• 最後まで応援し続けた応援指導部ブルーペガサスと共に笑顔を見せる4年生たち=明治神宮球場で(中川達夫撮影)

  • 引退後の晴れやかな表情を見せる

【引退特集】苦しみ抜いた4年間を振り返る~後輩たちに神宮の舞台を残し4年生引退(後編)

[硬式野球部](2019年12月03日 17時17分)

東都大学野球秋季1部2部入替戦対拓大戦が11月9日、10日に明治神宮球場で行われ、2連勝し1部残留を決めた。この試合をもって4年生は引退。安堵と悔しさ、そして寂しさを表情にたたえながらも、引退を迎え晴れやかな表情を見せていた選手らに駒大硬式野球部としての4年間について話を聞いた。

◆坂本 耕太郎(商4)※就職先はライズネット(ゴリラクリニック)
「(引退の実感は)しいて言えば起床を気にしないことくらい。自分はプレーから離れていたので他の人と比べれば実感は少ないかなと思う。(春キャンプにいってないと聞いたが)監督に『どうする?』と聞かれて。就活の方と予定も被っていたし監督と話し合っていかないことにした。(どんな4年間だったか)寮生活が初めて。24時間野球のことを考えれる環境が凄く新鮮で、密度も濃かったと思う。(寮生活はどうだったか)慣れれば大丈夫だと思う。下級生のころは嫌だったりもしたが。(最上級生としての1年間は)チームを一歩引いてみると違う景色も見えたと思う。いろんなことを感じた1年間だった。活躍している選手は私生活もしっかりしていて、野球に対する熱意も違うと思った。努力できる才能というか。継続できる力があると思った。(最後の秋は)正直1、2年の時は自分のことしか考えていなかった。4年の秋になると、仲間との過ごす時間も増えて友情も深まるし、チームに対する愛情も大きかったから、みんな頑張れと思っていたし、チームのためにと思えるシーズンだった。(その心境の変化はいつごろから)野球を離れてからだと思う。やっている本人は自分の活躍もあると思うが、一線を離れてみると自分の活躍は考えなくなるから、そういうのもあるかなと思う。(選手人生に悔いは)悔いはある。やっている時は悔いを残さないようにやるが、どんなにやっても後悔は残るんだなと思う。(進路は)吉田さんがいるITのライズネットに就職する。同期の東もいます。軟式だけど、なんだかんだ野球もそこで続ける。野球を続けるみんなが羨ましいという気持ちもあって。今まで野球中心の生活だったから。(印象に残っている場面とかは)部内のことだと、上級生に上がった瞬間かなと思う。1年の時、きつすぎて『引退する時めっちゃ嬉しいんだろうな』と思ったけどあんまり今そんな気持ちではなくて、さみしさとかが大きい。その点で比べると上級に上がった時が凄い嬉しくて印象に残っている。(指導者からの言葉で印象に残っている言葉は)コーチや監督が変わると大変。指導者ではないが米満さんのことは印象に残っている。米満さんは同じ代の人から反発を受けているようにも見えたが、信念をもって言い続けた米満さんはすごいと思う。(自分にとって東都リーグとは)やっている選手としては東都じゃなくまずは駒澤の選手という意識だと思う。東都リーグを全体で見れている選手はチーム全体を見れると思う。(後輩に伝えたいことは)結果でなかった時、もう少しやれたかなと後悔する時もあると思う。きつい時もあると思うが頑張って欲しい。(同期へのメッセージは)最初は何人もやめたが、野球を通して最後はみんなが仲良くなれてよかった。最初は同期でたくさん出ている人に悔しいという思いもあったが、試合に出ている選手はそれだけたくさん練習している。それを見たら納得できた。(自分にとって駒大野球部とは)野球部ではあるけど、野球以外も凄く学べる環境。上下関係や礼儀作法など。上下関係が大変な分先輩もきちんと後輩を見てくれるし、良い意味で愛情を注いでやってくれる」

