• 後日、4年生全員で引退試合を行った=駒澤大学硬式野球部グラウンドで(中川達夫撮影)

  • 引退直後、完封した上野を中心に笑顔を見せる投手陣

【引退特集】苦しみ抜いた4年間を振り返る~後輩たちに神宮の舞台を残し4年生引退(前編)

[硬式野球部](2019年11月25日 21時06分)

東都大学野球秋季1部2部入替戦対拓大戦が11月9日、10日に明治神宮球場で行われ、2連勝し1部残留を決めた。この試合をもって4年生は引退。安堵と悔しさ、そして寂しさを表情にたたえながらも、引退を迎え晴れやかな表情を見せていた選手らに駒大硬式野球部としての4年間について話を聞いた。

◆鈴木 大智主将(法4)※就職先は王子製紙
「(今の率直な気持ちは)2期連続で入替戦になって、2部に落ちるかもしれないという状況でやってきた。正直不安や心配は大きかったが、それら引っくるめて、無事に終われたこと、ちゃんと来年に繋げた形で終われたことに安心している。(神宮を残して終わることができた)僕らが1年生、2年生までは2部でやっていた。1部の方が良いというのは見に染みて感じるものがあったし、僕が個人的に後輩みんなを好きなので、1部で野球をやって欲しいと思っていた。(最後ベンチでは涙も見られたが)安心感もあるが、終わったんだな、もうみんなと一緒に野球をやることはないんだなという寂しさ。後輩とも、同期とも野球するのは今日が最後。最後の神宮なんだなと。(社会人チームは)愛知県の王子製紙。愛知に帰ります。(東都リーグはどのような場所か)隙を見せたら負けるし、少しでも甘さがあると勝てない場所。これでもかというくらい練習しないと勝てない場所でもある。周りのレベルが高いことで、自分自身としても、チームとしてもレベルアップできるリーグが東都だと思う。(駒大野球部とは)入学したときは、正直辞めたいなと思ったこともある。練習や上下関係、ルールが厳しかったので、続けられるか心配だった。でも今となってみれば、朝起きてから夜寝るまで、みんなが家族みたいに一緒にいてくれる。常に誰かがいてくれる。アットホームというか、暖かい場所だなと思う。後輩にしてもタメにしても、『大智、大智』と僕を頼ってくれるみんながいた。それに嬉しさを感じていたし、応えようと頑張っていた。それが無くなってしまうと思うと寂しい。キャプテンをやれて良かったし、みんながついてきてくれて良かった。最後まで頑張って良かった。(試合に出られなかったことに対しては)けがもあったが、出たいというもどかしさはずっと感じていた。悔しかったが、前田が『大智さんの分も』と頑張ってくれていた。前田には感謝の気持ちしかない。ありがとうという気持ちでいっぱい。(最後のシーズンは)自分が出ていない分色々なことが見えた。特に4年生。菅、平野はスタメンとして出ていたが、同期がヒットやタイムリーを打っているのを見ると、いつもの倍嬉しさがあった。(同期にメッセージは)みんな個性豊かで色んな奴がいた。相手するのも大変だったが(笑)、僕が言ったこと、したことに対して最後まで前向きに向き合ってくれた。誰も道を外さず、最後まで硬式野球をやってくれて、僕に着いてきてくれてありがとう。(試合に出られなかった4年生には)試合に出ていないやつ、メンバーに入っていないやつが多かったが、それをほったらかしにしていたらチームにならない。毎回ミーティングをして、前を向いて、一つのことをしっかりやろうと声をかけた。道を逸れることなく…時にはあったかもしれないが、ちゃんと野球やって、引退するまで頑張ろうよという話をした。現に4年生は応援も来てくれた。みんなには感謝しかない」

