんとか深井さんとかザキさんとか、色々な人に指導を受けた。その中でもセイジさんからの指導が一番心に残っていて、今まで受けたことのない考え方を教わって考え方も広がったし、自分も今年から指導者をやるのでセイジさんに受けた教えって言うのを使っていきたい。なので、めちゃくちゃ感謝している。(思い入れのある後輩)駒高(出身)なので駒高の後輩。高野(裕之)と三浦(岳文)と宮嵜(龍飛)。みんな全然上手くないが一生懸命やろうと言う人たちなので好き。あとは駒高なので、駒高病としてしっかりやっていって欲しい。(誰に一番感謝したいか)自分はやっぱりセイジさんに感謝したい。色々きついことも言われたが、時には褒めたりしてくれてやっていれば『お前最近頑張ってるじゃん』とか言ってくれてちゃんと人を見ている。ぬるくなった時は言われるし走らされる。人を見る目がすごいなと思うし、言ったらキリがないと思うが話す機会も結構あったので感謝している。(今後の進路について)サッカーを指導者としてまだやるので、もう一度日本一を目指して日々生活していきたい。(駒高時代から駒澤で7年間を過ごしたが)駒高と駒大は似ているようで全然違う組織だなとやっていて思った。駒澤のユニフォームを着て7年間やれたと言うのは自分の生涯の誇りだと思うし、ここのグラウンド(大学グラウンド)でやれたというのは一生の財産かなと思う。(同期の駒高メンバーへの思い)辞めてしまった人が多いがその人たちも含めて、その中でも深見と有祥は実際(高校の時)試合にも出ていて、選手権でも活躍してたりして1年の時はそういうのを気にしたりというか、自分はパッとしないしなぁと思っていたが4年の時はそういうのもなくなった。でも、駒高だからといって特別な感じはない。とりあえずお疲れ様でしたという感じ。(駒大サッカー部を一言で表すと)『修行』単純に練習がキツい。走り期間はすぐに次の日が来たりして、練習は1時間半だが今までやったことのないキツい練習ばっかりだったので修行だと思ってやっていた」

◆MF 高橋 巧哉(商4)
「(4年間を振り返って)みんないい人で、そういう出会いとかに恵まれた4年間。練習は普通にきつくてつらいことの方が多かったけど、仲間とかのおかげで乗り越えられた。(同期へ)大学自体がそういうチームと言うこともあると思うが、上手い下手を抜きにしてやるというか……自分はすごく下手だが、自分を最後まで部員のひとりとして見てくれたのはありがたかった。自分の代はAチームに行く人が少なかったが、最後の方でどんどんAチームに上がっていて、試合に出ているところを見ると嬉しかった。(印象に残っている試合は)今年の後期に相模原でやった法政大との試合。今年の後期なかなか勝てなくてっていうのもある。出ている自分の同期も頑張っていたし、何より後輩が頑張っていたのはもうすぐ代がかわるのもあって嬉しい試合だった。自分は学連をやっていてその試合のといちょうど記録をつけていたので、1試合ずっと見れるタイミングだったので見ていた。(学連をやっていて苦労したことは)忙しい時期だと帰るのが遅くなる。普通に練習もあって、できるだけ練習にも出るようにはしていてというところで生活が大変だった。あとは忙しくてグラウンドにこれない時期があって、久しぶりに練習に出るのが怖くなるとか、仲間たちの接点が減るとか。(後輩たちに伝えたいことは)自分は全然最初から下手だったけれど、上手くても(試合に)出られない人も多いと思う。結果的に自分が成長するためにはなると思うので4年間めげずに頑張ってほしい。(監督、コーチ等指導者の方へ)選手として芽が出なかったけれど、それでもサッカー部のひとりとして見てくれていたことはすごく感謝している。「サッカー部の一」という言葉があるが、サッカー部のひとりとしてチームに貢献できる人を育てるじゃないが、選手として貢献できない分学連とかそういうところで貢献したいと思ってた。そんな自分をサッカー部のひとりとして見てくれていたことには感謝したい。(感謝を伝えたい人は)関わった人全員。一概この人とは言えない。(一番の思い出は)Iリーグに4年目で10分だけ出たが、その10分はいろんな人の考えや気持ちがあって選んでくれた10分だったのかなと思う。(駒大サッカー部とは)これからも一つの指標というか財産になると思う。ここで学んだことを社会で生かしていけたらと思う。(進路は)旅行系の会社に一般就職。サッカーはそんなに本気ではやらないが趣味としてやりたいなと思っている」

