• 4年生として粘りと明るさを出し続けた=明治神宮球場で(寒川朋子撮影)

  • 引退のさみしさが表情に浮かぶ

☆引退特集☆がむしゃらに、ひたむきに、仲間と共に歩んだ4年間~後編

[硬式野球部](2018年10月27日 01時18分)

東都大学野球秋季優勝決定戦対立正大戦が10月25日に明治神宮球場で行われ、1-8で敗れ優勝を逃した。この試合をもって4年生は引退。悔しさと寂しさをにじませながらも、引退を迎え晴れやかな表情を見せていた選手らに駒大硬式野球部としての4年間について聞いた。

◆菅野 赳門(商4)
「(今の気持ちは)4年間いろんなことがあったなという気持ちと、悔しい気持ちで終わったのでまたその悔しい気持ちを次のステージで晴らしたいという思い。(どんな4年間だったか)1年生の頃からベンチに入れてもらっていい経験をさせてもらえた事もあるし、自分で下に落ちるような事もしてその壁を乗り越えきゃいけない時期も経験したと思っている。4年間の中で自分は成長できたかなと思う。(4年生としての1年間は)4年生になってチームを引っ張ろうという気持ちでやってきたが、4年生みんながそう思ってやっていたのでそういうところでは大変ではなかった。みんなで楽しくできた1年だった。最後の秋は優勝して、監督と新垣さんを胴上げしたかったが、最後の最後まで戦えたというのは良かったと思う。(印象に残っている試合、場面は)対國學院2回戦で同点に追いついた時と、対東洋で同点に追いついた時。(東都は)1部も2部も、簡単に勝てるようなチームはなくて、1試合も気を抜ける試合がない、本当に戦国東都といわれているぐらい大変な試合ばかりだった。(監督から言われて印象に残っていることは)『自分のプレーだけやろうとしてる選手は絶対ボロが出て、球際に強くならない』とかかな。(進路は)JR東日本東北。(後輩たちに伝えたいこと、期待することは)僕たちができなかった優勝をできるように頑張って欲しい。(同期に一言)4年間ありがとう。(硬式野球部での思い出は)下級生の時に、ばれないように夜中脱走していた事。(駒大硬式野球部とは)僕が入った頃とは変わって、大倉監督が来て、駒大野球部としてまず礼明慮ができる人間になる、そこから入るチームだと思う」

◆砂川 修(経4)
「(今の気持ちは)悔しかったけど、悔いはない。(どんな4年間だったか)あっという間だった。(4年生としての1年間は)もっとあっという間だった。1番あっという間だった。(印象に残っている試合、場面は)対東洋2回戦の9回ツーアウトから同点に追いついたところ。(東都は)すごい選手がいっぱいいて自分も成長できたと思う。(監督から言われて印象に残っていることは)言われたことよりかは、与えられた課題、求められる選手になろうと頑張った。(進路は)東京で就職する。(後輩たちに伝えたいことは)菅(力也)が引っ張ってくれると思うし、菅自身も絶対来年は優勝させると言っていたので期待する。(同期に一言)みんな上手くて追いつくのに精一杯だった。でもみんながいたから成長することができた」

◆岡田 耕太(市4)
「(今の気持ちは)やっぱり優勝決定戦まで行って最後あと1勝というところまでいって負けた、というのが悔しさはある。(どんな4年間か)1年から試合に出させていただいて、2年でいい結果が出ずにメンバー外になることもあったが、監督コーチがしっかり見てくれてまた3年から試合に出ることができた。やっぱりコーチや監督たちには色々お世話になったなという思いがある。(4年生としての1年間は)春、秋通して4番を打たせていただいて、ちゃらけた感じの時期もあったと思うが、そこで信頼していただいて4番に座らせてもらえた。(最後の秋は)春よりか結果は落ちたが、自分の出せるものは出し切れたかなと思う。(印象に残っている試合、場面は)亜細亜の3戦目。負ければ最下位、勝てば優勝の可能性が見えてくると亜細亜からしても一緒の条件だったと思うので、そこでしっかり最終的には勝ちきれたところがよかった。(東都はどのようなところだったか)戦国東都といわれていて、その戦国具合が1年間春、秋のリーグでは味わえたとは思う。(進路は)JFE東日本です。(後輩たちに伝えたいこと、期待することは)神宮でできるということを楽しんで試合をやってもらって、僕たちができなかった優勝っていうのを味わってもらいたいです。(同期に一言)それぞれ環境は変わるが、都市対抗や地区大会で試合ができたらいいなと思う。(硬式野球部での思い出は)この学年は例年以上に仲が良かったと思う。みんなでオフ前飲みに行ったりとても楽しかった。(駒大硬式野球部とは)大倉さんが監督に就任した当初からずっと礼明慮と言い続けてやってきて、そこにチーム全体で向かってやってきたので、礼明慮という言葉は大切にしたい。この駒澤大学で習ったことを社会人にも繋げていきたい」

