• 今年度全学年の集合写真=駒澤大学玉川キャンパスサッカー場で(阿部愛実撮影)

  • 前主将・大塲は最後まで走り抜き、サッカー生活の幕を閉じた

4年生お別れ試合開催!4年間共に戦った仲間と最後のプレー

[サッカー部](2019年02月17日 22時34分)

2月8日、駒澤大学玉川キャンパスサッカー場で、4年生のお別れサッカーが行われた。学年対抗で優勝を競う試合形式で、各学年の選手らがチームメイトとサッカーを楽しみ、4年生は共に戦ってきた仲間との思い出の試合になった。

以下、リーグ戦登録メンバー以外の選手のコメント。



◆坂井陸央(経4)
「(4年間振り返って)最初はとても下手くそだったが、出来ないことでも努力をすれば成長できるというのが分かった4年間だった。それが自分自身で実感して分かったので、社会に出てできないことも最初は多いと思うが、絶対にやってみればできるということが分かったのでこの4年間を思い浮かべながら困難に立ち向かっていきたいと思う。(同期への思いは)『みなさんありがとうございます』と伝えたい。一番の思い出はみんないじりあったりもするがすごく優しさを持っていて、今までやってきた中で一番いいやつらだなと思っている。(後輩への思いは)最後Iリーグ後期は全部出ることができたのでIリーグだが昔の自分からしたら結構難しいことだと思う。今プロ目指している人とか、試合に出たいと思っている人は絶対にやればそれに近づくことができると思う。自分がここまで良くなれたので他の人はもっとできると思う。なりたい自分になれると思う。(監督・コーチへの想いは)岡田誠史さんにすごく怒らたが、最終的には『地底人から這い上がってきたモグラだ』と褒めているのか、いないのか分からないような言葉をいただいた。誠史さんに褒めていただいたのでもう自分の大学サッカーは満足に終えられた。(一番感謝したいのは)やはりここまでやらせてくれた親。(Iリーグでの正ゴールキーパーとしての活躍は)自分は全く活躍がなかったと思っていて、申し訳ないなと思う部分もあるが、菊地晋平とか初見祐介とかザキさん(石崎憲昭コーチ)が今までの俺とかを見ていてくれて選んでくれたのでそこに感謝したい。(駒高からのサッカーだったが)駒澤に愛着はある。だが7年間一番上では出れていないので今後の人生で逆転していきたいと思っている。(高校から大学に入って変わったことは)プロの予備軍のレベルで、高校からは速さや強さが全然違ったので日本おトップレベルでサッカーできたことは幸せだった。(一番の思い出は)初めて20・10(走りの練習)で、一本入れた日。(福地)拓也に8本目入ってやめようと思ったがそのとき拓也に『今やめたらもったいないだろ』とその言葉で走れたので印象に残っている。(駒大サッカー部を一言で表すなら)道場。ここまで心身削って物事に取り組む集団はなかなかないと思うので」


◆信田貴裕(商4)
「(4年間を振り返って)大変なこともいろいろあったが、4年間続けてきたことで今まで得られなかった経験などをこのサッカー部で学ぶことができたので、大切な4年間になった。(キーパーは)小学4年生の頃からはじめた。父にサッカーの試合に連れて行ってもらってかっこいいなと思ったのがきっかけ。(大学を決めたきっかけ)もともと北海道のサッカーの強い大学に行きたいなと思っていたがその中で、1つ上の村松謙くんという先輩が駒大に行っていたし、最後に4年間サッカーにチャレンジしてみたいなと思って駒大への進学を決めた。(同期への思いは)最初は北海道から一人で出てきて、友達のできない中でみんな温かく受け入れてくれた。とてもいい仲間だなと思う。(後輩への思いは)後輩も気さくに話しかけてきてくれて、可愛い後輩。練習とかは厳しいと思うし、大変なことも多いと思うが最後まで4年間頑張って欲しいと思う。(監督・コーチへの想いは)自分はトップチームに上がることがなかったので、なかなか監督と話す機会はなかったが、たまにミーティングに出た時に心の刺さる言葉や、自分の人生を考えていく上で考えらせられる物をもらった。(コーチは)岡田誠史コーチとはトルコの遠征に行った時に席が隣だったのだがその時に普段見せないような話をしてくれて、1時間ぐらい話したので印象に残っている。(一番感謝したのは)親。北海道から上京してきてお金もかかったと思うが4年間ずっとサッカーを続けさせてくれて、感謝している。金銭的な面でも、精神的な面でも感謝している。(4年間での一番の思い出は)最後のインカレ。自分は出ることができなかったが、やはりみんなで準優勝を掴みとれた。これはサッカー部のいい財産になったと思う。(今後の進路は)人材業界に就職する。たくさんの人と繋がる仕事なのだが、この4年間でいろいろやってきたことを活かせるのではないかと思う。(駒大サッカー部とは)一言で表すのは難しくて毎日、日々過ごしてきたことの一つに駒大サッカー部がある。4年間の日常」