◆林 直樹(経4)
「(今の気持ちは)スッキリ、やり切った。終わったな〜という感じ。(どんな4年間だったか)辛いこともあったが横のつながりがあったので楽しかった。(4年生になってからは)
就活で忙しかった。練習を離れることが多かったがこう最後を迎えられてよかった。(最後の秋について)早いな、もう4年生の秋なのかと思うことが多かった。このままで終わるのは嫌だなという思いがあった。結局は最下位だったけど入替戦は絶対に勝とうと全員思っていた。(印象にある場面)入替戦で勝って1部昇格を決めたとき。嬉しかったイメージがある。(東都はどんなところだったか)野球のトップレベルで、すごい選手もたくさんいる一方で話してみるとけっこうフレンドリーでおもしろいところだった。(監督からの言葉で印象に残っているものは)大倉さんに4年生の4月になってから『どうなんや?』って声をかけてもらって、気にかけてもらった。心配を解いてくれて、心強かった。(進路は)野球は続けない。(後輩へ伝えたいことは)来年の優勝だけ。力はある。(同期へのメッセージは)4年間ありがとう。(駒大野球部はどんなところだったか)野球の面でも、人間の面でも成長ができる場所だった」

◆植田 雄大(法4)※就職先はNTT東日本
「(今の気持ちは)ホッとした。今まできつかったので、終わって嬉しさのがある。やっと終わったな、ホッとした。(どんな4年間だったか)下級生の時は辛かったが、野球的にはリーグ戦で投げたりと充実していた。3,4年生の時は怪我とか調子悪くてうまくいかなくて辛かったが、仲間の支えのおかげで4年間やりきれて良かった。(4年生としての1年はどうだったか)チーム的にもなかなか勝てなくて辛い時期で、自分は就活でチームを離れることが多くてチームの力になれなくて申し訳ない気持ちがあった。メンバーに入っている4年生がしっかり頑張ってくれた。感謝しかない。(最後の秋は)いけるかなって思いもあったが、そう甘くないのが東都なのかなって。長く野球をやれてよかった。(印象のあるシーンは)2年の秋の2部での農大戦。優勝がかかった試合で自分が試合を壊してしまって、負けて2タテされて優勝が危ぶまれた。先輩方たちにフォローしてもらった。最終的に優勝して昇格できたが、その試合が自分を象徴している。1番印象に深い。(東都リーグはどうだったか)本当に厳しい。レベルが高いのはわかっていたが想像以上だった。その分、充実感というか、毎日毎日が勝負だった。(監督からの言葉で印象に残っていることは)大倉さんになって試合で使ってもらえる機会が増えた。自分の武器を見つけろとアドバイスをもらった。お前の武器はこうだよって説明もしてくれてそれを実現できたことが監督との思い出。自分の武器を見つけてくれて、発揮して投げさせてもらったのが監督との思い出。(進路は)野球は続けない。礼儀やあいさつ、明るさを野球部でやってきたことを活かして、野球を続ける人にも負けないように頑張りたい。(後輩へ伝えたいことは)就活と野球を続けるのは見切りが難しいと思う。4年生の最後まで続けられるのが東都の野球。最後まで野球をやり切って頑張って欲しい。(同期へのメッセージは)下級生の時の辛い時期を一緒に乗り切ってくれてありがとう。それだけ。(駒大野球部はどんな場所か)人生で1番辛い場所だった。辛い分、成長できた場所になった」

◆武富 章剛(政4)※就職先はみずほ証券
「(今の気持ちは)後輩たちにまた神宮戦を残すことができた。入替戦までいったが日本一という夢は1部に残ったということでできるので、それが良かった。(どんな4年間だったか)最初はきつくて苦しかったがみんなと頑張っていったら段々と楽しくなった。今思えばみんなといい奴らで、最高の思い出と最高の仲間と出会えた。(4年生としての1年間は)サポーターだったがサポーターとしてやりきれたので良かった。(特に最後の秋は)秋は春の悔しい思いがあるので1部優勝を目指してやったが無理で悔しかった。けど1部に必ず残るという気持ちで練習等してそれが実際に実現できたので良かった。(印象に残っていることは試合や場面)今日の1試合が一番いい試合だったと思う。(東都は自分にとってどんな所)東京六大学とは違って神宮では1部しかできない。戦国東都という名前の通りのリーグだなと思う。(監督から言われて印象に残っていることは)いつも礼明慮と言っていたのでそれをチーム全体で守っていたし、一言一言刺さる言葉が多かった。(進路として野球は)野球は続けない。(後輩に伝えたいこと、期待すること)来年も1部で、神宮でできるということで、日本一を目指して来年こそ日本一になってビールかけをやってほしい。(同期に一言)1年から4年まで苦しいときも楽しいときもたくさんあったけど、最高の仲間に出会えて良かった。(駒大硬式野球部とはどんなもの)みんな明るく楽しいのでそれが野球の強さにも繋がっていると思う」

