• 表彰式後に撮影した4年生の集合写真=味の素フィールド西が丘で(宮下響撮影)

【引退特集】『駒澤人であれ』を胸にチームを引っ張り続けた4年生

[サッカー部](2019年11月25日 19時56分)

11月23日に行われた関東大学サッカーリーグ戦第22節をもって引退となったサッカー部の4年生。この記事では、主将、副将、関東大学リーグ戦に登録された選手たち、主務、副務、マネージャーが語った4年間の思いなどを掲載する。

◆主将 3 星キョーワァン[矢板中央高出身]
「(4年間を振り返って)あっという間に4年間終わったな、というのが今の正直な思い。(同期への思い)自分は1年からずっとAチームで試合に出ていることが多かった。だから、同じピッチでサッカーをしてきた日数が多いかと言われればそうではないが、それでもみんなと過ごした4年間は自分にとってかけがえのない4年間になった。こういう自分の性格とかを理解した上で、みんな1年間ついてきてくれたのでそこは本当に感謝している。(後輩へメッセージ)日々の生活と同じようにサッカーも積み重ねるものだという風にいつも監督が言ってくださっている。日頃の練習や生活の積み重ねが全てピッチで出ると思うので、とにかくサッカーだけにフォーカスしないで駒澤大学体育会サッカー部の理念である「サッカーを通して人間的成長を追求する」という部分をもっと考えて、練習であったり日常の生活であったりを頑張って欲しいと思う。(4年間で一番の思い出)去年は、自分がいた4年間の中で一番試合に勝てたシーズンで、うまくいったシーズンなので、去年1年間がすごく印象に残っている。最後に日本一は取れなかったが、それまでの過程であったり1個上の先輩たちと過ごしたプライベートだったり練習だったりが毎日充実していた。(思い出に残っている試合)大学1年の時のデビュー戦が一番印象に残っている。1個上の伊勢渉さんが怪我して、試合の2日前に行くぞって言われて、結構緊張していた。でも、キーパーが抜かれた後に自分がカバーして1点防いで、そのプレーの時に緊張の糸がほぐれた。試合も3-0で勝てたので、その時相手は日体大だったがそれが大学で一番印象的。最初のスタートになった試合だったので、印象に残っている。(監督やコーチに向けての思い)監督には1年の時から試合に使ってもらっていて、自分としても成長させてもらった4年間だった。監督がいたから自分もこうしてサッカーで進路を切り広げることができた。監督や(岡田)誠史さん含め、コーチの方にはサッカーだけじゃなく人間的な部分でも成長させてもらったので、駒澤大学に来て本当に良かったと心の底から思えるような4年間だった。それを共に過ごせた監督、コーチには本当に感謝している。(思い入れのある後輩)鈴木健太っていうCチームの後輩がいるが、そいつは結構仲良くて、サッカーの話もプライベートの話もしたりして、ご飯とかもしょっちゅう行っている。自分の練習にも付き合ってくれたりしてて、そいつには期待している。他にもたくさんいるが、中でも、這い上がって来て欲しいという意味では健太が一番。(誰に一番感謝したいか)やっぱり監督。監督がいて自分も成長できたし、監督との信頼関係も築けたと自分の中では思っている。その監督に恩返しができなかったというのが今年1年の自分の後悔。それは今後のプロの世界で恩返しできるようにやっていきたい。(プロへの意気込み)大学サッカーでは正直、4年間トータルして考えてみたら、勝ったことよりも負けた試合の方が多く印象に残っている。とにかく大学サッカーで勝てなかった相手全員に勝てるように、くらいの意気込みでやっていきたい。(キャプテンをやって良かったこと、大変だったこと)キャプテンをやって、自分としては悩んだ1年間だったが、それもかけがえのない1年間だったということを感じる。特に最後の1年はいろんなことを考えて行動して、悩んで苦しんだが、その中でも人間的に成長できた部分は自分でもすごく感じているのでそこは良かった。あとは怪我とかしでチームを空けてしまったりして、チームが勝てていなかったときは自分としても何かしたいけど出来ないようなもどかしさは感じていた。その時が大変だった。(次のキャプテンに向けて)キャプテンをやるというのは簡単なことではないので、やるからには覚悟を持ってやってもらいたい。やったら悩んだり苦しんだりすることもあるけど、絶対に最後はやって良かったと思えるので、やることになったやつには自信を持ってやって欲しい。(駒大サッカー部を一言で表すと)『秋田浩一』駒大は秋田浩一監督が長年かけて作ってきたチームで、監督がいるから今のチームがあって自分たちもいるので、駒澤大学を象徴するのはやっぱり秋田浩一監督かなと思う」