◆西村 健(営4)
「(今の気持ちは)やめたいと思ったことはないが、1年生のときは厳しい中で4年間続けられるか不安だった。4年間頑張ってきて、これがこれからの人生に生きていけばいいかなと思う。(4年間は)一言で言えば楽しかった。全国からきたいろいろな人と出会えて楽しかった。駒大に来てよかったと思う。(この1年は)4年春はメンバーに入りたくて頑張っていたが、その後はサポートだった。チームのためにと考えて過ごした1年だったと思う。(印象に残っている試合、場面は)2部に落ちたときはこれからどうなるんだろうと思った。その後は全員の力で1部昇格を目指した。今年は1試合1試合の粘りがすごかった。(東都は)戦国の名にふさわしいリーグ。(監督から言われて印象に残っている言葉は)大倉監督はメンバーだけじゃないと常に言っていて、『チームのためにおまえらが必要だ』と僕たちのことを気にかけてくださった。頑張ろうと思えたので、その言葉はありがたかった。(進路は)カツスポーツアカデミー。駒大OBが経営している会社で、野球教室などを開いている。野球関係の仕事がしたかったので、そこで働くことになった。(後輩に伝えたいことは)大学野球は4年間やることに意味があると思うので、やめたいと思うこともあるだろうが、そこを乗り越えて楽しかった、成長したと思えるような1日1日を過ごしてほしい。(同期に一言)最高。(思い出は)僕は飲みが好きで、同期で毎年飲みに行くのが楽しかった。(自身にとって駒大硬式野球部とは)家族のような存在」

◆澄川 晴也(市4)
「(今の気持ちは)思っていたよりも結構あっという間に4年間が終わってしまった。なんとか4年間めげずにやってこれて、まあ同期もそうだし、先輩たちにも感謝しないといけないなと思う。(この4年間は)おそらく駒大の野球部の部員としては初めてになるのではないかと思うが、元々選手として入部させてもらって、1年秋からマネージャーをやらせてもらって、3年の冬くらいからまた選手に戻らせていただいた。他の人とは違う貴重な経験をさせていただいたので、変更しながらも続けさせてもらった、野球部にいさせてもらったということは感謝しかない。(秋季リーグは)応援に行ける機会がそこまで多くなかったが、自分が応援に行った試合は勝ってくれたので、最後に自分の同期の人たちにはいい思い出を作ってもらった。(印象に残っている試合は)やっぱり2部から1部に上がったときの日大との入替戦が1番印象に残っている。応援に行った中で1番喜べた瞬間なので。(東都リーグのイメージや印象は)入学する前から日本で一番厳しいリーグだということは聞いていた。2部に落ちた嫌な経験も、1部に昇格できた嬉しい経験もあったが、他大学の選手も、うちの選手も総合的に見て、レベルが高いリーグだと思う。(監督やコーチから言われたことで印象に残っていることは)打つときも、投げるときも常に声を出す。静まり返ってしまったらどうしてもいいプレーは出来ないので、1つの動作にしてもとにかく声を出すようにとずっと言われていた。高校の時にはそういう教えをしてもらってなかったので、いかに1球1球が試合でも、練習中でも大事かというのを教えてもらった。(今後の進路は)まだ自分のやりたいことが見つかっていないので、あと1年大学に通う。卒業までにやりたいことを見つけられたらと思う。(後輩たちに向けて)練習中に自分の名前を呼んで、慕ってきてくれた後輩たちは本当にかわいかったし、良い仲間と共に、もちろん優勝目指して頑張ってもらいたいなと思う。(同期には)自分自身は家庭の事情もありアルバイトをさせてもらった。練習になかなか出られず、申し訳ない思いもあったが、みんな理解して『練習も大事だけどしっかりバイトも頑張ってこいよ』と笑顔で言ってくれた。ありがとうと言いたい。(自身にとって駒大硬式野球部とは)評判通り、むしろそれ以上に、上下関係などむちゃくちゃ厳しい環境だった。勝ちにこだわるプレッシャーも、レギュラーは大変だったと思う。嫌なこともあったけど、この大学を選んで本当に良かったな。一切後悔は無い。来れたのは前監督の西村さんのお陰でもあるが、自分としては高校の監督にも、良い大学に行かせてもらったことを本当に感謝している」