◆上野 翔太郎副将(現4)※就職先は三菱日立パワーシステムズ
「(引退した気持ちは)最後の最後でやっとチームに貢献できたが、それまではあまり手応えのない3年間だった。100%やり切ったとは言えないが、この4年間はいい経験だったと思う。次のステージで生かしたい。(4年間は)社会に出るためにいろいろ自信がついたし、野球での挫折も経験した。ただ、もう少し濃い4年間にできたかなという気持ちはある。(最後の1年は)幹部に選ばれた時、正直僕が幹部になっていいのか自分の中で疑問はあったが、みんなが投票で選んでくれたので責任を持ってやっていこうと思った。でも、春でいい結果を残せなくて、幹部として、4年生として、ピッチャーキャプテンとして、こんなことでいいのかと悩んだ。秋は最後なので、開き直るというか『これで終わりなんだから、やるだけやってだめだったらそこまでだし、最後ちゃんとやり切ろう』という気持ちで、夏のオープン戦に臨んだ。実戦の中でだんだん自分のスタイルを掴めてきて、その自信をつけられたことが秋のリーグ戦や入替戦につながった。ちゃんと自分とも野球とも向き合えた1年間だったと思う。(最後のシーズンは)自分自身順調にいけたところもあるが、亜細亜の2戦目は悔しいの一言。信頼があって、後ろで任せてもらった起用だったので、1ー0で逃げ切りたい場面であれ(登板直後に一挙5失点)をしてしまったのはこの秋の後悔した部分。(印象に残っている試合、場面は)嬉しかったのは東洋から勝ち点を取った瞬間(今季対東洋大3回戦)。悪かったのは今言った亜細亜の2回戦。(東都は)実力が全てじゃなくて、チーム力だったり、監督がよく言う『執念』だったり、1部でも2部でも強いチームがあって、どこが勝ってもおかしくない、一筋縄ではいかないリーグ。本当に生半可な気持ちで入れるところじゃない。(監督から言われて印象に残っていることは)春は戦力になりきれていないと感じていた。秋は後ろの大事な場面で『いつでも行ける準備しとけ』と言われた時に、監督の信頼を得られてその言葉が出てきていると思ったので、信頼されるのはすごく嬉しかったし、意気に感じた。(進路は)三菱日立パワーシステムズ。(後輩に伝えたいことは)今年1年入替戦、入替戦ですごく大変だったが、残留できたのは強いところだと思う。来年は優勝争いに加わってほしいし、優勝決定戦を期待している。(同期に伝えたいことは)本当に4年間辛かったと思うが、一緒に苦しいことも乗り越えてきたし、こんな僕を幹部に選んでくれたみんなには感謝している。大智も1年間1番頑張ったのを近くで見ているし、感謝しかない。これまでも横のつながりを大切にしていきたい。(駒大硬式野球部とは)僕の中の大学生のイメージは自分自身に任されて緩い感じだったが、実際はそんなことはなくて、本当に厳しいところだった。レベルが高くて、野球も考えないといけないし、自分の思っていた大学野球とは180°違った。厳しいところだったけど、その中で得るものも大きかったし、これからにつながっていくと思うので、いい経験をさせてもらった。いい大学に入ったと思う」