◆副将 8 横山 玄徳[千葉U-18出身]
「(4年間を振り返って)4年間を振り返って、人間として男として成長できた。(どのような点が成長したのか)受け入れる力がついた。許せるというか、自分の中の許容範囲が増えた。自分の中で噛み砕いて、ポジティブに捕らえられるようになったと思う。(副将としての1年間を振り返って)苦しい時期が多かった。大した結果は残せなかったので、結果よりも苦しんだ過程が…これまで経験したことがないくらい勝てなかったし、その中で必死にもがいて諦めないことは自分でもびっくりするくらい感覚を研ぎ澄ましてやれた。結果が出なかったのは悲しいけど、どんな状況でもブレずにやれる力は副将をやってついたと思う。(首脳陣での自身の役割は)他の副キャプテンに比べたら、自分のやるべきことがわかりやすかった。自分はプレーで示す立場にいたので、とにかくプレーで駒大の理念を体現することが自分の役割。他の2人は本当に苦労したと思うので、自分は楽な立場にいた。(選手としての4年間は)すごい質問だ…(笑)過去一で動けた。自分の体に無理がきくようになった。集中力はすごく伸びた。準備からかもしれないけど、とにかく集中力がついた。(Twitter上では有名なカメラマンさんがピンポイントに応援してくれていたが)めちゃめちゃありがたい。星キョーワァンやTJ(高橋潤哉)ならわかるけど、俺を推してくれた。本当にありがたくて、毎週楽しみにしてくれている人がいるのを感じたので、中途半端なプレーはできないというところで自分にとってプラスだった。プロってこういうことなのかなって思った。自分たちは1000円の入場料がかかるけど、ある意味無償。プロの選手は対価を払ってその人の試合を見にいく。それを少し味わえて、ポジティブな責任感が生まれた。まあでもあげる写真の顔面のクオリティが…(笑)でも、めちゃくちゃありがたかったです。(印象に残っている試合は)今は実感がないので、もっと思考したいけど、今の気持ちで言えば法政戦。でも、個人的には前期の立正戦が好き。絶対に勝てない前期と周りから言われていて、降格候補とも言われた。開幕戦も全然ダメで、マジで食い止めなくてはいけないと思っていた。自分も関東リーグでそれまで勝てていなかったので、勝ちに付加価値がついていた。いろいろな思いが詰まった1勝だった。(法政戦は号泣するほど感情を爆発させていたが)泣いてないけどね(笑)苦しんだ分、自分で言うのもなんだけど必死にやっていた。やっていても結果が出ない時期だったから、残留という結果がついてきてホッとした気持ちがあったし、それにもいろいろな付加価値がある。(同期への想いは)今年1年はスタンドに矢崎合がいて、同じ副キャプテンとして彼が苦しそうなのは感じていた。がんばらなくてはいけないなと常に思わせてくれた。練習も必死にみんなで走って苦しい思いをしたので、一生関わっていきたい。(後輩へのメッセージ)難しいなあ…。とにかく伝わる人には伝わって欲しいけど、駒大は『頑張る、戦う、走る、諦めない』だから、それをどんな時もブラさないで欲しい。(特に思い入れのある後輩は)中間、田中、大網、薬真寺、安元、村上、そこら辺かな。2年生本当に好き、マジで頑張って欲しい。荒木、猪俣、江﨑、土信田、宮崎鴻、桧山!後輩たちは本当に強いと思う。だから、そのためにもいいように今年を捉えて欲しい。サッカーの記事で読んだんだけど、『サッカーって結果だけ見たらつまらない』って。その内容というか過程を示せていたらいいけど、感じ取って次に生かして欲しい。(監督やコーチへの想いは)このインタビュー深いな…。監督は本当に申し訳ないという気持ちが一番にくる。それでも最後に使い続けてくれた。最後の方には個人的に話す機会もあって、『最近のお前のプレーには感動する』と言われたりして、泣きそうになったし、試合前にはその言葉に奮い立たされた。男として、指導者として、モチベーターとしてめちゃくちゃ尊敬している。駒大の監督ミーティングは、駒大に来て良かったと思える一番のポイントだと思う。駒大しか味わえないところを味わせてくれた監督には本当に感謝。スタッフの皆さんにも感謝していて、特に水摩さんには感謝している。(岡田)誠史さんもマジでめちゃくちゃだけど、人間味溢れるいい人。その人たちのもとでサッカーができたことは幸せ。頑張っている人は見捨てないという文化が駒大にあるから、それは今後も続けて欲しい駒大のいいところ。(今後は)本当どうなるんでしょうね。今年の目標が『今年1年でサッカーをやり切る』というところだったので。法政戦でそれまで不完全燃焼だった気持ちがあったけど、自分のサッカーを出せた。結果も1勝できたので。まだ未定です。これまでサッカーしかやってこなかったので、サッカーしかない。周りと話し合って行こうと思う。(誰に感謝したいか)多すぎるな…。まずは親。昨日も負けたのに見に来てくれた。基盤を支えてくれたので、親がいなければこの最高のチームに出会えていないので。(駒大サッカー部を一言で表すなら)出た〜!これね。これは昨日も有祥とかと話した。これだけは話した。多分有祥は『秋田浩一』って言ってる。でもそれしかないので『秋田浩一』駒大サッカー部を一から作り上げた。それまでは荒んだ部活という話を聞いて、それを監督が立て直した。自分たちはその基盤に乗らせてもらっているので『秋田浩一』」

◆副将 12 竹上 有祥[駒大高出身]
「(4年間を振り返って)あっという間だった。(副将としての1年を振り返って)何が正解かわからないまま手探りの状態で色々なことにチャレンジして、結果としてそれが間違っていたのかもしれないし、あっていたのかもしれない。それはわからないが、自分も(横山)玄徳も(矢崎)合も出せるものは全て出し切ったと思う。充実感というかやりきった感はある。(駒高から7年間駒澤で過ごして)中学3年生の練習会で駒高の練習会に行っていなかったらこんなに素晴らしい仲間と素晴らしい環境と素晴らしい指導者に出会うことはなかった。本当にいい思いも苦い思いもさせてもらえた7年間だった。(同期への思い)一言で、大好き。(思い入れのある後輩)いっぱいいる。駒高の人はみんな。特に今年色々あって矢崎とかには来年頑張ってほしいと思う。個人的に2年生をすごくかわいがっていたので、(江崎)巧朗とか(荒木)駿太とか(猪俣)主真とか土信田とかそこらへんのやつにはビックになってほしい。(後輩に対しての気遣いについて)自分は(星)キョーワァンとか玄徳みたいにプレーで引っ張っていける人ではなかったので、後輩たちがどれだけ気持ちよく練習とかできるかなと思ったときにその環境を作るのは4年だと思っていたし、それは自分の役目だと思っていた。よく見せようではないけれど、一人ひとりにストーリーというか背景があって、頑張れていない人にもその背景がある。そういうのを全て否定するのではなく見てあげようと思っていたら自然と絡めるようになった。(後輩へメッセージ)監督のサッカー、駒大のサッカーが一番素晴らしいということを4年間で学んでほしい。(思い出に残っている試合)個人的には前期の流経大戦。関東リーグに初めて出た試合。それまでは天皇杯予選とか少しだけ試合に出てはいたが、関東リーグで初めて出られて、玄徳と「関東リーグで一緒に出よう」という話をしていたのでそれが叶って嬉しかった。(一番の思い出は)3年から4年に上がるときに主務副務を決める会議があって、自分も少し迷っているときがあった。そのときに玄徳に「お前はプレイヤーとして続けてくれ」と言われたときは少し涙が出た(笑)これが一番記憶に残っている。(監督、コーチへの思い)監督は間違いなく駒大の象徴。最後の試合で(自分を)使ってくれてたくさん期待してくれていたのに期待に応えられなかったのがものすごく悔しい。(岡田)誠史さんはみんなに厳しいことを言うが自分にはあまり厳しい言葉はかけてこなくて、逆にそれが信頼かなと思った。この人のために頑張ろうと思えた人だった。深井さんは1年という短い時間だったが、すごく信頼してくれて深井さんのためにも頑張りたかったがそれが叶わなくて悔しい。テツさん(岩本コーチ)とはスカウティングで色々迷惑をかけて1、2、3年生のときはテツさんに教わっていたのでとてもお世話になった。みんないいスタッフだと思う。(感謝したい人は)お母さんに感謝したい。(今後の進路)社会人になる。マエタケ(前田武勇)と同じ会社で人材系の会社に就職する。(駒大サッカー部を一言を表すと)『秋田浩一』駒大サッカー部は監督が作り上げてきた究極のサッカーの組織。これ以外の言葉では表せない」

