• 表彰式を悔しそうな表情で見つめる=明治神宮球場で(寒川朋子撮影)

  • 神宮の西日の中で晴れやかな顔を見せる選手たち

☆引退特集☆がむしゃらに、ひたむきに、仲間と共に歩んだ4年間~前編

[硬式野球部](2018年10月26日 23時23分)

東都大学野球秋季優勝決定戦対立正大戦が10月25日に明治神宮球場で行われ、1-8で敗れ優勝を逃した。この試合をもって4年生は引退。悔しさと寂しさをにじませながらも、引退を迎え晴れやかな表情を見せていた選手らに駒大硬式野球部としての4年間について聞いた。

◆酒井 良樹主将(法4)
「(今の気持ちは)普通に勝ち点で順位が決まればここまでの悔しさはないと思うが、優勝決定戦で敗れて、目の前で優勝を決めている姿は普通だったら見られない。だからこそ悔しさはすごいあるし、でもその中でこの思いっていうものは財産になると思う。ここで野球が終わる訳では無いし、また社会人になるまで繋げていきたいと思う。(進路は)NTT西日本。(4年生になってからの1年は)去年とは全く違った。いちばんはこの同期にすごく助けられた。ベンチで内山はじめ巴山であったり、今日は途中からだったが中野コーチなど、本当に4年生が中心となって、自分だけじゃなく全員が『日本一になろう』って力を貸してくれたので、すごく代に恵まれたと思う。春、秋と粘り、球際があと一歩及ばなかったが、去年監督が来てからずっと言われてきたことをやり続けた。1つ上の代は2部優勝という実績を残して、今回自分たちは何も残せなかったが、何回も終盤に追いついてという姿を下の代は見ていると思うので、監督のやっていることは間違いではないということを姿やプレーで見せられたかなと思う。(印象に残っている場面は)4年目のシーズン全部苦しかった。投手が少ない中で、守備から作ろうとなって、最終失点抑え、攻撃もなんとか粘って…とやってきたが、ほとんどの試合の終盤で自分にチャンスが来ていて、簡単な話そこで結果を出せていれば勝てる試合もいくつもあった。そういった歯がゆさもあったし、色々苦しいシーズンだった。(主将という立場が重圧になったことは)新チームになりたてのことは色々あったが、代に恵まれたので、そんなに主将だからみたいなのはなかった。(たくさんの4年生から『この同期に出会えたことがよかった』と言葉を頂いたが、そんな同期へ)一人一人って考えると色々あるが、みんな協力してくれてありがとう。(後輩へ)ベストは勝って監督のやっている野球は勝てる野球なんだってことを証明したかったがそれができなかった。やっていることは間違っていないから自信を持って、やっていってほしい。(野球部の思い出は)毎日が思い出。本当に色々あった。毎日いい奴らと過ごせてよかった。(駒大野球部とはどんなところか)人間力を養える場所」

◆辻本 宙夢副将(政4)
「(今の気持ち)優勝出来なかったことは悔いが残るが、まあ、疲れたなという感じ。(どんな4年間だったか)下級生のときから駒大のエースになりたいと思っていた。それは一応達成出来たので、成長をしていけた4年間だったと思う。(4年生としての1年間は)4年生になってからは副キャプテンということもあって、チーム全体を見ていかなきゃいけない立場になったが、やっぱりキャプテンの酒井に頼りっぱなしだったので、そこは酒井に申し訳ないかなという感じ。(最後の秋は)(優勝決定戦は)秋、本当に勝たないといけない試合だったが、そこで勝てなかったのは足りない面があったと思う。それはまた、野球はこれからも続けるので、そこでどんどん詰めていきたいと思う。(印象に残っている試合・場面)2部から1部に上がる入替戦というのは本当に印象に残っていて、やっぱり忘れることはないかなと思う。(東都リーグはどんなところか)レベルの高い選手たちが切磋琢磨し、というか、本当に競争の激しいリーグだと思うので、そのリーグでやれたというのは自信にしていきたい。(監督に言われて印象に残っていることは)大倉監督に代わってからは、一球一球に意志を持たせろということを教えて頂いた。それは今の自分のピッチングの基本になっている。(野球部として印象に残っていること)去年なんですけど、高尾山を全員で登りに行ったのが印象に残っている。最初、余裕でしょと思っていたが、案外しんどくて。それを全員でやったことで団結力も強くなり、2部から1部に上がることが出来たのかなと思う。(進路は)東邦ガス。先程監督からの話もあったんですけど、野球の実力だけでチームに必要とされるのでは無くて、野球以外の面で『辻本がいたらチームは良い方向に行く』と(思われる)、野球以外で魅力のある選手になっていきたいと思う。(後輩たちに伝えたいこと、期待したいこと)この秋のように大一番で勝てないというのは、やっぱり練習から大一番を意識していないと力は発揮出来ないと思うので、チーム全体で今日みたいな優勝決定戦を意識してやっていってもらいたい。(同期に一言)4年生と過ごしてきて、4年生と野球をやることがもう無いと思うと寂しいが、この4年生だったら、ばらばらになっても自分のところで活躍出来る人たちばかりだと思う。みんなに期待して自分も頑張りたい。(野球部での思い出は)やっぱり寮生活というのは毎日のことですごい楽しかった。高校も寮だったがこんな100人揃っているのは初めてだったので、すごい楽しかった。(駒大野球部とは)駒大野球部は本当に昔からの強豪で、伝統もあるチームだったので、その一員として4年間やったというのは誇りに思いたいと思う」