◆平野 英丸副将(地4)※就職先はJR東海
「(引退した実感は)そんなに(ない)。朝の体操とか出なくていいというのはある。(楽になったな、などは)現役の選手もまだ休み。後輩が起きて練習してるのを見ると感じるのかなと思う。(試合が終わった瞬間は)翔太郎がいいピッチングしてて、最後の最後はいい感じですっきりして負われたと思う。(自身にも適時打が出たが)たまたまだと思う(笑)。でもなんとかしようというのはあった。春秋両方入替戦で、4年生として責任はあると思っていた。残留して次につなごうというのはあったので、その気持ちが出てくれたと思う。(2季連続の入替戦は)気持ち的にはそんなに。前向きだった。練習もいつも以上に走り込んだりした。これくらいやればと言う気持ちで練習していたので、不安などはなかった。(4年間を振り返って)全国からいろんな選手が集まってきて、ライバルが多い。後攻の時は県内が多かったが、全国から選手が集まるのを初めて経験して、いろんな選手がいて、その中で競争を勝ち抜いていかなければならない。1年目は仕事が多くてそんなに野球に気が行かないというか。2年生になってからは『ここでメンバーに入らなければ』と思って体作りから初めて、それで2年の春最後くらいから出してもらった。そのときのコーチの新垣さんは自分のことを推してくれていて。色々と教えてもらった。新垣さんがいたからできたと思うことは多い。1部に昇格して、去年は優勝決定戦もあった。最後の年は逆に1部を守る立場にもなった。優勝したかったが、それでもいい経験させてもらったなと思う。(4年生として過ごした1年間は)結構あっという間に1年が終わった。最上級生で、姿で引っ張っていかなきゃいけないというか。副将にもなって、自分は口で後輩に言うタイプではないのでプレーで示そうというのがあって。練習に取り組む姿勢とかでついてきてくれればいいなというのはあったので練習とかは意識していた。春は自分でも結果でなくて、あれだけ打てなかったというのは初めてかもしれない。それでも根気強く自分でやっていたこと信じて『いつか絶対報われる』と思っていたら春の入替戦ですこし報われて。夏も秋に向けてずっと自分の中で追い込んでやってきて最終的にはベストナインとれて、チームにも貢献できて、内容の濃い1年だった。(最後の秋は)あっという間。一戦一戦戦って、それで終わっちゃったと言う気持ち。秋はグラウンドもできて、夏みんなでやりこんでそれでも勝てなくて何で勝てないんだろうと思ったが、みんな一生懸命やっていて入替戦でああいった試合ができて良かった。(印象に残っている試合阿)2つある。1つは2年の秋、2部の時初戦の国士舘戦。2-0で負けてて、次の回確かワンナウト一塁で回ってきて、2球目をホームラン打って、そのまま引き分けで終わっちゃったけどなんとか追いついた試合。もう1つは専修との試合で、確か第4戦目まで言った時の。最初大敗して次で引き分けで、その後勝って4戦目。その4戦目の10回だったかな。ワンナウト満塁から犠飛でサヨナラ勝ちできて。自分の中でチームに貢献できたと思っている試合。そういうのも新垣さんが見てくれていて、自分を推してくれていたと思う。(指導者から言われて印象に残っている言葉は)新垣さんには『お前は勝負強いという良さがあるから自身持って行け』と言われて、四年目もその言葉を信じて打席に立っていたというのはある。ただ、チャンスで打席が回ってくるだけで自分ひとりじゃない。たまたまランナーがいる時に打てただけ。でも受け身になっても負けるだけだから、向かっていくというかここでやるぞという強い気持ちにはなる。(自分にとって東都リーグとは)どこが優勝してもおかしくない面白いリーグだと思う。周りの大学も上手な選手ばかりで負けたくないと思うし、入替戦もあるし、気が抜けない。こういうリーグで戦うというのは他では経験できないし、昨年はプロに行った選手とも対戦できた。それは今後に生きるとすごく思う。(同期に伝えたいことなどは)自分の代はあんまり勝てなくて、負けた試合ばっかりで申し訳なかった。それでも一生懸命応援してくれて、支えられてきたと思う。試合に出てる4年生は少なかったけれどよくサポートしてくれたなと思う。(試合に出場している選手としての気持ちは)出させてもらっている以上、打つ打たないではなくしっかりしなきゃというのはあった。大智もベンチで自分に声かけてくれたし。一生懸命やることが大事なのかなと思う。(後輩たちに)3年生から出てる選手が多い。自分たちが後輩に1部を残すことができたので、優勝してほしい。特に成瀬は高校の後輩で。自主練の手伝いずっとしてくれて。成瀬のおかげで打てたというか。自分が打つと成瀬も喜んでくれたから、今度はあいつが神宮で活躍してもらいたいなと思う。同じ部屋でも合ったし、伝えることはつたえてきたんで来年試合に出て活躍してほしいと思う。(駒大野球部はどんなところか)仲間と協力し合うというか。個性強いんですよみんな。高校時代以上に協調性があったと思う。厳しいこともみんなで乗り越えて、団結力が高まったと思う。OBの人がすごいなとも思う。上下関係が厳しいとかよく聞くと思うけど、先輩から教えてもらったりするし、いい意味でしっかりいていると思う。伝統や歴史のある大学だからこそそういうことができると思う。なかなかこういう大学には入れない。こういうところで試合にも出させてもらって感謝です」