◆副将 矢崎 合[帝京大可児高出身]
「(4年間を振り返って)入学が決まってサッカー部の入部が決まった時には想像できないくらい濃い4年間だった。(副将としての1年間を振り返って)形上ではあるけど、チームの上に立つ身として『日本一』という目標を達成するステージに立てなかったことに責任を感じている。(首脳陣の中における自身の役割は)副キャプテンを決める時点で、タメのやつらといろいろ話した。その中でも竹上有祥とかアツいタイプの奴がいた。自分で言うのも変だけど、冷静に一歩引いたところから周りを見るのは首脳陣の中での役割だと思う。外から見る目というのは意識してやっていた。(選手としての4年間を振り返って)入学した時から『いつか関東リーグの地に立ちたい』と思っていて、4年生になる時も卒業までに出たいという気持ちがあった。副将としてやっていく中で、いいのか悪いのかはわからないけど『チームが日本一になれるんだったら、ふさわしいメンバーに入れないならそれはそれでいい』と思っていた。自分が試合に出るよりも、出ないで勝ちにつながるならそれでいいと夏ぐらいから思っていた。別に諦めていたわけではないが、そっちの思いの方がだんだん強くなってきたと思う。(同期へのメッセージは)自分は性格上、プライベートで遊んだり濃い絡みをするタイプではないし、感情を表に出さないタイプ。でも、確実に自分が生きてきた中で、今後の人生に影響を与えてくれて、一生付き合って行ける仲間だと思う。感謝しかない。(後輩たちにメッセージを)去年はいい結果が出て今年もやろうという中で、自分たちが不甲斐ない結果になってしまった。自分たちを踏み台にしていくらでも上に上がっていって欲しい。(特に頑張って欲しい後輩は)米田大介とかには頑張って欲しいし、アマエシオーゴヌス黎はBチームで一緒にやっていて、能力があると思う。トップチームに絡んで点をとって欲しいと思う。(印象に残っている試合は)後期の法政戦。勝ててなかった中で勝ったので、自分の中で初めて出ていない試合で涙が不意に出た。それだけチームとして印象に残る試合になった。残留も決まった試合だったので。(応援をリードしているのが目立っていたが)自分はAチームではなく、できることが少ない。応援は勝つ上で必要なので、自分の役割として4年としても副将としても先頭になってやろうと思った。勝ちたい気持ちが強かったので、少しでも力になれるように頑張った。(監督やコーチへの想いは)駒澤のスタッフ陣は、サッカーだけではなく人間性を大事にしてくれる。この4年間で学んだことは死ぬまで一生教訓になって、心に残っていく。選手としてどれくらい成長できたかはわからないが、人間としては一回りも二回りも成長できたと思う。(今後は)今のところあまりない。サッカーに今まで注いだ情熱を社会人として発揮できればいいと思う。駒澤の応援には日程が合えば行きたいので、見る側に回ると思う。(サッカー人生を通して誰に感謝したいか)家族。小学校5年生からサッカーを始めた中で、お金もだいぶかかったし、家族の時間を削って応援とか送迎をしてもらった。自分のサッカーの予定があるから、自分を中心とした生活にしてもらった。そのおかげでサッカーに打ち込めたので、感謝しかない。これからの人生で今までのサッカー人生の恩返しができるように頑張りたい。(駒大サッカー部を一言で表すと)『最強の人間教育の場』男として、人間として、サッカー選手としても大きくなれると思う。鍛錬の場として一番いいところだと思うので」

◆1 松村 優太郎[長崎総科大附高出身]
「(4年間を振り返って)正直2年の時は1年間サッカーやってないので4年間はサッカーやってないが、とても濃い4年間だった。高校時代だったらずっと試合に出ていたが、大学では出れないときもあったし、そういうところは困ったというか、それも含めて濃い4年間だった。(同期への思い)この学年で良かったなと思うのと、感謝の気持ちしかない。(後輩に向けて)今年、大臣杯は出れたがなかなか良い結果も出ず初戦敗退して、後期リーグ戦も勝てなくて、残留は決まったが、インカレも出れなかった。来年はまず大臣杯から良い成績取って、インカレでは優勝してほしい。(一番の思い出)つい最近だが、残留を決めれたのは嬉しかった。後期なかなか勝てない時に法政相手に2-0で勝ったのも嬉しかったし、みんな4年の意地が出たかなという試合であの試合は本当に嬉しかった。(監督やコーチに向けて)こんなわがままなやつを試合に使ってくれて感謝というか、本当にそういう気持ち。(以前、思い入れのある後輩に長崎総附の後輩を挙げられていたが後輩に向けて)今、各学年に1人以上いるので、来年は全員出て欲しい。(薬真寺)孝弥、(荒木)駿太に関しては今も出ているけど、残りの2人はまだ出れていないので試合に絡んで全員で出て欲しい。(一番感謝したい人)監督。怒られても我慢して(試合に)使ってくれるところもそうだし、監督は自分たちのことを思って言ってくれる。そういう大学は無いと思うのでこの大学に来て良かったとつくづく思う。(今後の進路について)はっきりではないので何も言えない、じきに決まると思う。(駒大サッカー部を一言で表すと)『感謝』この大学には本当に感謝していて、仲間にもそうだしスタッフ含め大学に関わってくれる人たちのおかげで自分らはサッカーができているので、簡単に言ったら感謝。(怪我などもあり苦労された4年間だったと思うが)結構苦しんだ4年間で、怪我もあって2年の時は丸々1年間やっていなくて3年の時も怪我したし、4年の時も途中で怪我したので丸々サッカーできたのは1年のときくらいで、苦しかったと言えば苦しかった。でも、そういうときは仲間だったり他のやつらが頑張っていて、そういうところを見たら自分も頑張れたので、腐ることなくやれた」

◆2 深見 侑生[駒大高出身]
「(4年間を振り返って)濃かった。最初飛ばしすぎたかなと思う。最初に結構張り切りすぎて、4年間そのモチベーションを保てなかった。やっぱり程よくやっていかないと自分は力尽きるな、ということを経験した。(同期への思い)駒大だと学年で、ってよりかはカテゴリーとかで下の学年とかと関わることが多かったので、同期ってよりはこの駒大全員に対してみんな好き。後輩とかも好きなので。(後輩へのメッセージ)まずは駒高のやつらには頑張って欲しいなと思う。矢崎と泰盛くらいしか試合に関わってるのがいないので、しんとか三浦とか高野とか本当に頑張って欲しいなって思うのと、結構メンバーは揃ってると思うので今年行けなかったインカレ、総理大臣杯に向けて頑張って欲しい。(駒大サッカー部での一番の思い出)部室の時間が好きだった。部室でみんなで他愛もない会話をする時間が楽しかった。(思い出に残っている試合)今年の前期で筑波大に1-5で負けた試合が一番印象に残っている。初戦だったので絶対勝ちたかったが、最初1点取って結構自分のところからやられたりして5失点して、結構対策は取ったつもりだったがそれでもやられてしまった。あれはめちゃくちゃ悔しい試合で、自分自身もっとやらなきゃなと思えた試合だったので。あれは本当に悔しかった。(監督、コーチへの思い)監督には、こんな自分でも見捨てずにみんなと同じように接してくれたりして、本当に感謝している。監督から結構学ぶことも多かったので、今後の社会にそれを活かせたらなと思うのと、コーチには結構キツいこととかも言われたりしても、それでも嫌いになれないというか(岡田)誠史さんの人間性だと思う。なんか、そういう人になりたいなと思えるような人だった。あとのコーチにもお世話になったが、特に誠史さんと監督には本当に感謝している。(思い入れのある後輩)いっぱいいる。駒高(出身の選手)には頑張ってほしいのと、米田(大介)とか小幡とかも最初は全然ダメだったが、本当に変わって一生懸命やるようになった。期待大な1個下の代なので、頑張って欲しい。(一番感謝したい人)一番は監督。監督に感謝したい。(今後の進路)就活をして、という感じ。どこに行くかはまだ決まっていない。(駒大サッカー部を一言で表すと)『成長』人間的に成長できたと思う。(駒高から7年間駒澤で過ごしたが)高校のときは規律、規律、規律...で硬いチームだったが、駒大ではそこら辺は自分の裁量に任されている。あまり硬くないというか、駒大の方が硬いのかなと思っていたが、自由なところが多くて最初は驚いた。(駒高の選手と試合に出れるときの思い)一番一緒に長い時間いて、一番見てきたので特に思ったことはないが、潜在的に何か感じているのかなとは思う。これと言って駒高からやってきたから、という感じはない。みんな同じような感じだったので」