◆巴山 颯太郎(法4)
「(今の気持ちは)4年間苦しいことばかりだったが、周りのおかけでここまでこれた。周りのスタッフ、チームメイト、先輩への感謝が大きい。(4年間は)いいことも悪いことも経験して、自分の考え方も180度変わった。いろんな世界を知れて、いろいろな考え方が生まれた4年間だった。(この秋は)最後4年生として試合に出させてもらった。力になれたかと言えば自分では納得できていないが、チームとして最後まで優勝争いできたのはよかったし、久々に野球が楽しいと思えた。このチームでやっていて本当によかった。(印象に残っている試合、場面)どの試合ということはないが、負けている9回に勝っているかのような雰囲気で全員が声を出して、打線がつながって同点、逆転できたこと。チームとして勝った試合が印象に残っている。(東都とは)日本一のリーグだし、苦しいことも良いこともあると思う。大学生活で誇れること。(監督、コーチから言われて印象に残ったことは)考え方をいい方向に持っていくなど、一言一言が大事だった。新垣さんはあれだけの人があれだけ声を出して、気持ちを出して前に行く姿を見て、何歳になってもああいう姿でいられることはすごいこと。姿そのものから教えていただいた。(後輩に伝えたいことは)どういうチームになるかわからないが、監督、コーチに学んだことをつなげて、僕らが積み上げてきたものとまた新しい3年生以下の色を出してくれればいいチームになると思う。やるからには1番上の景色を見てほしい。(同期に一言)同期がいたから今も野球ができている。同期の姿を見て尊敬ばかりだし、ついていきたいと思ってきた。感謝しかない。(思い出は)同期で集まっての飲み会や、同期で何かをするのがものすごく思い出に残っている。同期と過ごせたことが印象に残っている。(自身にとって駒大硬式野球部とは)野球だけでなく、今後の人生でも通用する人間になれたと思うし、引っ張っていったり、周りから好かれたり、人間として大事なところを教えていただけるところ」

◆新井 充(法4)
「(今の気持ちは)いまだあと1ヶ月くらい野球をやりたかった。凄く悔しい。(4年間は)メンバーにも入らせてもらったりしていたので、4年間ありがとうという気持ち。4年生でメンバーに入れなかったことは悔しいけど。(この1年は)春からベンチに入れなかったので、チームのためにやれることをと思って過ごしていた。(最後の秋は)チームのみんなが優勝目指した。あと一歩届かなかったのは残念。悔しい。(東都は)プロ野球選手とかもいっぱい輩出していて、日本一のリーグだなと思う。(進路は)商社。(後輩たちに伝えたいことは)優勝してほしい。(同期の方々へ)優勝決定戦まで4年生中心に頑張った。同級生としてそれは誇らしい。(4年間で印象に残ったことは)1年生の時は苦しかったけど、助け合って頑張ってこれて今がある。1年生のとき皆しんどくても、逃げずに頑張ったのが思い出かな。(自身にとって駒大野球部とは)簡単に終わらない、粘り強いところが駒大野球部かなと思う」