◆浪岡 千昌(商4)※就職先はJR北海道
「(今の気持ちは)無事に2部にも落ちず、神宮に後輩を残せたのが一番よかった。(どんな4年間だったか)1年目がやはり一番大変だった。3年生になってから試合に出始めたので、そこからは充実して時間が経つのが早かった。(4年生としての1年間は)最初は年明けてすぐに怪我をして、先発させるとか色々言われたが調子が上がらず結果が出なくて迷惑をかけた。それでもちょこちょこ使ってくれた監督さんには感謝している。(特に最後の秋は)秋の最初は見守ることしかできなかったが、東洋から勝ち点を取った時が一番嬉しかった。結果的にはビリだったが入替戦ちゃんと勝つことが出来たのでよかった。(印象に残っている試合や場面)3年の最後の優勝決定戦。1回だけ投げさせてもらったがその時の応援や雰囲気が一番印象に残っている。(東都は自分にとってどんな所)1部も2部もそんなに差がなく、戦国と言われているだけあってレベルが高い。そんな中で自分も投げることができて、通用する場面もあって改めて自信にもなったし、打たれたときは自信もなくなったりもしたが結果的には野球やってて成長できたのでよかった。(監督から言われて印象に残っていることは)たわいもないことだが、お風呂で一緒になったときまだ春始まる前でリーグ戦を挑戦してオープン戦をやるとなったときに、実戦に先発するんだからそういう期待もあるんだからその辺わかってるだろと改めて言われたときに嬉しかったのと改めて期待に答えなければならないと思った。(進路として野球は)野球は続ける。JR北海道への就職が決まった。(後輩に伝えたいこと、期待すること)東都の1部自体が本当にギリギリの試合にばかりなので、来年は今年の経験を活かして優勝してほしい。あとは怪我だけは気を付けてほしい。(同期に一言)同じ4年生のピッチャーと切磋琢磨してそれもあって成長できたのでこの同期でよかった。(駒大硬式野球部とはどんなもの)こんなに試合に出られるとは思っていなかったので、ピッチャーでいったら上野とかが甲子園に出ていて色々聞ける部分も聞いたりして一緒に成長できた。実際に投げてみてどうだったとか球速って甲子園で増すのなどたわいもない話をする。ピッチャーは普段練習するのもずっと一緒になので仲いい」

◆木下 大成(政4)
「(引退した実感は)入替戦の時に帰省していたからあまり。この間4年生で引退試合をやったので、それでやっと引退したなと言う感じ。(帰省はなにか外せない用事などは)ちょうど公務員試験だったので。ちょうどかぶってしまった。(春はベンチ入りも経験。4年生として過ごしたこの1年はどんなものか)うーん・・・。結構早かった。ただ、やっているときは長いなと思っていた。終わってみたら早いなという感じ。(試合に出場できない中でのモチベーションは)試合に出れない4年生は他にもいた。坂本や岡田と練習していた。それがよかったのかなと思う。(駒大野球部ですごした4年間はどんなものか)1、2年は下級生なんできついけど、3年になると劇的に生活が変わる(笑)。きつかったのは1、2年のときだけ。(印象に残っている場面は)2部優勝して、入替戦で勝ったときかな。それまでずっと弱かったけど、強くなって2部優勝して1部昇格っていう。そのときテープ投げたんで(笑)。それを覚えています。(自身にとって東都リーグとは)戦国東都って言葉があるけど、まさにという感じ。4年間で入替戦もかなり経験したし、負けられない、負けられない・・・本当に負けられないといった感じ。見てるだけで試合に出てないときはなんで勝てないのかなと思ったりもしたが、出てみたらそりゃあ勝てないよなと。(秋季リーグ通して感じたことなどは)春のように1戦目勝ってもまた勝てないパターンになってしまったらと思った。優勝がなくなって、最後の2カード勝てた試合を落として入替戦決まって、そこからの2週間がきつかった。入替戦というのは本当に行かない方がいい。(これからの進路は)野球は続けない。一般就職する。(後輩に伝えたいことは)我慢して頑張れってことかな。来年強いから。いいとこいけるんじゃないかなと思ってる。(同期に伝えたいことは)『4年間お疲れと』。4年間一緒にやってきたし。(自身にとって駒大野球部とは)天国も地獄も両方を見せてくれたところ。天国は神宮でホームランを打ったときです」