◆熱川泰希(仏4)
「(4年間振り返って)自分はケガとかが多かったので、楽しいというよりかは大変の部分もの方が振り返ってみると多かったが、引退した今ではこの学年、この仲間でよかったなというのを一番に感じる。(同期への思いは)練習とか走るメニューが多かったが、そこで優しく声をかけてくれたりして、優しさを感じることができた。ずっと一緒に付き合ってきたいと思える仲間に出会えてよかった。感謝している。(駒大に入ったきっかけは)サッカーで行こうと思っていた大学に行けなくなってしまった時に勉強時で受験するしかなくなった。その時に駒大ならサッカーができるし、1つ上に兄もいるのでいいかなと思った。(現在プロで活躍している兄の影響は)基本的に普段仲がいいので、サッカーで意識することはあまりなかったが、いろいろな面で、頼りにはしている。(後輩への思いは)基本的に駒澤大学のサッカー部はきついと思うが、こうして終わってみると、きつい分いい仲間に出会えたなと思うので、4年間、試合に出れる・出れない関係なく頑張っていって欲しいなと思う。(監督・コーチへの想いは)サッカーのことではなくても、一人の人間として言葉を頂いたので、それを4年間耳にしてきて、入学当時からしたらだいぶ成長できたので、本当に感謝している。(一番感謝の気持ちを伝えたいのは)やはり両親。3兄弟で自分は一番下なのだが、自分が1年生の頃はみんな私立の大学に行っていたので、その分お金もかかるのに、大学に行かせてくれた上に、上京させてくれ、サッカー部に居続けることができた。プライベートでも金銭的に困ることなく、支援してもらった。サッカーをやっている時もいろいろ声をかけてもらえた。一番と言ったら両親の存在がでかいのかなあという感じ。両親がいなかったらこういった仲間にも出会うことができていなかったので。(4年間で一番の思い出は)チームとしての一番の思い出はやはりインカレで決勝の舞台で戦えて、それを応援したり、サポートしたりできたこと。今までのサッカー人生にない経験だったので、インカレの舞台は一番の思い出。(4年生の関係は)家。素でいられる。何も考えずにずっといられるし、楽しいし、何より楽。本当に温かい仲間」


◆國和恭佑(法4)
「(4年間をふり返って)1年目、ケガなく順調に出来ていたけど、2、3年で膝をケガしてしまってプレーが出来なかった。苦しい時期もあったけれど、何とか復帰できて最後の4年でIリーグやジュニアリーグに出ることができたので、結果としてはよかった。(同期への思い)本当の仲間であって、精神的にも支えてくれた大切な仲間。(後輩へのメッセージ)多くの人が大学でサッカーをやめてしまうと思うので、悔いのないように最後までやり抜いてほしい。(4年間で一番の思い出は)インカレの準決勝の大阪体育大学戦の勝利が一番の思い出。総理大臣杯で負けて、試合内容は悪くなかったのに負けてしまった。その悔しい思いをした後、リベンジできるチャンスが来て、そこでリベンジできたことが一番の思い出。(監督・コーチへの思い)田舎からサッカーをしたいといってでてきた自分を受け入れてくれて、4年間で自分が一番成長できるようにしてくれたと思うので、感謝したい。(誰に感謝の気持ちを伝えたいか)わがままいって大学へ行かせてくれた両親に伝えたい。(Iリーグの自身の活躍について)前期、就活を優先して出場機会がない中、絶対に試合に出るんだという気持ちをもってやってきたので、後期、全試合に出ることができ、キャプテンマークも巻かしてもらうことができ、どんなにダメなときがあっても、あきらめずにやるということの大切さを再確認することが出来た。(駒大サッカー部を一言で表すと)「熱」。他の大学と比べるとサッカーに一生懸命な人が多く、熱い4年間を過ごせたから」