◆島田 一樹(法4)
「(今の気持ちは)正直今年はチームのために何も貢献出来なくて、サポーターとしても全然練習に参加出来なかった。最後試合に負けたので悔しい気持ちもあるが、やっぱりみんなの頑張っている姿を見たら4年間やってきて良かったなと思った。(どんな4年間だったか)最初は上手いこといって試合も出られたが、途中から怪我をしたりみんなのサポートをやっていたり、楽しい時期もあれば苦しい時期も味わったりした。波乱万丈だったが4年通して見ると最高な4年間を過ごしたなと。(4年生としての1年間は)やっぱり最後リーグ優勝出来ない部分は詰めが甘い4年生だったな、今の4年生の味が出ていたなというのもある。2位だったがこの仲間とやってきて良かった。(最後の秋は)1位に行ったり最下位に行ったり順位はバラバラだった。でもやっぱり、優勝決定戦に残してくれたこの4年生のメンバーたちがここまで繋いでくれた。最高のシーズンだった。(印象に残っている試合・場面)今日の最終回の酒井良樹の犠牲フライ。駒大らしい1点だったなと思う。(東都リーグはどんなところか)戦国東都と言われるだけあってレベルが高いところでもあった。自分を4年間成長させてくれる場所ところだと僕は思う。(監督から言われて印象に残っていること)今の大倉監督に『野球をしても就職活動をするにしても、どっちも野球に似てる』と言われてそれが一番僕の中で残っている。(野球部で印象に残っていること)1年生の春にレギュラーとして専修大学でスタメンデビュー出来たことが一番印象に強い。(進路は)今海上自衛隊の結果を待っている。海上自衛隊で潜水士をやっていこうかなと思っている。(後輩たちに伝えたいこと、期待していること)僕たちが優勝出来なかった部分があるので、後輩たちには優勝の味というものを分かってもらうために、今以上にもっと頑張って欲しい。(同期に一言)辛いときが多かったが、そこでも支え合う仲間だったので、本当にありがとうと伝えたい。(野球部での思い出)古い寮での1年生のときの雑用。風呂掃除とか当番行ったりだとか。あとはフレックスBの学部の仲間と一緒に帰って来たりだとかそういうのが一番思い出に残っている。(駒大野球部とは)4年間通して人間としても野球としても成長出来るとても素晴らしい場所だと僕は思う」

◆林 哲平(仏4)
「(今の気持ちは)4年間あっという間だった。(どんな4年間だったか)辛かったことの方が多かったが、良い学年と巡り会えて楽しかった。(4年生としての1年間は)今までは4年生が引っ張って来てくれていたが、上がいなくなって自分が引っ張っていかなければいけないなとというのがあった。充実した4年間だった。(最後の秋はどうだったか)優勝して欲しかったが惜しかった。良い雰囲気だったと思う。(自身の中で印象に残っている試合・場面)キャプテンの良樹が春全然打てなかったので、良樹が打った試合は全部印象に残っている。(東都リーグはどんなところか)1年ごとに何かあるか分からなくて、どのチームが勝つかも分からない。その中でやるというのはいつも気を張ってプレーをしなければならないなと思っていた。(監督から言われて印象に残っていること)特に無いです(笑)。(進路は)僕は来年も学校にいます。(後輩たちに伝えたいこと)これからも駒大の野球部の歴史を作っていって欲しい。(後輩に期待すること)優勝ですね、日本一になって欲しい。(同期に一言)今までありがとう!(野球部での思い出)いっぱいあるが、やっぱり学年でお酒飲むときが一番楽しい。(駒大野球部とは)野球だけではなくて周りへの気配りとか礼儀とかを一から教えてくれるところ。(応援団長として今年は)例年になくチームがまとまって良い年になった」

◆高橋 成(仏4)
「(今の気持ちは)やりきった。(駒大での4年間は)きつかったけど楽しかった。1年生のときがいちばんきつかった。けがとかは無かったが、上級生ばかりだったので。学年が上がってからは上下関係で特にきつい場面は無かった。1つ上の先輩方も優しかったし、特に恒川(大輝、18年卒)さんにはよくお世話になった。(4年生になってからの1年は)終わってみれば早かったという感じ。楽しかった。充実していたと思う。(4年間で印象に残っている場面は)個人的に長と仲が良いので、あいつが春に本塁打打った試合。あの試合がいちばん印象に残っている。あとは岡田(耕太)の満塁本塁打。(東都リーグは)まさに戦国だと思う。最後の最後まで。(進路は)一般就職。野球は続けない。(後輩へ)2部に落ちないように。優勝目指して頑張ってほしい。(駒大野球部とは)人間的に成長できる場所。上下関係だったり、我慢することだったり。社会に出てから、理不尽なことはいっぱいあると思うが、そういう部分を学べたと思う」