◆平嶺 悠斗(営4)※就職先は株式会社エコプラン
「(今の気持ちは)引退しての気持ちは、これから社会人になるんだなと思うと不安になる。(どんな4年間だったか)最初は、上下関係が大変だったが、いい思い出になった。(最後の1年は)4年間の中で1番真面目に野球に取り組んだ。これからは単位をしっかりとって卒業したい。(特に最後の秋は)春は入替戦に行ってしまったから、なんでもいいから勝ちたかった。(印象に残っている場面は)最後の試合上野翔太郎の完封、同じピッチャーとして嬉しかった。(東都リーグとは)1人1人の能力も高いしいいチームが多い。(指導者からの言葉で印象に残っていることは)西村前監督はピッチングの指導をしていただいたこと。大倉監督は、風呂で歌を歌えと言われたこと(進路は)野球を続ける。(後輩に伝えたいことは)あっという間に時間が過ぎてしまうから、やる事はやって。真面目過ぎず、遊びたいときは遊んで、頑張ってください。期待することは、できれば勝って欲しいが、勝つだけじゃなくそれ以外にも大切なことはたくさんあるから頑張れ。今の駒大昔とは違っていい伝統があると思う」

◆小林 史弥(歴4)※就職先は株式会社リコージャパン
「(今の気持ちは)長かった4年間がやっと終わったなという感じ。(どんな4年間だったか)辛いことも楽しいこともたくさんあった4年間だった。就職活動で忙しかったんですけど、練習に出た時はすごく楽しく守備に就いていた。(最後の秋は)みんな頑張っているのはわかっていたのでなんとか結果が出ないかなと思っていた。(印象に残っていることは)入替戦で翔太郎やまろ(平野)が活躍したこと。とても嬉しかった。(東都リーグとはどんな所か)フレッシュリーグしか神宮でプレーできなかったがとてもレベルが高くてとても楽しかった。(指導者からの言葉で印象に残っていることは)大倉監督に今までやってきたことに自信を持って胸を張って就活して来いと言われた。自信を持って就職活動ができた。(進路は)野球は続けない。リコージャパンで働く。(後輩へのメッセージは)1個下は特に仲が良かった。こまめに結果をチェックして活躍したらご飯にでも連れて行きたいと思う。(同期へのメッセージは)しんどい代でたくさん辞めたけど最後までやりきれたのもみんなのおかげ。感謝してます。伝統のある野球部で4年間やり切れたことを誇りに思う。めっちゃキツかったけどいい思い出」

◆東海林 稜(法4)
「(引退した実感は)ある。練習なども一気に無くなったから。(駒大野球部で過ごした4年間は)長かった。1年の頃は厳しくて、3、4年は楽しかった。1年の時は毎日やめたかった。それでも先輩とか同期とかがいたから。(最後の1年は)3年生の時は上級生になって楽しかったというのはあったけど、4年は意外とやることが多くて大変だなと思った。(最後の秋は)正直春はメンバー外で、どこか他人事のように見ていたが秋は最後なので。頑張ろうとなった。(具体的にやったことなどは)春より秋の方が応援も良かったし、練習補助やメンバーのサポートもみんなやっていたと思う。(練習補助をしている中で)最初は大変。でも春は入替戦にいってしまったというのもあり、秋は頑張ろうとなった。(印象に残っている場面は)やっぱり1年生の時。インパクトが強すぎる。とにかく違う。同じ高校の先輩から厳しいというのは聞いていたが、聞いてたのより倍はきつかった。(東都リーグは)めちゃくちゃレベルが高い。凄いと思う。自分たちの1個上は凄い強かったのにそれでも優勝できなかった。(指導者から言われて印象にのこっていることは)大倉監督は指導者とか関係なく良い人だと思う。みんなとコミュニケーションとってくれる。(進路は)一般就職になると思う。(後輩たちに伝えたいことは)レベルの高いリーグで自分たちは結果が付いて来なかったが、頑張ることに意味があるということを大事にして欲しい。(同期にメッセージは)言うこと聞かなかったりしたけど、みんな普通に接してくれた。自分たちの代はやめた人が多かったが、その中で残った20人だから、これからもこの仲は大切にしたい。みんなでがんばって励ましあってここまで続けてきたと思う。(駒大野球部は)どの野球人生よりも長かった。良くも悪くも自分の中でインパクトのある時間だった。人づきあいなどの面でも学べたし、成長できたと思う。社会に出てからも絶対に役立つこと」