◆9 高橋 潤哉[山形ユース出身]
「4年間を振り返って)すごく充実していた。率直に来て良かったと思っている。でも、結果として見たら悔しいことが多かったし、チームに全然貢献できなかった。サッカー人生が続くので、これを糧にして選手としても人間としても成長しなければいけないと思う。この大学を選んだことは良かったと思うし、同期を含めてこの大学で出会えた人に会えたことに一番価値があると思う。(同期への想いは)すごく楽しかった思い出しかない。思い出や時間を共有してもらえて感謝しかないし、これからはサッカー部のチームメイトじゃなくて、1人の人間としてつながっていきたい。(後輩へのメッセージを)影響を与えたり、その人たちにとってプラスな影響を与えられたかどうかはわからないけど、後輩たちから学ばせてもらうことも多かった。そういう意味では感謝したい。これからも俺はサッカーを続けていくので、何かいい影響を与えたいし、刺激をもらえるいい関係になりたい。(思い入れのある後輩は)大網友也は唯一、一番長く過ごした。あいつも俺の後を追って駒大に来てくれたと聞いているので、すごく嬉しい。来年はあいつなりにチームに貢献したり、愚直に頑張るやつなのは知っているから、どんな結果になろうともずっと応援していたい。あとは、俺もあいつに刺激やいい影響を与えられるように頑張りたい。ユースの時からこういう関係を築いていきたいと互いに思っていたので、ありがとうという気持ちが大きい。(2年次からチームのエースとして活躍してきたが)ユースの時は自分勝手だったし、井の中の蛙だった。守備もしていないし、点をとって貢献していた。ここに来て守備もチャンスメークも求められたし、大きく成長できた。多くの点が取れなかった中で2、3年は特にチャンスメークの部分を考えていなかったし、求められている部分に向き合えていなかった。4年になってその部分に目を向けた時に点が取れなくなった。自分の武器を生かすところに目を向けられなかったので、3年間かけて試合で経験させてもらったからこそ、次のステージに繋がる。監督が使ってくれたことに感謝しなくてはいけない思いと、もっと点を決められる、違いを作れる選手にならないといけないと感じた。(一番印象に残っている試合は)インカレの準決勝で勝った時。その時のみんなの喜びようが、泣きそうになるくらいすごかった。その反面、インカレはずっと控えだったからそういう意味でも印象に残っている。(監督やコーチへの想いは)コーチは面白かった。今まで出会ったことのないタイプのコーチだったし、サッカーのこと以上に…サッカーのことあんまり教わってないかも(笑)自分にとって、でも、深井さんが来たのは、いろいろ教えてもらって成長できたし、1年間だけだったけど、普段はあまり話さなかったけど、あの人が指示していることから感じることもあった。岡田誠史さんとザキさん(石崎コーチ)は面白かったし。テツさん(岩本コーチ)は1年生の時にお世話になった。あの人が僕のチームに対してどんな働きをしなければいけないか何度も伝えてくれた。感謝している。(監督には怒られてきたと思うが)監督にはいろいろ怒られて、多分いまだに俺がプロに行くことも納得していないんじゃないかと思う(笑)監督の考え方とか、サッカー以上に1人の人間としてどうあるべきかという考え方は次元が違うなと感じていた。監督がどういう風にチームを作りたいかということを伝えられたのがほとんどだった。他の大学の人と関わることもあったから違いも見て取れたけど、駒大生は人への思いやりもすごく感じるし、『チームのため』ということを行動で示す人も多くいる。それを見ると監督の思いは伝わっていると思う。(僕たちが)結果を出せなかったのは実力不足だけど、監督の思いは伝わったのではないかと俺は勝手に思った。(山形でどういう選手を目指したいか)勝った時とかに、応援してくれる人とチームメイトでみんなが一緒に喜ぶことがスポーツの一番の価値だと思う。チームで常に点をとって勝たせられるストライカーにならなくてはいけない。常に2桁得点を取って点に絡むことができれば嬉しいけど、目の前の試合で点を決めてチームに貢献できるストライカーになりたい。そのためには頑張らなくてはいけない。そういう風にサッカーは思わせてくれるから、向上心を持って取り組みたい。数字の目標はないけど、そういう考え方は持っている(山形のサポーターは大学時代もずっと応援してくれていたが)本当に自分が見える人もそうだし、見えていない人でも、『ずっと応援してくれました』って声をかけてくれる人もいたし、『戻ってきてくれて嬉しい』と言ってくれる人もいた。モンテディオに貢献したいという思いもより一層生まれたので、これからも頑張りたい。(誰に感謝したいか)もういっぱいいるからなあ…。俺は親かな。周りは結果次第でいろいろ言うけれど、親は良い時にはすごく喜んでくれるし、悪くても支えてくれた。そう言う意味では親かな。(駒大サッカー部を一言で表すなら)みんなそう言ってるから言いづらいけど、俺も『秋田浩一』しかないと思う。行き着く先はそこにある。あきらめないとか、一生懸命仲間のために、とか言葉で表すことはいくらでもできるけど、その先には監督がいる。『秋田浩一』しかない!来年からみんなそうなるんじゃない?俺が印象に残っているのは渡邉黎生さん(18年卒)が『愛』って言っていたこと。それも印象に残っているんだけど、その先には秋田浩一がいる」