◆菅 力也副将(商4)※就職先は三菱重工広島
「(引退した実感は)ある。すごい暇。自主練で練習もしてるけど。とりあえず最高に暇。ほぼ寝てる。(どんな4年間だったか)なんだろう。激しかった。環境の変化というか、急にメンバー入ったから。入れるかもとかいう手応えも前触れもなく急に『明日からメンバーだから』みたいな。2年のキャンプ終わって、キャンプに行ってないメンバーと紅白戦やるのを監督が見ていて。その日の夜ご飯食べに行ってて。そしたら『監督室に呼ばれてるよ』と電話がかかってきて。最初『マッサージして』っていわれて、世間話してたら『明日からメンバー入って頑張って』みたいな。そのときの感情も激しいし。監督にはかなり怒られた。その経験があって良かったと思う。(最上級生として過ごした最後の1年は)楽しかったけど・・・なんて言えばいいんだろう。試合出れたから楽しかった。試合に出れると思っていなかったから。外野守るなんて思ってなかったし。(ポジションや役割がたくさん変わった1年だったが)大変だったけど、やった役割すべてが想像の上いった(出来だった)と思う。いい方には転がってくれていたと思う。守備就けと言われて怖かったけど、一度立てばやってやればいいと思っていた。守備に就いても怖がっていては絶対エラーする。これからの野球人生で生かされるかなと思う。最初の打順がたとえ8番とかでも、打てば打順上がるんだろと思っていた。自分の実力が人からの評価だから。打てばいいんだろと言う気持ちでいたし、そう思えるまで練習した。(最後の秋は)あんまり記憶にない。春はまだ覚えてる方なんだけど・・・秋はあんまり覚えてない。何でだろ。本当に勝てればいいと思っていた自分のこと関係なく。シーズン前は国学戦取れば優勝狙えると思っていたけど落としちゃったし、中央落として自力無くなった。それがいちばん悔しかった。みんないばれんように泣いてた。ばれてたかもしれないけど(笑)。(打撃では春より振るわなかったが)そこはあんまり気にしてなかった。四球とかあって出塁率あがったし。13四死球だったかな。チームに対しては貢献できてたと思う。(リーグ戦、東洋には勝ち点を取れたが最初に国学中央と当たってしまった。順番的な難しさはあったか)あー・・・先に立正とかと試合したかったな。相性悪いから。亜細亜はもったいないなと思ってしまう。勝ちたかった試合だった。(印象に残っている場面は)いっぱいあるなあ。日通に大敗したオープン戦かな。あれしかない。リーグ戦は自分の中で全部思い出だから。日通戦はあのスコアもだし、試合中に意識飛びそうになった。これやばいどうする?みたいな。終わった後監督も『誤ってこい』って言ってたから相手ベンチ前で全員で謝って。それが社会人相手なら当たり前だけど勝負師として屈辱的で惨めだった。なんかわかんないけど涙出てきて、ぱっと横見たら(鈴木)大智も泣いてるし。キャプテンにもこんなことさせて申し訳ないなと思った。そのとき適時打も打ったけど16-4とかでもう全然。リーグ戦は打席でめちゃくちゃキャッチャーとしゃべるからね。次の球種とか聞いたりして(笑)。打席はめちゃくちゃ楽しいよ。(東都リーグとは自分にとってどんなところ)戦国。戦国すぎる。(入学当時の東都リーグの印象は)もともと東都リーグに生きたかった。六大に行きたいといった願望はなくて。高校の先輩とかも東都リーグが多くて、うまい人は東都リーグにいけるような雰囲気があった。俺が高校時代に『日本一の大学に行きたいです』って言ったら『今年日本一になるから見とけよ』っていわれて。そしたら江越さん(大賀、現阪神タイガース)たちの代で本当に日本一になって『かっこいい!速攻で行きますって返事してください』と頼んでという感じ。でも入試の1週間前に2部落ちちゃって『あれ、どうしよ』と思ったけど。日本一になれなかったのは心残り。日本一になりたくて(駒大に)来たから。(対戦した投手で打てないなと感じた投手は)打てそうで打てないなと思っていたのは高橋礼さん(専修大卒、現福岡ソフトバンクホークス)。プロ行くと言われていた人だったけど、自分が多崎さんとか好きだったから絶対打てると思っていたけど全く打てなくて。でも専修戦でたくさん使ってもらってたから10打席位対戦してて、最後の最後でようやく打てた。その後まろが犠打でサヨナラした試合だよ。(指導者から言われて印象に残っている言葉は)いっぱいあるけど、大倉監督が一番かなあ。なんかね、怒られたりしても『すみませんもう1回お願いします』と素直に心から言えるかどうかがすごく大事だと思う。悔しいけど、悔しさを何かにぶつけるとかじゃなく、自分もそれを認めて、声を出し続ける。大倉監督は常に明るく明るくという考えの人だから。その考え方は、自分の中でいろんな事に当てはまると思った。どれだけ苦しい状況でも、自分の力で乗り越えなきゃいけないことは絶対あるから、そういう力をつけてもらったと思う。(副将になって、つらかったことは)副将としてつらかったことは無かったけど、もっとチームのためにできることはあったのかなという後悔はある。(副将就任当時、目標を聞いたら『日本一とかでかいこと言えないからな』と言っていたが)現実見てたと思う。でもリーグ戦始まったらちょっと夢見てた。でも本当に当時は『なりますよ』なんてことは言えないなと思ってた。でも春終わってからは本当に日本一になりたかったしなれると思ってた。オープン戦も調子よかったし。(後輩たちにメッセージは)日本一になってほしいですね。あとは広島の奴には頑張ってほしい。(前田)研輝、新田(旬希)、(佐藤)勇治と。引っ張っていってほしいね。(同期になにか伝えたいことは)しんどかったねって。本当にずっとしんどかった。(自身にとって駒大野球部とは)なんだろう・・・成長できる場所。野球も、人間的な面も両方。」