◆MF 久岡 聖(法4)
「(4年間を振り返って)本当にあっという間だったなと思う。同じ高校からもうひとり入部したが早くにやめてしまった。自分は大学の誘惑みたいな物に流れそうになったときに高校時代の監督やコーチから駒大の良さとかを聞いて、4年間続けてみて今は駒大サッカー部にきて良かったなと純粋に思う。(一番の思い出は)一番は駒大のきつい練習というのはあるが、自分が社会人リーグにいて、関東大会の準々決勝で負けたときその試合がくやしかったのとやりきったなという気持ちがあって、今でも悔しいと思う。(同期への思いは)各学年の色というのがあると思うが、この代の色がすごく自分に合っていたなと思うので、ここまで続けてこられたのも、みんながいたからだと思うし、個人的に練習前後の部室が大好きだったので、そういうたわいない話が楽しかったなと思う。(各学年のカラーという話が出たが、自分の学年はどんな代だったか)一見何も考えていないようで、胸の奥に熱いものを秘めていたり、そういうところは4年になってから一層思うようになった。(感謝を伝えたい人は)一番は親。父親とかは特に自分が知らないような情報を知っていたり、さっき終わったばっかりの試合の情報を知っていたりしたので、影ながらすごく応援して売れていたのかなと思う。(卒業後の進路は)一般就職。いまはサッカーから離れているが先輩からは半年くらいするとやりたくなると聞くので、今は休息。半年くらいしたらまた考えようと思う。(監督、コーチ等指導者の方へ伝えたいことは)むずかしいな・・・選手たちよりも熱いものを持っている方たち。もちろん勝ちたいと思ってやっていたが、自分たち以上に勝ちたいと思ってくれていたのではないかなと思う。その人たちに結果で恩返しできなかったのは申し訳ないと思うが、人としての部分などを特に監督には教えていただいたので、感謝してもしきれないし、それを社会人になっても生かしていけたらと思う。(後輩たちに伝えたいことは)自分はAチームに全然関わってこなかったから、特にB、Cチームにいる選手に頑張ってほしい。自分は能力があるわけではなく、積み重ねでやってきたので、そういう積み重ねが自分としてすこしだけど社会人で主将をやったり関東リーグに出たりと言うことに繋がったと思うので、B、Cチームは結果が出るまで時間がかかると思うけどフィールドではなくても将来に繋がったりすると思うので、そういった部分は頑張ってほしいと思う。(自分にとって駒大サッカー部とは)『ファミリー』かな。引退する前自分は家に寝るためだけに帰っているみたいな感じだった。だから本当に今は暇で。家族同等の付き合いをしていたんだなと思う」

◆FW 去渡 信吾(法4)
「(4年間を振り返って)走りとかを含めてきついことばっかりだったが、監督が言っているチームで戦うこととか、チームみんなでやり遂げることができたことが嬉しい。(同期への思い)自分は走れない方で、メンタルがそこまで強くない方だったので周りに常に引っ張ってもらったり周りのおかげでここまでやってこられたので、感謝しかない。(後輩へ一言)みんな能力もあるし、日本一を取れるだけの気持ちも持っていると思うので自分たちが成し遂げられなかった日本一を成し遂げてもらえたらいいなと思う。(4年間で一番の思い出)初めて関東リーグに出た時。出た試合はあんまり自分の調子を出せなくて不甲斐なかったが一番立ちたかったピッチに立てたのは一番の思い出だと思う。(思い出に残っている試合)3年生の時の最後のアイリーグの試合で、日体大とやった試合。4年生のアイリーグのメンバーにはだいぶお世話になって、その人たちのために勝とうとかそういう気持ちをみんなで持ってやった試合で自分が2得点を決めて勝てたというのは大きかったので、その試合が一番思い出に残っている。(監督やコーチへの思い)ここまで自分を試合に使ってくれたり、最後まで戦ってくれたのは大きかったので感謝しかない。(思い入れのある後輩)フォワード陣で、宮崎鴻とかアマエシ(オーゴヌス黎)とか。そこら辺は一緒に試合に出たりして、同じフォワードとしてトップ(チーム)で出られるだけの能力はあると思うので、応援している。(一番感謝したい人)監督。4年間サッカーだけじゃなくて人間として、男として色々教えてもらったのでこれが社会に出ても通用するようなことも教えてもらえたので感謝したい。(今後の進路について)日立ビルシステムに(就職する)。まだサッカーも関東1部で続けるので高い意識を持って、仕事と両立なので厳しいと思うがここで学んだことを生かして頑張りたい。(アイリーグの活動について)最初はアイリーグに対して関東リーグに上がるための第一歩としか思っていなかったが、アイリーグでも全国に出るとか、途中でメンバーも固定化されてその中でも長く出ていた人としてチームを引っ張れたらなという思いがあった。アイリーグが一番出ていたので愛着というもあった。(駒大サッカー部を一言で表すと)『男』みんな男らしく、チーム全員で戦うとか、男として成長できるところなので男かなと思う」