◆11 森本 ヒマン[矢板中央高出身]
「(これまでを振り返って)自分的には未熟だった自分を大きく成長させてくれる機会を多く与えてくれたのが駒澤大学だったと思っている。(今年になってメンバーに入ることが多かったと思うが)なかなか自分的に駒澤大学のサッカーを受け入れることがあまりできなかったが、それでも監督が自分のことを使ってくれてもっと貢献できればと思っていたが、後期くらいから落ちてしまって点も取れなくなってしまった。それに関しては反省しなければいけないなと思った。(同期への思い)後期はスタメンとかで一緒に出場する時間が増えたと思うが、なかなか出る機会がなかったので悔いはある。(思い入れのある後輩は)真下瑞都。高校時代から一緒にやってきて、出場する機会も多くあった。(真下の)ロングスローからの得点が高校時代もあって、大学で1回できたので思い出に残っている。(後輩へメッセージ)駒澤のサッカーはかなりシンプルで単調な部分もあるが、やり続ければ監督の言う人間的成長の部分はやっていくうちに見えてくるものなので、信じてやり続けてほしい。(一番の思い出は)Aチームで行ったトルコ遠征。結構体格が良くて、そういう選手たちと戦う機会がなかったので思い出に残っている。(思い出に残っている試合は)最近だが、法大戦。4年連続で勝てていなくて、後期は1勝もしてなくてその中で2−0で勝てたことはとても嬉しかった。(監督、コーチへ)監督やコーチが言ってくれたことは社会に出て生かせる部分がたくさんあると思うので、そういった部分をこれから先に生かしていきたい。(感謝したい人は)一番は秋田監督。未熟だった自分をまだまだだがここまで大きく成長させてくれたので存在は大きい。(駒大サッカー部を一言で表すと)『魂』技術戦術ではなくて、駒澤大学のサッカー部は人の気持ちを動かすサッカーなので、そういった部分で『魂』というのは大きいと思う」

◆15 藤田 比呂[札幌大谷高出身]
「(4年間を振り返って)駒大に入ってよかったと思っている。4年間で葛藤が多かった。1、2年はGIOCOやIリーグで試合に出ている中で、自分は技術がなくて走りしかない状況で試合に出させてもらっていた。本当に自分が試合に出ていいのかと思うことがあった。その葛藤の中で、4年になってトップチームに上がって、自分に技術がない分周りがサポートをしてくれた。その時にありがたみを感じていて、運動量や守備で頑張るとか、自分にできることをやろうと思った。それは駒大でしかできなかったので、駒大にきて本当によかった。(葛藤の中で得られた充実感はあったか)試合に勝った時は本当に嬉しくて、アミノバイタルカップの筑波大戦は、リーグ戦に負けている相手に全員で粘り強く守備をして勝った時はすごく嬉しかった。(同期への思いは)この同期で良かったと思う。特に(横山)玄徳と(竹上)有祥は一緒に練習をしてすごく刺激をもらった。同期にはアツいやつが多くて、その熱量に巻き込まれていってモチベーション高くやれた。同期には感謝です。(後輩に向けてメッセージ)今年は後期に結果が出なくて、(岡田)誠史さんもよく言っていたのは『(4年生を)反面教師にしろ』ということ。俺らの代を反面教師にして今年より良い成績を残して欲しいと思う。(中でも思い入れのある後輩は)大網友也ですね。来年は主務になると思うけど、信じてやる思いが強いと思うので、いろいろな悩みや葛藤があると思うけど、それを乗り越えて頑張って欲しいと思う。(今後の進路は)一般企業に就職して頑張る。(駒大4年間で今後の人生に生かしたいこと)仲間のためにとか、会社で言えば会社のためにとか、人のために力を発揮できる人間になりたい。(誰に一番感謝したいか)秋田浩一監督。ミーティングの1回1回が自分の心に刺さる。『サッカーで負けても男で勝て』とか、『サッカーは子供を大人にして、大人を紳士にする』という言葉が刺さって人間的に成長させてもらった。本当に感謝している。(駒大サッカー部を一言で表すなら)『ファミリー』強い絆で結ばれていると思うので、これからもつながっていくと思うので」

◆16 加々美 文斗[鎮西高出身]
「(4年間を振り返って)色々苦しいこともあったけど、最後4年として結果はあまり残せなかったが、最後まで自分の力を出し切れたかなと思う。(同期への思い)チームを一番に考えてくれる人が多くて、そんなみんなの頑張る姿勢に自分は救われてきた。(後輩へメッセージ)秋田監督が言っているように、最後まで男として諦めずに戦うということ、仲間とチームのために戦うというところを絶対忘れずに。勝ち負けも大事だけど、それよりも人として人間としてもっと大事なものもあるので、それをもっと大切にしてほしいと思う。(4年間で一番の思い出)今季の一番最初の筑波大との開幕戦で初めて(トップチームで)出場して、それが自分にとっての一番の思い出。チームとしては最終節で自分たちの思うような満足のいくゲームはできなかったが、それでも最後まで戦えたというのが自分にとってもチームにとっても思い出。(思い出に残っている試合)開幕戦の筑波大戦。1‐5で負けたが、それでも最後まで全員がボールを追ったりとか、監督から言われていることを表現できたというのが正直、いいチームだなと自分で思った。(監督やコーチへの思い)一番は、秋田監督への感謝の気持ちが大きい。サッカーよりも大切なものをこの4年間でたくさん教えてもらって、チームとか仲間の大切さとか、支えてくれる人へのありがたみや感謝の気持ちとかをすごく教わった。本当に秋田監督には一番感謝してるし、コーチ陣にもたくさん支えてもらって、いろんなきついメニューとかもあったけど、コーチとか監督誰1人として最後まで諦めることなくインカレを目指して最後まで戦ってくれたというのは、とても幸せなことで感謝している。(思い入れのある後輩)藤原拓海。一緒にこの1年やってきて脚速いし能力も高い選手だが、きっとあまり努力はしてこなかった選手で、それでも最後の最後は頑張ろうとしてるのは伝わってきたので、来年彼にはもっと努力してもっと監督の言っていることを理解して欲しい。期待しているので応援したいと思う。(一番感謝したい人)一番はやっぱり秋田監督。この4年間というか、サッカー人生で一番といっていいくらいお世話になった監督で、自分にとって恩師で、サッカーよりも大切なものをたくさん教えてくれたので一番感謝している。(今後の進路について)まだちゃんとは決まっていないが、留学しようと思っている。引退して、これからどんどん明確にしていくつもり。(4年目でトップチームデビューをされたが)自分は1年生の時に一番下のチームから始まって、本当は3年生の内にはトップチームにいたかったが、4年生までにメンバーに入りたい、試合に出たい、活躍したい、と思っていてそれがこの4年目で叶ったというのは大きなことで、自分にとっても少しは報われた部分があると思う。(駒大サッカー部を一言で表すと)家族というか、ファミリー。『秋田ファミリー』」