◆阪田寛樹(市4)
「(4年間をふり返って)僕はつらかったことの方が多くて、4年生になるまで何度やめたいと思ったことがあるか…。どちらかというとつらいことの方が多かった。でもそのたびに一番は同期が支えてくれてここまで続けることが出来たという印象。(特につらかったことは)駒大のサッカー部は特に走りが多くて、自分はそんなに走りが得意じゃなかったのでそこがつらかった。(同期への思い)家族よりも長い時間一緒に過ごしたんじゃないかというぐらい一緒にいたので、これからもこの関係性はどこにいても変わらないことを願っている。これからもよろしくお願いしますと言いたい。(後輩へのメッセージ)こんな走れない自分でも4年になってIリーグに出さしてもらったので、自分がどんな立場に立っても最後まであきらめずに仲間たちと一緒に頑張ってほしい。(4年間で一番の思い出は)やっぱりインカレですかね。1試合勝つごとに「本当に現実か」と思うぐらい興奮して、全部が熱い試合だった。この先の人生でもあまり超えられない思い出になるのではないかと思う。試合には出てなかったけど、あんなに勝ってほしいと思ったことないし、今動画で見ても鳥肌がたつ。(監督・コーチへの思い)大会の役員をしていたが、監督と関わるのがその報告ぐらいだったので、そんなに話すことはなかった。でも4年生になってちゃんと見ていてくれたんだなというのがあって。監督の言っていることとかが、1年の時は間違ってるんじゃないかと思っていたけれど、今になって思うと、監督の言っていることはいろいろな面で生きてくるし、結果としても出ているので自分にとってとてもためになり、感謝している。(誰の感謝の気持ちを伝えたいか)両親。サッカーはとてもお金がかかるスポーツで、最近どれだけありがたいかを実感している。でも、何も言わずに応援もしてくれていたので、結果として恩返しは出来なかったけど、これから就職して少しでも恩返しできればなと思っている。(駒大サッカー部を一言で表すと)「家」ですかね。このサッカー部のところにくることが実家に帰るような感じだったので、これからもみんなで飲みに行ったり、壁にぶつかったりしたラこの4年間を思い出してその壁を乗り越えていきたい」


◆東野太郎(仏4)
「(4年間をふり返って)正直、一番きつかったなっていうのが思い出。(具体的にどんなことがつらかったか)基本的に走りが多いチームで、はじめて駒大のような全国で名を連ねる強豪のチームに来て、いろいろな人と関わって一人暮らしなどもあり、初めての経験が多かったので、そういう面できつかった。(同期への思い)このメンバーでよかったなっていうのが一番で、やっぱりみんながいたからきつい練習でもみんなが励まし合って乗り越えることが出来た。(後輩へのメッセージ)自分たちの代で日本一になりたかったがそれは出来なかったので、これから後輩たちが、自分たちが達成できなかった日本一を最後に達成して、その瞬間を見に行きたい。(4年間で一番の思い出は)部室でみんなでふざけ合ったり、しゃべったりしているときが一番の思い出で、こういう時間の大切さを改めて感じた。(監督・コーチへの思い)最高の指導者とやれて良かったと思っている。きついことも言われたが、今思えばそれは愛情表現で自身の成長にも繋がったし、これから社会に出ればもっとサッカーとは違う厳しさや理不尽なことがあると思うけど、そのときはこの4年間を思い出して頑張っていきたい。(誰の感謝の気持ちを伝えたいか)一番は両親。ずっと一人暮らしをしていて、バイトも出来ない状況で仕送りなどをしてくれて、そういう面で迷惑をかけてしまったので、すごく両親には感謝している。(Iリーグでの自身の活躍について)前期ではなかなか勝てなかったが、後期、夏の遠征からみんなで力合わせて建て直して、そこから勝っていくことが出来たのは良かったと思う。(駒大サッカー部を一言で表すと)最高のチーム」


