• 授業にて学生達に話す白井さん=駒沢キャンパスで(髙貫真裕撮影)

  • 身振り手振りでわかりやすく伝える

  • 学生達も真剣に白井さんの話を聞いていた(東海圭起撮影)

  • コマスポのインタビューに答える白井さん(近藤龍撮影)

野球部OB 白井一幸さんインタビュー

[硬式野球部](2021年12月18日 20時21分)

 駒澤大学硬式野球部のOBであり、野球侍ジャパンのヘッドコーチに就任することが発表された白井一幸さん(60)が13日、本学の「キャリアデザイン」授業にゲストとして登壇した。プロ野球選手を引退後は日本ハムファイターズのヘッドコーチを歴任するなど、指導者としての経験も豊富。そんな今までの自分の経験を“後輩たち”に伝えようと、自ら学生の前に立った。
 「目指すことが大切、人はなりたい自分にしかなれない」。白井さんは授業中、何度もこの言葉を口にした。長年、プロ野球界という厳しい世界に身を置いてきた白井さんだからこその言葉であろう。その上で、「大学生のうちに、自分が将来どうしたいのか、願望の明確化ができるようになれば良い」と語った。自身の海外でのコーチ留学経験から、その当時の日本プロ野球とメジャーの違いなどをとりあげ、学生達に“目指すことの大切さ”を熱弁。さらには、学生達に伝わりやすいように時には、自身の教え子である大谷翔平のエピソードも交えるなど、学生の興味を引かせた。

 また白井さんは、コマスポのインタビューにも応じてくれた。以下、主な一問一答。

――駒大野球部・東都リーグについての印象は。
「伝統があり数々のOBの皆さんが繋いできたものがある中で、やはり本来はもっともっと強くて大学のスポーツをリードするような存在であってほしい。ここ10年くらいは厳しい。もっともっと期待するところのほうが大きい。ただ、伝統というものは継承していく、つなげてこうと思うと結構難しいもの。やはり伝統というものは、あるものにプラスして、もっともっと革新していくという事が大事だと思う。そこは伝統の重さに潰されるのではなく、伝統を礎にして革新していく。どんどん新しいものを積み上げていくという意識が大事なのではないかと考える」

――鵜飼選手が中日から2巡目指名されたことについて。
「後輩がプロ野球の世界に飛び込むというのはうれしいですし、活躍してほしい」

――駒大野球部での思い出や印象に残っているエピソードは。
「香川県の高校から初めて親元を離れて大学に来た。一言でいえば『大学野球ってこんなに厳しいのか』というところ。高校時代に自分よりレベルの高い選手に出会ったことがない中で、大学に入った時にはこんなにもすごい人たちが世の名にいるのかと驚いた」

――駒大野球部での経験はプロでも生きたものになったのか。
「当然ですね(笑)。大学野球部での経験したこと、野球部監督から学んだことはプロ野球生活だけでなく、人生においても非常に大きな影響力を及ぼし続けているなと感じる」

――当時の部員とは今でも親交等はあるか。
「当然大学野球部の仲間というものは、特に同期は苦楽を共にした仲間ですので、いまだに会えば40年以上前の、大学に入ったころの思い出が鮮明に思い出される。それくらい人生の中でも印象に残る時を一緒に過ごした仲間でありますので、いまだに交流もありますし、言葉を交わさなくても通じ合うものがあるなと感じる」

――つらい経験を乗り越えると、団結感は生まれるのか。
「そうですね、皆さんも同じだと思う。何か一つの大きな目標に向かって取り組み、なにか目標を達成するときは簡単なものではないので、みんなで一緒に乗り越えるところに絆は生まれてくる。道中が厳しければ厳しいほど達成した時の喜びは大きくなる。道中の苦しみや厳しさの多さが実は絆の深さにつながってくると思う」

――野球部時代の目標は何だったか。
「野球部の目標は“優勝”でした。日本一になることだった。我々は1年の春に優勝して以来しばらく優勝というものがなかった。強豪復活という点では、やはり優勝。グランドスラムは取れなかったが、最後の神宮大会で準優勝、そのような意味では目標を達成できたと思う」

――長年プロ野球に携わってきた中で、印象に残る試合や出来事は何があるか
「例えば守備の日本記録を作ったり、出塁率のタイトルを取ったり、ベストナイン・ゴールデングラブを獲得したことはある。だが選手としては優勝できなかったという悔いが大きい。選手時代もケガをしたり何度もそのようなことを乗り越えたり、メンタルトレーニングやウエイトトレーニングに取り組むなど新しいことに挑戦する、何か道を切り開くといった個人としては様々なことをできたが、チームとしては優勝できなかったという悔いが残っている。指導者となってから2006年ファイターズが40年ぶりに日本一になった時は、プロ野球生活の中でも印象深い」

――ともに戦ったプロ野球選手の中で印象に残っている選手はいるか。
「大谷翔平は衝撃的だった。世の中にはこんな選手もいるのかと感じた」

――海外でのコーチ経験もあるが言語の壁など困ったことはあったのか。
「そりゃ困った。(学生時代に)英語を沢山やったわけでは無かった。英語を学んでおけばよかったなという後悔はあった。だができないなりに勉強した。つたない英語でコミュニケーションをとりながら『コミュニケーションというものは取れていくものだな』と感じた。言葉だけでないコミュニケーションはたくさんある。言葉が通じないからこそ通じるものもある。確かに言葉も大事だけれど人と人とのつながりは言葉だけでなく、人と人とのあり方という部分で人間は繋がっていくので、大事なのはそのような部分だなと感じた」

――白井さんは大学時代にどのような自分になりたかったのか。
「大学時代は将来プロ野球選手になりたいというものはあった。色々な意味で世の中に影響力を残せるような人間になりたいというものはどんどん強くなっていった」

――最後に、今の駒大生・野球部に伝えたいことは何か。
「人はなりたい自分にしかなれない。逆に言うとそうなりたいと感じたらなれるということ。大学時代というのは自分がどうなりたいのか、どのような人生を送りたいのか、生涯何をしていきたいのか、そこが明確になることが大学時代で大事なことだし、人生にとっても大事なことだと思う。やはり“願望の明確化”というものを探し求めることが大学時代だと思う。そのようなものが定まると良いと思う」



◆白井一幸(60)
駒澤大学卒。1983年、ドラフト1位で日本ハムファイターズ入団。96年現役引退。翌年にニューヨーク・ヤンキースへコーチ留学。2000年から8年間、日本ハム・コーチ。08年ロイヤルズ特別コーチを経て、11、12年はDeNAで指導。14年から日本ハムの内野守備・走塁兼作戦担当し、17年限りで退任。2021年、侍ジャパンヘッドコーチに就任することが発表された。

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