◆17 前田 武勇[広島ユース出身]
「(4年間を振り返って)いろいろありましたね〜。1年の最初の頃はAチームにいたんですけど、そこから当時の主務さんとかと色々あり…Cチームまで落ちて腐りきっていた。自分の思い通りにいかない日々が2年生まで続いていた。2年は新人戦に絡んでいて、1年生の時の積み重ねがなかったから怪我が多かった。結局復帰しても1年生の頃に戻ってCチームにいた。3年生になって気持ちを入れ替えてやろうと思ったけど、調子が良くなったところで前十字靭帯を怪我してしまった。その怪我が苦しかったけど、今年の夏前に復帰できて、ずっと出たかった関東リーグに出られた。大臣杯を入れて11試合くらいメンバーに入って、もっと出たかったけどそこに出られたのは嬉しかった。(思い入れに残っている試合は)後期リーグの明治戦。自分がメンバーに入って実は1回も勝っていない。勝ちを味わいたかったけど、あの試合は一番みんなで声かけあって最後まで体を投げ出して守れて、気持ちが見せられた試合なので印象に残っている。(同期に向けての思いは)1年生の時に自分は休部して寮を抜け出している。寮生には、戻ってきてこんな自分でも仲間として受け入れてくれて、試合に出ると応援してくれて感謝しかない。自宅生も仲が良くて、応援の声は聞くだけで涙が出そうになるくらい感動していた。いい仲間です、感謝。(後輩に向けてメッセージ)現状、能力があるのにCチームでくすぶっている選手がいる。こんな俺でも、ずっとCチームにいて怪我をしても、復帰して頑張れば試合に出られる。諦めずにきっかけを見つけて、自分が変われれば試合に出られるチャンスはある。やめたり諦めたりせずに、頑張って欲しい。(広島出身組が多い印象ですが)俺、(加藤)心、タカ(中間俊亘)、森内(幸祐)、トモ(北村友和)と…あと誰かいたっけな。広島組の中では、タカが中学の時から一番可愛がってたくらいの後輩。中学はサンフレッチェ広島のジュニアユースだったので。駒大に来て一緒に試合に出た時はマジで嬉しかった。前泊の部屋とかも一緒で(笑)今年は試合にも絡んでいて、そもそも腐るタイプではないので全力でやってくれると思う。後の広島組はパッとしないですけど(笑)森内とかは持っているものがあるので、駒大サッカーと監督の言っていることを理解して自分の強みを活かせば良いと思うので、頑張って欲しい。(ユース出身だからこそ体育会で感じたことは)最初は本当にこいつら何やってんだ?と思ってた(笑)先輩とかもパスコース作らないし、ユースでやってきたことを僕はやろうというか、そういう感覚でいたので、全く違う感覚だった。それで上と言い合うこともあったけど、それも良い経験だった。駒大に来たかぎりは監督の言うことが絶対というか、それを体現するしかない。それに気づけたのも駒大だったからだし。人間的にも、昔はすぐキレたりやめたりしてたガキみたいなところもあった。関東リーグに出た時は声を出したりして、だいぶ大人になった。この大学に来てよかったと思う。(監督・コーチへの想いは)監督は自分が1年生の時に辞めたいと言いに行ったら、1週間時間をくれた。帰ってきた時も1時間くらい話をしてくれた。3年生の面談は1時間40分くらい話したのかな…一番長くいろいろ話せた。こんな俺でも最後まで気にしてくれた。テツさん(岩本哲也コーチ)は、GIOCOの時に呼ばれて自分はテツさんの前で正座しちゃった(笑)呼ばれて、これはやべえと思って正座してしまった(笑)テツさんにも『正座したのはお前くらいしかいない』と言われた笑い話。岡田誠史さんにも『変わった』と言ってもらえたので、自分を大人にしてくれて感謝です。みんなに変わったと言われることは嬉しいし、成長が感じられる。ありがたい。(今後はサッカーを続けるか)膝のこともあるので、もう一度手術をしてボルトを取るかもしれないので、しばらく離れる。もしもう一回やりたくなったら、社会人とかで軽く汗を流そうかなと思う。(誰に一番感謝したいか)もちろん親。お金も全部自分で出せない中で出してくれて、スパイクがなくなったら買ってくれて、遠征費も何も言わずに出してくれた。高校の時は広島にいたので試合も見せられていたけど、大学は4年まで見せられなかった。それでも何も言わずに支援してくれた。4年生に入って、明治戦と立正戦に来てくれた。立正戦は大敗したけど、親にサッカーしているところを見せられて良かった。(駒大サッカー部とは)『絆』あんだけ走って苦しい思いをして、学年を超えた絆は強いはず。『徹底』とかにしようとしたけど、ありきたりかなって(笑)」

◆21 八木 大政[熊本ユース出身]
「(4年間を振り返って)自分は実質3年間くらいだが、楽しかった。(なかなか試合に出られない日が続いたと思うが)去年は試合に出られなくてもベンチには入っていて、自分なりの緊張感を持ってやれていた。今年は最初の方はベンチに入っていたがそれからは試合に絡めなくなった。現実を突きつけられた感はあったけれど、受け入れてやっていた。仕方ないなという気持ちもあった。(ユース出身として大学サッカーを通じて感じたこと)駒大の練習に参加もしていなかったし、一般で入ってきたのでどんな感じかわからなかったが、「走る」ということは聞いていた。サッカーのスタイルはユースがつなぐスタイルだと。最初は難しいところだったし、慣れないところもあった。走るサッカーなのできつかったけど、今になったら走り楽しかったなと思う。(同期への思い)どちらかというと後輩といることが多かったが、みんなが思っているより僕はみんなのことが大好きだし、表にはあまり出さないけど、みんなとサッカーやって楽しかったし同期がいたからきつい走りも走れたし応援してくれた。そのおかげで試合も頑張れた。卒業しても一緒にいたい。(思い入れのある後輩は)2年生の野中。あいつが来てから結構一緒にいた。普通に自分の話を聞いてくれて、一方的に聞いてくれたこともあったし、向こうも悩みとかを話してくれた。そういうことを口にできる彼がいて気持ちが楽になった。あいつもそれで頑張ってくれれば良いなと思う。(思い出に残っている試合)去年初めて試合に出た時。今振り返っても鮮明に覚えていて、そのとき勝ちがなかったが勝って終われた。チームとしても普通に勝った時よりも格別だった。(サッカー部で過ごした中での思い出)練習中にコーチに怒られたこと。田舎から出てきて遊びたいなという気持ちもあった。岡田コーチとか監督とかには結構怒られて、最初は嫌だなあと思っていたがあれがあの人たちなりの愛情なんだなと思った。怒られるのがいつの日か光栄というか、気にかけてくれているんだなと思えるようになった。(感謝したい人)感謝したい人はロアッソ(熊本ユース)の時の人やこれまでの指導者。親にも感謝しているが、一番感謝したい人となると高校の時のコーチや監督。こっちにきて色々あって調子が良くないときとかに連絡してくれた。今年もなかなか試合に出れないときに電話してくれたりグラウンドに来て声をかけてくれた。それに応えようと思ったし、そのおかげで頑張れた。(駒大サッカー部を一言で表すなら)一言…難しいなあ(笑)例えるなら『映画』自分もそうだが試合を見ると興奮するし感動する。ベンチから見ている方が多かったが、鳥肌が立つ瞬間もあったし嬉しかったりした。なおかつ4年間で、長編映画のような感じだった。怒られた時も褒められた時も泣いた時もあってそういうのを含めて『映画』のような感じだった」