◆諸積 怜(心4)
「(今の気持ちは)優勝したかったので、こういう結果で終わってとても悔しい気持ちはある。次の舞台でも野球は続けるので、この悔しさを上の舞台で晴らしていきたいなと思う。(4年間は)辛いことも苦しいことも色々あった4年間だが、凄く成長できたなと思っている。(4年生になってからの1年間は)チームを引っ張っていかなければならない立場で、凄く充実した1年間だったなと思う。(秋季リーグは)凄く思い出に残る試合が多かったので、一番やっていて楽しかった。最後の最後に駒澤らしい試合が多く出来たかなと思う。(東都リーグの印象)日本一レベルが高い。入替戦もあるので、大学同士でレベルアップしていけるリーグだなと思っている。(監督やコーチから言われたことで印象に残っているものは)前はただ足が速いだけの選手だったと思うが、大倉監督が来てから『9回2アウト一塁でランナーになった時に走れる準備をしておけ』と言われてから走塁に対する意識が変わってきて、良い方向に行ったのかなと思う。(今後の進路については)日立製作所で野球を続ける。(後輩たちに伝えたいことは)かわいい後輩たちばかりなので、離れるのは寂しい。悔しいところを見たと思うので、僕たちがあと一歩でできなかった優勝をして欲しい。(同期には)本当に4年間お疲れ様ということと、ありがとうと伝えたい。(思い出に残っていることは)去年の入替戦で勝ったこと。(自身にとって駒大硬式野球部とは)人生にとってとても大切なものを教えてもらった部活なのて、とても大事な場所」

◆高橋 優哉(営4)
「(今の気持ちは)4年間あっという間だった。この前入ったような感じ。(この1年間は)この1年はけがや、就活で、自分が野球部に貢献できたのかなと思う。できる限りのことはやったが、悔いのある部分とない部分があって複雑な気持ち。この秋はサポートに徹したので、秋ははっきりできたと思う。(東都とは)他のリーグとは全然違って日本一レベルの高いところ。(監督から言われて印象に残っていることは)自分の意見を持ちすぎと言われた。自分ではわからなかったので、それを気づかせてくれた監督、コーチに感謝。(進路は)一般就職。(後輩に伝えたいことは)今は何も見えなくても、志を持って歩んでいってほしい。その先に人としての進むべき場所があるので、意識してやっていってほしい。(同期に一言)1年生のときからずっと一緒にいて苦楽を共にしてきた。楽しいことも苦しいことも全部分け合えた仲間で、ありがとうという気持ち。(自身にとって駒大硬式野球部とは)人生の糧になった大切なところ」

◆中野 利一(法4)
「(今の気持ちは)野球はこれが最後になるから、寂しい気持ちもある。でも達成感もある。(進路は)消防士を目指している。(駒大での4年間は)1、2年はとにかく下積みをやってきて、3年生でメンバーに入れてもらって、4年生で学生コーチという形だった。自分の中では波乱万丈というか、いい思い出だが、思い返せば嫌なこともあったし、いろんな思いがある。(学生コーチに転向するにあたり悩んだことは)監督とコーチから言われて、選手としてやっていきたいという思いもあったが、チームのためにという気持ちもあった。いろいろ悔しい思いもして悩んだが、同期が大好きなので学生コーチをやることに決めた。(4年生になってからの1年間は)あっという間。でも密度が濃くて、4年生同士の仲も深まったと思う。学年の力をすごく感じた1年だった。オフの日だったり日常だったり、全てにおいて4年生との思い出が濃い1年だった。(ラストシーズンは)絶対に優勝しようという気持ちだった。結果ダメだったが、4年生の持ってる力を出せて、いい結果を残せたのかなと思う。(印象に残っている場面は)3年生のときの入替戦。自分もベンチに入っていたので、思い入れが強い。(東都リーグとは)秋で改めて思ったが戦国東都という名の通りだなと。本当に気を抜けない。ひとつのミスが負けにつながったり、ひとつの好プレーが優勝につながったり、ひとつのプレーや1球が命取りになったり逆にプラスになったりと、本当に戦国だなと思う。(指導者からの言葉で印象に残っているものは)学生コーチになるとき、『普通のサポーターで終わる人材ではない。チームを左右する人材だからそれを頭に入れ、自分でも理解して、日々過ごしてほしい』と言われたこと。選手としての限界を感じていた部分もあった。自身の人柄を認めてもらったことがすごく心に残っているし、すごく感謝している。選手として終わりたいという気持ちもあって複雑だったが、チームのためにできればいいかなという気持ちが最後自分の中で勝ったので、よかったと思っている。(後輩へ)みんな人が良くていい選手も揃っている。負けた悔しさを忘れずに、優勝してほしい。(同期へ)率直にありがとうという言葉しかない。それがいちばん。ばらばらになってしまうが、ずっとこれから先も付き合っていきたい。(駒大硬式野球部とはどんなところか)最高の野球部。それだけ」