◆長 壱成副将(政4)
「(今の気持ちは)1年生のころからベンチに入れてもらって、試合も出させてもらった。3年生からはスタメンでずっと出させてもらって、本当に充実した4年間だったと思う。(4年生になってからの1年は)副主将かつ捕手でもあったので、チームを引っ張ろうとしていたが、主将の酒井(良樹)が頑張って引っ張ってくれてたから自分はプレーだったり背中で引っ張ろうと思っていた。優勝できなかったということはまだまだ甘かったんだなという思いもあるし、やり切ったという思いとの両方がある。(ラストシーズンは)下(入替戦)も見えてきたなという時はもうとりあえず入替戦回避することしか考えてなかったので、まさかこういうプレーオフになるとは思ってなかった。そこは自分たちが運を持っていたのかなと思う。(印象に残っている場面は)入替戦かな。3年生のときの、1部復帰を決めた試合。あれだけ緊張感のある中で試合することはまずないと思う。あの試合が自分を成長させてくれたというか、あれ以上追い込まれることがないという状況を経験出来たっていうことは、これから社会人で野球を続けていく中で、あの経験が生きてくると思うので、入替戦を経験出来てよかったと思う。(進路は)Honda鈴鹿。(東都リーグとはどんなところか)今日のドラフト会議でも東都リーグの選手がたくさん指名されているので、それだけレベルが高いと思う。そして簡単には勝てない場所。最後の9回裏のスリーアウトをとるまで油断出来ない、それが東都リーグだと思う。(指導者からの言葉で印象に残っているものは)新垣コーチに1年生の時からずっと怒られてて。3年生4年生になってからは試合中に色んなこと喋ったり、話し合いしたり、と言った感じだったが『常に冷静に。捕手が、お前が乱れてしまったらチームが崩れる』とよく言われていたので、新垣コーチがいなかったらここまで成長していないと思う。(仲のいい同期へ)試合中でも、同期からほぼなにも言われないが、自分が態度悪かったり、ベンチで怒ってる時も同期は気を使ってなんにも言ってくれなかったり、そっとしておこうという感じなので、そういうところはわかってくれているのかなと思う。気遣いのできる同期だと思う。ちゃんと言う時は言い合えるという仲。普段はふざけた奴ばかりだが(笑)、野球のことになれば熱くなれる奴がいっぱいなので、これからも仲良くしていきたい。(後輩へ)個人的に谷本(大晟、法2)と柏原(朋生、現1)に頑張って欲しいと思う。柏原は今まででいちばん可愛がった後輩かなと思う。1年生でも野球の話がちゃんと出来て、自分の考えをもってて、野球のことを真剣に考えてる奴なので。守備も打撃も足も頭も、野球感ていうのがある奴。あとは投げることだけですかね。投げることをしっかりすれば試合に出れると思うので、柏原に期待してます。(先程同期の高橋成さんに印象に残っている場面を尋ねると『長が本塁打を打った時』と即答していたが)(笑って)いちばん仲良いと思う。あいつめちゃくちゃ僕のこと好きですよ(笑)。野球の話こそあまりしないが、なにかあればご飯に行ったり、気にかけてくれたり、試合負けた時も『これ食べて元気出せよ』とか。影ながら支えてくれた。選手としてというより人として。ご飯行く時も成と2人ですね。いちばん一緒に行ってると思う。(何かメッセージなどは)これからもよろしく(笑)。(野球部での思い出は)岡田耕太をいじったこと(笑)。いや、これじゃないな。新垣コーチに怒られたこと。これがいちばんです。(そんなに怒られた記憶があるのか)守備とかじゃなく、私生活から。遅刻、寝坊、生活態度、練習中の態度、単位など全部。(駒大野球部とはどんなところか)社会人で野球を続けていく中で、何かに困ったら、入替戦とか下級生の時にしんどかったことを思い出すと思う。言うならば原点。なにか苦しいことがあれば、駒大の野球を思い出したい」