◆酒井 元己学生コーチ(法4)※就職先はJFE商事鉄鋼建材株式会社
「(今の気持ちは)2部落ちしたくないと思っていたので、勝てて嬉しい気持ちもあったが、実際4年間が終わったんだなと思うと、複雑な気持ちだった。(4年間は)下級生の頃から先輩にたっぷり可愛がってもらった(苦笑)。それでも尊敬できる、ついていきたいと思える先輩が多かった。同期もそうだし、後輩にも恵まれた。仲間に恵まれた4年間だった。(最後の1年は)正直学生コーチはやりたくはなかった。新垣さんから言われた時に『考えさせてください』と時間もらって、いろいろな人に相談した。選手だった先輩とかは『野球をやりに来たんだから、選手やった方がいい』と言う人もいたが、2つ上の学生コーチの石田(猛人)さんから『やった方がいいよ。絶対後からよかったと思えるよ』と言われて、やることに決めた。石田さんは同じキャッチャーでついていっていた先輩で、4年生で学生コーチになってチームを引っ張っていた姿を見ていたので、石田さんのようにチームの力になるのもありかなと思った。春はグラウンドが工事中で落ち着いて野球ができなかった。メンバーだけが移動して練習ということが多くて、チームがいつもよりまとまりづらかったと思う。しんどかったが、最後はやってよかったと思えたので、いい1年間だった。(最後の秋は)春はオープン戦から全然勝てなくて、内容もひどかった。リーグ戦もあと1つが勝てなくて勝ち点0で最下位だったが、入替戦を経験し、夏のオープン戦を戦っていく中でチームの勝ち方が見えてきた。みんな秋は戦えると思って開幕したが、初っ端で国学、中央に勝ち点を落とした。秋も同じなのかなという雰囲気になったが、東洋で勝ち点を取れた。でも、そこからまた負けた。春よりいけると思っていた分、やりきれなかった気持ちが強い。春より秋の方が悔しいシーズンだった。(印象に残っている試合、場面は)4年生しかベンチに入っていないが、同期の木下のホームラン(今春対中大1回戦)と東のホームラン(今春対立正大2回戦)、マロの専修戦のホームラン(今春入替戦2回戦)と大智のタイムリー(今春入替戦1、2回戦)。4年生が打ったところはよく覚えている。ベンチから飛び出していきたいぐらい(笑)。学生コーチなので飛び出せなかったが、感動した。(東都は)最初は2部でも全然勝てなくて、2部でもこんなにレベルが高いんだと思った。日本一になりたいと思って入ってきたが、1年生の時は1部に上がることすら想像できなかった。大倉監督が来て1部に上がれて、1部も見て、改めてレベルが高いと思った。最近は地方も強いので、全国大会で負けることもあるが、東都の代表としてしのぎを削った仲間達にはやっぱり勝ってほしい。勝たないといけないリーグなんだと思った。(監督から言われて印象に残っていることは)学生コーチになる時に『ピッチャー担当で、ピッチャー陣をまとめてくれ』と言われた。どうしても去年や一昨年に比べて経験不足や力不足なところがあって、こういう結果になってあまり力になれなかったと思う。声をかけてもらったのに、悔しい。(進路は)JFE商事鉄鋼建材。2つ上の水之江さんがいるところ。(後輩に伝えたいことは)1つ下とは濃い時間を過ごしてきた。2季連続入替戦で踏ん張れたのは3年生の力も大きかった。来年はこの悔しさを晴らして優勝してほしい。(同期に一言)いろいろな場所に散ると思うが、社会人で野球を続ける人が都市対抗に出たら絶対見に行くし、みんなで頻繁に集れたらと思う。駒大の生活が終わるのは辛いが、関係が終わるわけじゃないので、これからもよろしくって感じ。(駒大硬式野球部は)想像以上にきつかった。もうこんな思いはもうたくさん(笑)。戻りたくはない(笑)。けど、楽しいこともたくさんあったし、いい仲間にも出会えた。いろいろな人とのつながりができたのが財産だと思う。(最後に言い残したことは)3年生のB軍戦で、(1学年上の高橋)成さんと『B戦で1.5kgバットを使おう』と話していた。結局成さんがいる間に使えなかったので、それが駒大での唯一の悔い」