◆築地 徳龍(仏4)※就職先は永平寺
「(今の気持ちは)後輩たちが来年やるので、一部残留できてよかった。(どんな4年間だったか)下級生の時とてもきつくて、卒業できると思ってなかったので、不思議な感じです(4年生として過ごした一年間はどんなものだったか)一番上だったので、責任とかも今までとは違う重みとか言われてきたので大変だった。(特に最後の秋は)春優勝できなかったので秋優勝したかった。本当に悔しい。(印象に残っている試合)春の入れ替え戦で平野がホームランを打ったところが印象に残っている。(東都とは自分にとってどんなところか)すごくレベルが高くて、全国から「この人知っている!」という人がいっぱい居るので、すごいところだと思う。(監督に言われて印象に残っていること) 部訓の『礼・明・慮』。この3つを意識して常に過ごしてきた。(進路は)家がお寺なので来年一年間修行して、実家を継ぎたいと思う。(後輩たちに伝えたいこと)4年間あっという間なので毎日大切に過ごして欲しい。(同期に伝えたいこと)1年生の時に多くの人が辞めちゃったので、残ってきた仲間たちなのでありがとうと言いたい。(駒大野球部とは)成長させてくれた場所」

◆岡田 友輝(経4)
「(今の気持ちは)勝てて嬉しい。2部に落ちなくて良かった。(どんな4年間だったか)最初は苦しいことが多かった。でも同級生と助け合いながら進んで来た4年間だった。(同期に一言)楽しいことも苦しいことも全部一緒に覚えて来たのでありがとうの一言です。(4年生として過ごしてきた1年)最上級生として寮生活や野球の面で引っ張っていかないといけない1年だったので、4年生全体で良い背中を見せられたと思う。(最後の秋について)春も入れ替え戦に行って、秋も入れ替え戦になったけど、最後ということもあって1、2、3年生は4年生のために、4年生は下級生のために絶対2部に落ちないという形でやってきてお互いやってきたのがいい形になった。(4年間で印象に残っている試合)入った時は2部だったので最後に勝って1部に昇格した時の試合(東都とは)ちょっとでも気を抜いたらすぐ2部落とされたりする厳しいリーグ。(監督に言われて印象に残っていること)色々あるけど礼・明・慮の話。小さいことも厳しく言われる方なので、大倉監督が就任してからずっと言われてきたことなので、それが印象に残っている。(後輩たちに伝えたいこと)今年一年間春、秋共に連続で入れ替え戦に出て、迷惑をかけたので入れ替え戦に行かずに優勝争いに食い込んで欲しい。(駒大野球部とは)大切な4年間を、他が経験できない4年間を経験できたので大事な4年間だった」」

◆小川 良憲(仏4)※就職先は永平寺
「(今の気持ちは)引退出来て良かった。(どんな4年間だったか)しんどい方が多かった。(4年生として過ごした1年間はどんなものだったか)春投げられたので、やり切った感じ。(特に最後の秋は)4年の集大成なのでみんなひとつになって頑張った。(東都リーグとは)高い壁。(進路は)永平寺に行って修行します。(後輩たちに伝えたいこと)1部残留したので優勝して欲しい。(同期に伝えたいこと)1年の辛い時から一緒に頑張ってきたので財産になった。(駒大野球部とは)社会に出てもしっかりした人間になれるように厳しい環境の中で成長出来る。大人になっても役に立つと思う」

※掲載が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

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