◆宮内 紗衣(法4)
「(今の気持ちは)実感は湧かないのが第一。まだまだ一緒にいるような感覚がある。(4年間は)本当に濃かった。すごく嫌なこともあったし、神宮のベンチに入れたことは人生の中でも1、2を争う幸せなことだと思う。これ以上濃い日々は過ごせないと思う。選手との会話や態度でマネージャーとして必要とされているのか、存在意義があるのかを気にかかることがあると『なんでこんな辛いことをやってるんだろう』と考えてしまうことはあった。2年、3年は自分のやりたいことと、周りのギャップを感じて1番きつかった。(この1年は)元々プロ野球でウグイス嬢になりたいという夢があって、それを叶えるためにもここを選んで入った。でも自分がベンチに入るとなったら、その経験を積める場がなくなってしまうし、夢だった神宮でのアナウンスができなくなってしまう。それを天秤にかける瞬間は本当に悩んだし、どっちが正解なのかわからなかった時期もあったが、みんなが必要としてくれると感じたのでしっかり自分の中で割り切ってベンチに入ることができた。結果的にここまで長くいれたのは本当に幸せだと思う。(印象に残っている試合、場面は)秋の東洋2戦目。あの時は正直9回に『ちょっときついかな』と思ったが、そこで巻き返す力があったのにびっくりしたし、信じ切れていなかった自分が悔しかった。今日も正直(9回の菅野)赳門と(岡田)耕太のヒットはちゃんと見れていなかった。最後の打席がヒットだったから(涙が)ボロボロで。9回に赳門、耕太、(酒井)良樹が打って取った1点は10点取った試合よりも、鮮明に覚えているし、きっとこの先もずっと、あんなに感動する1点はない。(東都は)本当に戦国。絶対という相手がいないから全員が敵。優勝するための究極の答えは『駒大の野球をする』なんだなと思った。『駒大の野球をしよう』の意味がよくわかった。(監督から言われて印象に残っている言葉は)大倉監督の『殻を破ってみろ』という言葉はよく覚えている。お風呂で一緒になった部員に歌を歌わせたりしていたりするのも、その一部だと思う。私もスベらない話をみんなの前で披露したし(笑)。チームのために、自分が変わるべき・成長すべきタイミングが必ずある。普段静かな選手がベンチやスタンドで声を出したり、チームのために自分の視野を広げる努力をしたり。私もチームの中にもう1歩踏み込もうと努力した。そういう事を監督はこの言葉で教えてくれたんだと思う。あと、今日ベンチで『昨日銭湯に入って、ストレッチしていたら隣のおじさんに「他の人がいるんだからそういうことやめろよ」と言われたんだよね』と言われた。こっちは落ち着かなかったから、そういう普通の会話をして落ち着かせようという気づかいを感じたし、普段寮当番で絡んでくるときもちゃんと見てくれているという言葉、行動を感じた。試合合間、合間にかけている言葉も全部選手を信じて最後まであきらめないでいるのが監督。それが伝わる言葉がけをしてもらった。(進路は)保険会社。(後輩に伝えたいことは)仕事を教えるのは得意でないので、姿からくみ取ってほしいという口下手な先輩だった。私がこれだけ選手と関係を築けている姿のを見て、孤独にならず、自分もチームの一員なんだという気持ちは忘れないでいてほしい。誰よりも選手の味方でいてほしい。(同期に一言)正直マネージャーの同期もすぐ下もいない状態で、1人と思ったこともあったが、選手が『そんなことないよ』という感じで囲いこんでくれた。日本一にはなれなかったが、私は胸を張って日本一幸せだったと言える。(思い出は)全部。どうでもいい話でも私は全部覚えている。(自身にとって駒大硬式野球部とは)1番の悩みの種でもあったけど、1番笑顔にしてくれる、幸せにしてくれる場所」

*4年生の皆さんありがとうございました。これからのご活躍とご多幸をお祈りしています。

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