◆勝嵜 靖泰学生コーチ(経4)※就職先は株式会社矢場とん(矢場とんブースターズ)
「(引退して今の気持ちは)正直あんまり実感はない。(最後の1年はどんな1年だったか)相当悩んだというか、自分がプレーできない状況で勝てないことに不甲斐なさを感じた。何をどうすれば勝てるのかなど、自分がグラウンドに立てない分悔しさをぶつけるところがないと言うか。それをどう乗り越えるかというのがこの1年一番心に来たこと。(4年間で印象に残っている場面は)やっぱり4年の春秋、入替戦かな・・・それ以外だと1部に昇格したとき、入替戦前の最終戦で米満さんがセンターでフェンスにぶつかりながら捕球したシーンは鮮明に覚えている。けど自分たちの代のことのほうが印象深い。あの(上野)翔太郎の完封とか。高校が同じ愛知県で甲子園の予選も見に行ったりしていて。雲の上のような存在だったのに、同じチームには入れて、最後はあんなに活躍してくれた。本当に嬉しかったし、4年前からしたら信じられない。(最後の試合は上野投手が抑えて平野選手が打ってと4年生で決めたが)それが良かった。平野は入替戦に強いから(笑)。(指導者から言われて印象に残った言葉は)この言葉というのはないが、新垣さんの影響力はすごかったと思う。3年間一緒にやってきて、新垣さんの選手への思いの強さというのは本当にすごい。100人いる中で100人に目を配ってコミュニケーションとっているんだと思う。すごい人だったんだと思う。自分がイップスで悩んだときも新垣さんに相談してすごい親身になって聞いてもらったし、学生コーチになるときも話をした。(東都リーグはどんなところだったか)失策、バント失敗、四球、など一つのミスで野球が決まるんだなと思った。リーグ内のレベルが拮抗している。そういうレベルが近い中での戦いをしたことがなかった。高校では経験できなかった。(同期へのメッセージは)本当に感謝。田舎の端くれから出てきた奴なのに。最初の方はスーパースターたちの中で負い目感じながらやっていたけど。そんなメンバーと4年間過ごして本当に仲良くなれたし、いい仲間が持てたなと思う。(後輩たちにつたえたいことは)結果としては日本一取ってほしいなと言うのがあるが、後輩たち個人が自分自身として悔いのない結果に終わってくれたらと思う。日本一取ってくれと言うとメンバーがどうこうとなってしまう。メンバー外にもメンバー外なりに4年間やってきていることもあるので、それを形にしてほしいと思う。(駒大野球部とは自分にとってどんなところか)今までの人生で一番濃い時間だったし、これからの人生でも一番濃い4年間になると思う。就職すればまた違う思うことがあるだろうけど、上級生に挙がったときの喜びはすごかったし、4年で2回も入替戦やったし。4年だったけど、本当に4年だったのか、本当は10年だったのか、はたまたもしかしたらたった1年だったのかもという感じ(笑)。」