◆主務 茂呂 駿佑[八千代松陰高出身]
「(4年間を振り返って)縁あってこの大学に入れて体育会サッカー部でやれたこと、出会いに感謝している。自分の場合だと4年目でサッカーを辞めて主務という決断をして、まずその決断に対して後悔はない。4年間全体を振り返ると、特に最後の1年はやり残したことが多い。もっとまとまった組織とかチーム作りをしたかったという思いはある。だから主務としての役割としては、自分の力不足というか試行錯誤が足りなかったなと思う。(同期への思い)もうちょっとやって欲しかったというのが率直な思い。インカレに出たいとか、日本一になりたいという目標を何人が本気で思っていたかというのを自分に問うて欲しい。それを含めて来年4年生になる人たち、そのチームの色になる一番上が強い志や高い志を持ってやれば自ずとチームはいい雰囲気になってやれると思う。そういうことをやって欲しい。(後輩に向けて)監督が求めていることへの選手の理解というのが今年も乏しかった。監督が求めていることと、中の選手がそれに対してやることのギャップをいかに埋めるかが大切だと思う。そのためにはAチームに上がることが最低条件になる。そういう意味で言うと、本気で練習していれば見てくれている人はいるから、努力を積み重ねていって欲しい。(4年間で一番の思い出)(今年の)後期の法大戦。法政戦は求めていたものがチームとしてできていた。応援も含め運営とか全てがまとまってワンチームになっていて、中にいた選手もずっと勝ちがない中で次も負けるんじゃないかと周りからも言われてたと思うけど、そういうプレッシャーの中でも負けずに駒澤らしいサッカーができたからあの勝利は本当に嬉しかった。控室に帰ってくる時もみんな泣き合っていて、あれは本当に嬉しかったし一番感動した。(監督やコーチへの思い)本当に申し訳ない。主務として監督やコーチと接していた時間は確実に僕が一番多いと思うので、いろんな思いも知っているしプライベートの話もするし、この大学にかける思いとかOBの方の話も聞くし、そういう話を聞くと本当に申し訳なかったと思う。こういう結果になってしまって。やっぱりもっと学生が主体的にこの大学のやるべきこと、サッカーだけじゃなくて人としての成長だとかそう言うところをもうちょっと受け入れて学生が理解してやれればもうちょっといい結果、最低でもインカレ出場はできたのかなと思う。そういう意味も込めて、パイプ役の僕の力不足かなと思う。部員も多いわけだからもうちょっと何かできたんじゃないかなと思う。(思い入れのある後輩)大網かな。来年主務をやるという意味も込めて、俺ができなかったこととかをぜひ結果として超えて欲しいと思うし、今年の改善点とかは自分もこうして方が良かったとかあるから、それを来年は活かして下にどんどん継承していって欲しい。この歴史ある大学の主務として、大役で本当に大変だと思うけど負けずに頑張って欲しい。(一番感謝したい人)監督。サッカーの監督というか自分の中のイメージで言うと人として成長させてくれるのが一番の軸であって、その通過点としてサッカーがある。サッカーを通して人間的成長をさせてくれるという環境を作ったのは監督。それを貫いて、一貫してここまでやってきたのは本当にすごいと思うし人として尊敬できる。あとは本当に忙しい方にも関わらずチーム思いで、感謝しているんだけど結果で恩返しできなくて本当に申し訳ないと思う。(今後の進路)こういう仕事をすると思う。主務みたいな、パイプ役じゃないけれどコンサルティング会社で人と人の接点になるようなことをするので、この1年は後悔ばかりなんだけどそれを活かしてやれれば良いなとは思っている。(副務へ向けて)彼の場合はサッカーをやりたいという思いがあって。それにも関わらず副務を受け入れたということに対してこの1年間やってくれて本当に感謝している。いろんな意味で能力が高い。だからもうちょっとやって欲しかったかな、という感じ。(主務をやって良かったこと、大変だったこと)特に嬉しいのは積み重ねてるけどどうしても試合に出れないとか、そういう選手に声をかけたり色々なアドバイスをして、試合に出れるようになったりするのは嬉しい。変わってくれるという意味では。大変だったことはやっぱり今年1年間を振り返ってみると、春先にある選手が何かを言われてるとする。でも、最終節に言われていることもそれ。そうなると結局1年間成長してないということになる。選手は直そうと努力をしてたにも関わらず、そう言われてしまった。これは何でかというとやっぱりそこの監督と選手の間に立つ僕の立場だと思う。僕の伝える力というか、最初の話のように求めていることとのギャップを埋めることができなかったという意味では、悔しいしそれが一番難しいのかなと思う。出ていない選手に関しては、全体で120人いて、監督のミーティングを聞けるのはAチームだけになってしまう。だから方向性がバラバラだったのが、一丸になれなかった要因かなと思う。監督も忙しい人だし、120人全員集めてミーティングというのもできない。そういう中で俺がどうやってAチーム以外の残りの子に訴えかけていくか、というのが難しいし大変だった。一人ひとりアプローチしたつもりだったが、やっぱりそこが力不足だった。(駒大サッカー部を一言で表すと)いろいろ『熱いチーム』熱量もあるし、人との絆も熱いし、暖かいチームだったし、漢字が色々あるけど熱い、暖かいチームだった。本当にいいやつばっかりだし、いいやつだけど変われないってやつもいたけど、そういう意味も込めて。監督含めて暖かい人だし」

◆副務 松橋 充希[浦和西高出身]
「(4年間を振り返って)早かった。(副務として大変だったこと)サッカーはグラウンドでプレーするものだが、副務はグラウンドで表現ができないので、みんなと喜びとか苦しみを共有するのが一歩引いた立場だったのが自分としては苦しかった。(よかったことは)監督の貴重な話を聞けたこと。チーム運営に直に携わることによっていいこともあった。(主務の茂呂さんへ)1年間ありがとう。よく頑張ったと思う。(主務との連携については)意見は言うけれど、文句は言わない。(同期への思い)できればみんなともっと試合がしたかった。長くて1ヶ月先までできたわけなので、できればインカレで優勝している姿が見たかったなとも思う。でも4年間駒大でやってこれてこの仲間とこの部活でやれたことはすごく誇りに思う。(思い入れのある後輩は)桧山。仲がいいし、いま毎日(振り返り)ノートを書かせていて、書いたら自分に送ってもらうようにしている。1日の振り返りとか今日どうだったとかそういったものを自分でノートに書いて送ってもらっている。そういうことをやったり、自主練に付き合ってあげていた。(後輩へのメッセージ)今年の4年はダメなやつが多くて、結果もダメだった。これを反面教師にして来年は同じことを繰り返さないように日々練習に励んでほしい。(後任の主務・副務に伝えたいこと)嫌になることも多いかもしれないが、それも含めて全部を受け入れることが大事。チームにいい影響を与えらえるように仕事をするのがベストだと思う。(4年間で印象に残っている試合)この前の法大戦。僕らが入学してから一度も法大に勝ったことがなかった。嬉しかったし、一生の思い出。(監督・コーチへの思い)4年間ご指導いただきありがとうございましたという感謝の気持ちでいっぱい。色々言いたいことはたくさんあるがこういうところでいうのは…(笑)。(駒大サッカー部を一言で表すとしたら)『仲間』こんなに仲間やチームのために考えさせられた期間はなかったと思うので、それが一番大きい」