◆山口将広(経4)
「(4年間を振り返って)駒大は走るのが中心の練習メニューが多い。きついことも多かったが、仲間に助けられて最後までやり切ることができた。(同期への思い)最初入ったときは(自分が)人見知りで、あまり馴染めなかったなと思っているが、一緒に練習をしていく中で絆が深まって、信頼しあえる仲になれてよかった。(後輩へメッセージ)今年はあと一歩のところで日本一を取れなかったので、後輩には『日本一』を達成できるように日々の練習をがんばってほしいと思う。(一番の思い出は)走り期間。駒大の恒例で、一番きつい期間。そこを仲間たちと一緒に乗り越えられたのは一番の思い出かなと思う。(監督・コーチへの思い)自分は何回かAチームに上がらせていただいたことがあって、その時に選んでもらえてうれしかった。しかしチャンスに応えられなかった悔しさもある。振り返ってみると厳しいことも言われたが熱い監督・コーチたちだった。恵まれた。(感謝したい人は)一番は両親。ここまで16年間サッカーをやってきて、サッカーを出来たのも両親がお金とか遠征費だったりを出してくれて、一番感謝しているのは両親。(駒高から7年間駒澤で過ごして)『駒澤』はサッカーを通じて人間的に成長させることを目指す理念がある。そういう部分でサッカーを通じて少しでも成長できたかなと思う。(駒大サッカー部を一言で表すなら)絆。みんな団結して厳しいことも楽しいことも分かち合えたので、『絆』が一番このチームに似合っている」


◆吉田一貴(経4)
「(4年間を振り返って)長かったようでとても短かった。大変なこともたくさんあったが、この仲間と一緒にサッカーができてとても楽しかった。(同期への思い)こんな自分だけど、受け入れてくれてとてもうれしかった。(後輩へのメッセージ)1年生から3年生まで、Cチームでやっていても続けてほしい。結果が出なくてもやることに意味があると思う、自分もやってきたので…。継続してやっていけばサッカーじゃなくても力になると思う。頑張ってください!(一番の思い出は)1年生の時の練習。部室に行くのも嫌だなあと思うくらい大変だった。みんなでやって耐えられたのはいい思い出。(監督・コーチへの思い)いいスタッフに恵まれたと思っている。厳しいことを言ってくださるのも愛がないと言えないのかなと思う。特に(岡田)誠史さんにはスライディング練習100回とかやらされて…(笑)大変だったが、4年間でしっかりしゃべれるようになれてうれしかった。(感謝したい人は)家族。金銭面でも補助してもらった。自分は千葉から通っていて、朝早かったり夜遅くても何も言わずに待っていてくれて、送り出してくれて本当に感謝している。(駒高から7年間駒澤で過ごして)朝とかの時間に強くなった。(駒大サッカー部を一言で表すなら)絆。仲良くて、いて楽しい」