◆東 凛太朗(政4)※就職先はライズネット株式会社(ゴリラクリニック)
「(今の気持ちは)寂しい。3年生以下が頑張ってくれて、助けてもらった。(4年間は)楽しかったので、寂しい。硬式野球はもうやらないので、もうちょい頑張れたかなとも思う。(この1年は)4年生は出ている人が少なくて、3年生以下に助けられた。申し訳ないと思う。(最後の秋は)いろいろあった。(印象に残る場面は)当たったの(今秋対東洋大1回戦での守備妨害)と、打ったの(今秋対亜大1回戦でのサヨナラ打)。悔しさをバネにして。(東都とは)楽しかった。(監督に言われて印象に残っていることは)全部。感謝しかない。(進路は)軟式野球のゴリラクリニック。(後輩に伝えたいことは)優勝してほしい。(同期に一言)ありがとう。(駒大野球部は)いい人ばかりで楽しい」

◆久堀 耕平(法4)※就職先はオールフロンティア
「(引退した今の気持ちは)ホッとした気持ちが1番。最後に4年生が投げて4年生が打って、勝てたので悔いはない。いい経験だったと思う。(4年間は)今までの人生で1番濃い4年間だった。仲間だったり、上下関係だったり、何を取っても忘れられない時間だったと思う。(4年生としての1年間は)ずっとメンバーに入ったり、投げさせてもらっていたのに、結果を残せずチームに迷惑ばかりかけた。監督や裕也さん(林裕也コーチ)にもいろいろアドバイスをもらったりしたのに、最終的にああいう形で終わってしまったのは悔かった。ただ、1年生の時は神宮のマウンドで投げられるとは思っていなかったので、自分の中で成長したとは思う。(最後の秋は)自分の思うようにはいかなかったが、神宮で投げられた満足感があって、来年社会人でやり返そうという気持ちになった。(印象に残っている試合、場面は)2年生の時に延長15回までいった国士舘の初戦(2017年秋季対国士大1回戦、2ー2で引き分け)と、3戦目(同3回戦、延長15回にサヨナラ勝ち)。駒大らしい野球ができていたので、自分が駒大で野球をやっているのを1番実感した。(東都は)みんなが目差す場所で、学生野球のトップでなければいけない場所。(監督に言われて印象に残る言葉は)1番はやっぱり『礼明慮』。野球だったり、生活だったり、それを頭に置くのと置かないのでは全然違うと思う。これから先もなければやっていけないと思う。(進路は)オールフロンティア。(後輩に伝えたいことは)来年は優勝できるチームを作れると思う。その中でやらないといけないメンバーがもっとやらないといけないと思う。来年は日本一目指して頑張ってほしい。(同期に伝えたいことは)仕事でいろいろ喧嘩をしたり、笑ったり、あほなことをした。この4年生が人生の中で1番つながっていく友達。感謝しているし、この4年生がいたから成長できた。ありがとうという言葉。(駒大硬式野球部は)いい意味で上下関係がしっかりあって、1人1人が成長できる場所」

※後編に続く
※掲載が遅れましたことをお詫び申し上げます。

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