◆FW 平島 祐貴(仏4)
「(4年間を振り返って)自分はずっと下のカテゴリーにいたので試合はほとんど出られなかったけれど、出られなかったけれど悔いがあるわけではない。駒大に入ったときにサッカー人生はここで最後と思って入学したので、その4年間悔いなくできたかなと思う。()自分の代は後期でなかなか勝てなくて、でも最後に法政に勝てたときは、自分は応援側だったけれど素直に喜べたかなと思う。(一番の思いでは)今引退して、みんなと会うことも無くなってさみしい気持ちもあるので、みんなと一緒にいられたことがかけがえのないものになっているのかなと思う。(同期へ)4年間本当にありがとうと伝えたい。試合に出ていた人には、自分が4年として情けないところも見せたかもしれないが、それでも4年安一緒にやってきてくれたので感謝しかない。(監督コーチに伝えたいことは)厳しい言葉ばかりだったけれど、終わってみて素晴らしい指導者の下でサッカーができて、自分自身のサッカーの考え方や、サッカー以外の面でも成長させてくれたので感謝している。(卒業後の進路は)普通に一般就職。サッカーは続けない。(感謝を伝えたい人は)親かな。(後輩に伝えたいことは)自分たちよりも確実に強いと思う。後輩たち本人が、自分たちの大切な人のために日本一という結果を出してほしい。(駒大サッカー部とはどんなところか)『財産』4年間で自分自身の考え方も明らかに変わったので、自分の考え方を変えてくれた場所。感謝している」

◆FW 保坂 泰輝(社4)
「(4年間を振り返って)長いようであっという間。(一番の思い出は)自分は部室かな。部室でみんなと何気ない会話をしたり、当たり前だったことがなくなっちゃったので、そういった当たり前の会話などが一番。(印象に残っている試合は)後期の法政戦。ずっと連敗が続いていて、久しぶりに勝利したときの喜びとか、最上級生になって一層一勝の重みとかを感じるようになったので(監督コーチなどに伝えたいことは)最初は指導者の言っていることがなかなか受け入れられないなかで、こんな自分を見捨てないで指導してくれたので、底は本当に感謝している。(同期へ)みんなそれぞれ違う道に行ってしまうけど、この4年間が人生の財産で、そういう貴重な時間をみんなと過ごせた。これからも暇なときは会いましょうと。(感謝を伝えたい人は)親。自分は寮生活で金もかかっただろうし、心配とかもしてくれたので。会って伝えるのはなかなか恥ずかしいのでこういうので伝えたい(笑)。(後輩へ)一生の宝物になる仲間たちなので、一番は仲間を大切にしてほしいなと思う。(卒業後の進路は)不動産系で一般就職。サッカーは続けない。(自分にとって駒大サッカー部とは)『ファミリー』家族みたい。チームメイトは本当にやめようとしていたときに引き留めてくれたりしたので恩人」

◆FW 三石 海斗(仏4)
「(4年間を振り返って)きつかった。きつかったけど、楽しかった。(同期の思い)支えられて4年間やってこられたので、今の自分があるのはみんなのおかげだと思っている。(後輩に一言)自分たちができなかった日本一を目指して頑張って欲しい。(4年間で一番の思い出)トルコ遠征に行った時に、乗り継ぎの飛行機にパスポートを忘れてきてしまって、誠史さんにトルコ語で(対応を)やってもらって助けてもらって、誠史さんは命の恩人です(笑)。(4年間で一番思い出に残っている試合)去年のインカレ決勝。一個上(の代)がみんないい人ばかりで、勝ちたかったので負けたときは辛かった。(監督やコーチへ向けて)秋田ファミリーか岡田組かと聞かれたら岡田組。(思い入れのある後輩)岡田光生君。2個下で同じ高校なので、東京に染まらずに頑張って欲しい。(一番感謝したい人)高校の監督。ここ(駒大)に入れてもらったのが全てなので高校の監督に感謝している。(今後の進路について)社会人になるがここで学んだことを忘れずに頑張っていきたい。(アイリーグの活動について)一生懸命みんなで頑張れたので良かった。(駒大サッカー部を一言で表すと)『秋田ファミリー』監督が全てだと思っている」

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