◆尾高弘樹(政4)
「(4年間を振り返って)人間的に成長することができた。高校でサッカーをやめようと思っていたが、大学でサッカーをやらないかと誘われた。練習とかも、1、2年生の頃は練習試合にも出られずきつい時もあったが、同期や仲間がいた。最後の方はIリーグやJr.リーグ、GIOCOにも出られてよかったと思う。(同期への思い)自分は駒高出身で、高校から7年間一緒にやってきた仲間と、大学から4年間一緒にやってきた仲間と。みんないろいろな思いを持っていた。熱い人とか面白い人とか、いろいろな人がいた。部室がとても楽しかった。ありがとうと伝えたい。(後輩へのメッセージ)自分は下のチームにずっといたので、下のチームの人たちには最後まであきらめずにAチームの試合に出られるように頑張ってほしい。Aチームの人たちには今年達成できなかった日本一を達成できるようにキャプテン、副キャプテン、主務、副務を中心に頑張ってほしい。(一番の思い出は)走り期間の部室。今でも覚えている。走り期間の前は部室の雰囲気が暗い。いつもはすごく面白い話や笑いが絶えないのに、2月の走り期間の前はしんどくて口数も少なくて…。いつもと違う、きつい時期は思い出に残っている。(監督・コーチへの思い)自分は駒高で試合に出ていなくて。でも大学サッカーをやりたいと言って受け入れてもらった。4年間監督やコーチがいなければ続けてこられなかった。感謝している。(感謝している人は)親。小学校から大学までサッカーを続けてこられたのも親の支援があったから。親には感謝したい。(駒高から7年間駒澤で過ごして)高校の時は自分が試合に出られればいいなという考えがずっとあった。大学に来て、自分が活躍しなくてもチームで結果が出ればそれ以上の喜びはないと知った。自分のことを考えずにチームのために行動できるようになったと思う。(Iリーグ等での活躍について)Iリーグの前期は1試合くらいしか勝てなくて、結果が出なくて。夏の合宿をみんなで乗り越えて後期に結果が出たのは一番うれしかった。Iリーグ最後の早稲田戦は延長で(安藤)丈が点を取ってみんなで喜んだのはIリーグの試合の中で一番思い出に残っている。うれしかった。(駒大サッカー部を一言で表すなら)絆。みんなふざけて『絆!絆!』と言っていることがあった。その中には意味があって、今まで辛いこととかを乗り越えてきたからこそ絆が生まれてみんなが一つになれば大きなことも乗り越えられるんだなと気づかされた」


◆志村亮祐(経4)
「(4年間を振り返って)一番はすごくきつかったという思いがある。自分はもともと山梨県のすごく弱い高校から来た。その中でも全国で有名な駒澤大学サッカー部に入って、はじめはすごく練習がきつかった。その中でも、走りがすごくきつかった。そこを乗り越えられたのがすごくよかったと思う。(同期への思い)みんなきつい時でも助け合いながら楽しい時間が多かったので、すごくよかったなと思う。(後輩へメッセージ)走りがきついと思うが、負けることなく頑張ってほしい。(一番の思い出は)1年生のころに死ぬほど走ったということ。(監督・コーチへの思い)4年間サッカー部を指導してくださって感謝しかない。その中でも、今までサッカーというものを甘く見ていたのを思い知らせてくれから。もう一つは自分を成長させてくれたということ。(誰に一番感謝したいか)全く有名でない自分を受け入れてくれた秋田監督に感謝したい。(Iリーグでの活躍について)前期の方が多く出ていたが、結果が出なくてすごく不甲斐なかった。後期の最後の方になってよくなった。特に後期の早稲田戦は自分が途中からでて流れを変えることができたと思っている。そしてIリーグの舞台で得点をとることができたので一番記憶に残っている。前期はダメだったが後期にむけてよくなっていったと思う。(駒大サッカー部を一言で表すなら)ファミリー。一人ひとりが主体的になって、全員で助け合いながらサッカー部の活動をしていると思う。全員が力を合わせて活動しているので自分にとっては家族のような存在だ」