◆マネージャー 中原 早絵[駒大高出身]
「(4年間を振り返って)一番言えるのはこの4年間ツライこととかもあったけれど、マネージャーをやっていてプレーできない分自分が何かをやって影響を与えてチームに貢献できたらいいなという思いはずっとあった。やっていく中で自分のやったことがうまく結果に現れなかったり、答えがわからない状況の中で考えてやっていくことで、得られた経験がたくさんあった。(駒高から7年間駒澤で過ごしたことについては)大学に入って(引き続き)マネージャーをやろうと思ったきっかけが高校3年間マネージャーをやってきて最後(3年生のときに)日本一になれなくてそれが悔しかったので、もう一度新たな挑戦として大学サッカーを通じてマネージャーとして成長したいと思いサッカー部に入った。同じ駒澤ということで、まず最初に感じたのは高校から言われていることが大学でも言われている。同じような共通理念、人間的に成長し追求するということだったり、監督の言っていることが改めて高校で言われていたことと同じところがあった。だからこそ私の心や人間的な面も駒澤のサッカーが変えてくれたと思う。(マネージャーとしてよかったことは)こんなにたくさんの部員とともに毎日同じグラウンドで成長を見れたこと。選手がけがをしていたけれど復帰してたくさん走ったり試合に出ている姿を見たり、下のカテゴリーでプレーしていた選手がトップチームに上がって生き生きとプレーしている姿を見ることなど、些細なことでも嬉しかった。逆に、悔しい思いをしている選手の姿を見ると私も何か頑張らなければとか後押ししてくれているように思えた。それらがよかったことだし、4年間続けようと思えたきっかけでもある。(大変だったことは)一番4年目が責任感もあるし、自分がもっとチームに貢献したいと思う時期でもあった。答えがない中で何かを変えなければと考える過程が大変だった。ただ、大変ではあったが、それが自分を成長させてくれたと思っている。(選手を支える立場として心がけていたことは)日々の積み重ねのコミュニケーションだと思う。理由としては、最初の方は中のいい選手や話しやすい選手などと話していたり視野が狭い時期もあったが、一度ミーティングでみんなと話したときにもっとこうしたほうがいいとか言われたことがあった。それからはもっと視野を広げて些細なことでも選手とコミュニケーションをとることを心がけた。(主務・副務との連携については)常に連絡を取り合って次の日にやることとかを確認しあっていた。予測、準備、確認は3人で心がけていた。特に(松橋)充希は頭が良くて監督の仕事とかも効率よくやってくれていたので任せていた。ちゃんと分業をすることの大切さを学んだ。できないときもあって効率が悪いなと思うときもあったが、試行錯誤しながらちゃんと分業できるように意識してやっていた。(後輩のマネージャーへのメッセージ)1年間マネージャーはわたしと(今井)雪花々の2人でやってきた。(今年)わたしが色々新たにモチベーションビデオとかを作ったが、その時間があったのは雪花々がいたおかげ。仕事を分担してできてお互い負担を分けてやっていたこともあった。来年(マネージャーが)入ってくるかもわからないが、一人で抱え込まずにたくさん選手を頼ってほしい。周りも一人だとわかっていて、見守ってくれたり優しい人もたくさんいるので、仲間を大切に日々頑張ってほしい。(監督・コーチへの思い)監督に怒られたこともあるし、すごく学ばせてもらったことがたくさんある。監督は初めてマネージャーとして入ろうと思ったときに話したことが印象的。そのときマネージャーも選手と同じように捉えてくれていて、同じ立場としてみてくれている印象があった。選手の立場と同じような立場で監督の言葉を学ばさせてもらった。サッカーのミーティングだけれども、監督の言葉からわたしも背中を押してもらったしもっとやらなきゃと奮い立たせてもらったことがたくさんあった。これから社会に出ても監督の言葉は一生忘れないと思うし、わたしの人生で何かくじけそうになったときも思い出したいと思える言葉を教えてもらった。わたしはスタッフの中でも特に(岡田)誠史さんとよく話をさせてもらって、誠史さんは練習のときに言葉的にはひどいのかもしれないが(その言葉の中に)愛情があって、いつも選手のことを思ってくれている存在だと思っていて、わたしのことも気にかけてくれた。いつもグラウンドで「いいことないかな」とつぶやいていて、それが聞けなくなるのが寂しい。お父さんみたいな存在。監督のそばにいるし、駒大のことをすごく知っている人なんだなと感じている。だからこそ引退しても会いに来たいと思う。深井さんは今年からで4年目になって初めてきたスタッフだったが、プロの経験を通じて駒澤のサッカーを言ってくれるので根拠があったり、駒澤に新たな風を吹かせてくれた人だなと思っている。監督の伝統も大切にしているが、これからの駒澤のサッカーを何百年も続けていく上では大事な人だなと思っている。これからが楽しみ。(4年間で思い出に残っている試合は)最近の試合だが、(2019年)後期の法大戦。他の試合も勝ったときとかみんなで笑いあったときもあっていい思い出だが、その時期はなかなか勝てなくて苦しかった。わたし自身も変えなければいけないなと思っていたがサッカーのことは言えないので、毎週火曜日の練習は1年生が全部準備をしてくれているが、1年生が例年より少なくて授業の関係で準備に人数がいなかったりする。でも最後だから4年生で何かしたいと思って後輩をサポートしたり歩み寄れないかと思い、火曜日の練習は4年生みんなで準備したらどうかとかちょっとしたことだが、そういうところから変えなければいけないなと思っていた。負け続けたときに(4年生で準備しようと)言って準備をして、その週末が法大戦だった。そういうのが関係あるかはわからないが、チームはただサッカーをみんなが一生懸命やるだけではなく、ピッチ外のこともみんなが気遣えるチームが強いのかなと思っている。法大戦の試合としては、(これまでの中で)一番みていて感動した。みているだけで涙が出てきそうになった。加々美とか、わたしがみてきた中で一番走っていて守備もしていて、うまいとか選別する立場ではないが、戦うという熱量や姿勢は誰でもわかるものだなと思った。みんなが一つになっていた瞬間が法大戦だと思っている。(法大には)5年ぶりに勝てたというものあって嬉しかったし、去年もインカレ決勝で負けているので、結果としても試合の過程としてもみんなのがんばりがみえたことが印象的だった。(駒大サッカー部を一言で表すとしたら)『家族』理由は、ゼミにも入っていたり色々な組織に所属している中でサッカー部はしょうもないなとかくだらないなとか思うことが多いが、わたしが戻ってきたら落ち着くのはサッカー部だなと思っている。くだらない話もできるし、わたしの大学の女子の友だち以上に4年生の同期とは毎日過ごしていたので、性別は違うけれど話していて落ち着くのはサッカー部だった。引退しても集まったり飲みに行ったりできる仲だと思っている。親密な仲という意味で『家族』を選んだ」

発行冊子最新号一覧背景(左)

サッカー部の前後のニュース

発行冊子最新号一覧背景(右)
発行冊子最新号一覧背景(左)

前後のニュース

発行冊子最新号一覧背景(右)