◆鼓幹太(仏4)
「(4年間を振り返って)あまり選手としてはいい思いはできなかったけど、自分は選手としてだけではなくて学連としてチームに貢献できたと思う。悔しい思いはあるが違う角度からチームに貢献できたのでよかったと思う。4年間練習は死ぬんじゃないかと思うくらいきつかったが、それがあるからこれからも頑張っていけるのではないかと思う。(学連の活動はどのようなことをしていたか)主にチームと連盟との連絡役をしていた。リーグ戦の登録やお金の締め切りなどの連絡。学連としては、審判部に所属していてリーグ戦の審判の派遣をしたり学生向けの審判の講習会を開いたりしていた。(同期への思い)高校時代も寮生活していた。みんなと一緒にいることが多かった。この大学に入って、つらいことの方が多かった。それを乗り越えてよりきずなが深まり、かけがえのない存在になった。これからも大切な仲間でいたい。(後輩へメッセージ)あんまり仲のいい後輩が少なかったが、その人達には特に頑張ってほしい。ここまで自分たちの代で日本全国2位にみんなのおかげでなれたが、後輩にはそれを超えてほしい。特に今年社会人のチームだったメンバーには頑張ってほしい。(一番の思い出は)いろいろあるが、インカレの筑波戦が思い出に残っている。坂本選手と同じ高校で、2点とってくれたことがうれしかった。学連の運営中だったがそこが一番嬉しくて『うぉ~』みたいになった。(誰に一番感謝したいか)仲間はもちろんだが、ここまでサッカーを応援してくれた親に感謝したい。特にお金の面ですごく協力してくれたと思うので感謝している。(監督・コーチへの思い)監督とは選手としてでは少なく、学連でかかわることが多かった。コーチや他の方にもいろいろ教えてもらったりした。自分のプレースタイルは駒大っぽくないドリブラーなので、結構怒られたりすることも多かった。そこでまずは自分のことではなくチームのためにやるということの大切さを学んだ。組織のためにやることが一番大事でそこから自分の良さを出していくことが大切。それはサッカーだけでなく、いろいろな場面でそういうところが大切だと思うようになった。スタッフの皆さんにも感謝している。考え方を変えさせてくれたから。(学連と選手との両立について)正直すごく大変だった。3年生の時にアミノバイタルカップの重要な役割を任された。その時は自分的に選手としてとても調子がよかったが、開幕の2週間くらいずっと学連で練習に出られなかった。リーグ戦の開幕も1週間学連で練習に出られなかったりもした。正直練習に出られなかったのが一番きつかった。(GIOCOについて)結構リーグ戦と被っていた。社会人リーグなので日曜開催が多かった。運営の方に行かなきゃいけないことが多くて、今年はほとんど出ることができなかった。去年GIOCOだったが、4年生が3人という少ない人数の中でキャプテンの菊池選手が引っ張ってくれた。菊池選手が怪我して、自分が運営でいないときには吉田選手が頑張ってくれた。その二人には特に感謝している。後輩も少ない4年生にちゃんとついてきてくれて、2部で1位昇格を決めることができたのでよかったと思う。(駒大サッカー部を一言で表すなら)絆。駒大は他大学と比べてうまい人がそこまで多いわけではないが、みんなで助け合ってサッカーをやっていっている。練習がきついのでみんなで励ましあって絆を深めることができたと思うから」


◆安藤丈(営4)
「(4年間を振り返って)楽しくサッカーをできたのですごく充実した良い4年間を過ごすことができたと思う。(同期への思い)すごくいい人に恵まれてほんとに楽しく過ごせた。楽しくサッカーできたのもこの代だからこそと思っているのですごく感謝している。(後輩のメッセージ)Bチームでプレーすることが多かった。試合に出られない後輩のみんなと一緒にやってきたので、その人達が試合に今年来年出てくれたらうれしい。特に、B・Cチームの人たちにはあきらめないで頑張ってほしい。(一番の思い出)Iリーグでの順位決定戦の早稲田戦で自分が延長で点をとったときに、4年生みんなで喜んだことがいい思い出。すごくいい代でよかったと思う。(監督・コーチへの思い)怒られることも多かったが、スタッフの方々の指導のおかげで人間的にも成長することができた。本当に感謝しかない。(誰に感謝したいか)両親。16年という長いサッカー人生をやらせてくれて、陰で支えてくれた。両親がいたからサッカーを続けることができたと思うから。(Iリーグでの活躍について)本当はAチームで試合に出て活躍したかった。それでもIリーグでみんなで結果を出そうとしてやった中で、自分は4年生として後輩に示さなければいけないということがあった。その結果が得点に繋がったと思う。それよりも、チームで後期に結果を出すことができたのがすごくよかった。(駒高から7年間駒澤で過ごしたことについて)高校も大学も家から近いということで選んだ。いい仲間に出会えたので、この高校、大学にしてよかった。(駒大サッカー部を一言で表すなら)絆。このチームは本当に仲がいいと感じる。仲間のためにプレーしたり、仲間のために応援したりというのを他のどの大学よりも感じているから」

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