◆田中 佑汰副将(現4)
「(4年間を終えて)2部に落ちて、1部に上がって、今回プレーオフに行って、普通じゃ味わえない苦しさや嬉しさを味わえた。今日も勝ちたかったが、とても経験になった。社会人野球もあるので、それに向けて頑張っていきたい。(どんな4年間だったか)けがもあって苦しかったが、それもいい経験だった。自己成長できた4年間。(この1年は)自分のことだけでなく、チームのことも考えた。大変だったが、徐々にチームのために、自分のことよりチームのために、勝ちたい、優勝したいとなった。(印象に残っている試合、場面は)青学に勝って2部優勝した試合で、米満さんがあのフライを捕った(優勝を決めた)瞬間。(東都は)全国のどこのリーグよりも戦国なリーグ。(監督から言われて印象に残っている言葉は)僕たちは野球をしにきたが、その前に学生として成長するために学業と野球2つの面で成長できる場なので、野球だけじゃだめだぞということが学べた。社会に出てもそれを生かしてやっていきたい。(進路は)鷺宮製作所。(後輩に伝えたいことは)僕らは優勝できなかった。日本一は後輩に託したい。(同期に一言)本当に楽しい4年間だった。(思い出は)下級生のときにいろいろ大変なことがあった。慣れない中での寮生活、上下関係もあるし、苦しかったがみんなで乗り越えたのがよかった。(駒大硬式野球部とは)僕を成長させてくれた場所」

◆高木 陽平主務(社4)
「(今の気持ちは)悔しいけど、やりきったなという感じ。(どんな4年間だったか)選手とコーチとマネージャーといろいろなことをやって、他の選手には無い、他の選手には体験出来ないいろいろなことを体験出来たかなと思う。(4年生としての1年間は)一応役職としては幹部という中で、選手をまとめるではないけれどそういう役目だったので、監督とかに結構言われるときはあった。苦しい、苦しいまでは行かないけれど……なんて言うんだろう、難しいな。ちょっと牽制をしながらというか。(誰と?)監督と。そういう面があった。監督・コーチに何か言われるんじゃないか、という面がちょっとあった。(監督・コーチと選手の間に立つ難しさ、ということか)そうそう。(最後の秋は)コマスポの記事で相手の選手や監督に聞いた中で「粘りがある」と言われていた。それは自分たちでも分かっていたことで、そういう粘りというのは今度の後輩たちにも続けて欲しいというか、もっと食らいついて行ってほしい。(印象に残っている試合・場面)やっぱり、東洋の一戦目。東洋がライバルというのはみんなあると思うし、そこで春負けて、秋一戦目を取れたということはむちゃくちゃ大きかった。東洋にとっても結構きついと思うし、その試合かな。(東都リーグはどんなところか)1部2部強さはあまり変わりなく、他のリーグには体験出来ないものを、最後の秋とかもそうだけど、全部が優勝(の可能性が)あるという体験が出来たのは良かったと思う。(監督に言われて印象に残っていること)西村監督のときもあいさつとか、返事とか言うようにということはチームで徹底していたが、大倉監督になってもっともっと徹底というか、その重要性というのを一から話してもらった。それをみんな共有出来たんじゃないかなと思う。(野球部として印象に残っていることは)学生コーチになって新人戦とかで監督できると思っていなかったし、監督みたいな経験が出来たことはめちゃくちゃ良かったと思う。(監督する姿はすごく楽しそうだった)やっぱり楽しいから。(進路は)武蔵エンジニアリングという会社で営業。(後輩たちに伝えたいこと、期待したいこと)監督2年目でここまで、優勝出来るところまで来て、ちょっとずつ成長しているというのはある。今後常に優勝出来るチームにしてもらって、常勝軍団にしてもらいたい。(同期に一言)いろんな性格のやつがいて、4年生は仲良い方だと思うし、その中で最後まで優勝争いが出来たのは良かったと思う。(野球部としての思い出)1部昇格が一番嬉しかった。(駒大野球部とは)人生の中の4年間は短いけど、人生の中で一番濃い4年間だった」

◆木村 和弘(仏4)
「(今の気持ちは)4年間あっという間だった、というのと本当に同期に恵まれた。監督がメンバー外にも気をつかってくれたので、本当の意味で一致団結して優勝目指せたのは良かった。負けたのは悔しいけど。(どんな4年間だったか)僕はメンバー外だったけど、大倉監督から『メンバーもメンバー外もチームの戦力になるように』とずっといわれてきたので、4年生1人1人立場は違うが、いろんな立場でチームに貢献できた。団結できて1つのところを目指せた。本当に濃い4年間だった。(4年生としての1年間は)リーグ優勝して日本一という大きな目標があったので、そこに向かって、練習や、日常生活を気にした。1番短い年だった。秋は下(入替戦の可能性)もあったので、チームとしてリーグ戦の中でも成長できるようにと監督からいわれてきた。秋の中でも4年生としても一致団結したし、チームとしても成長できた。1番印象深い秋のリーグ戦だった。(印象に残っている試合、場面は)秋だと特に1点差ゲームだったり、サヨナラが毎試合毎試合あったので、この試合というのはない。毎試合応援している側も熱くなる試合ばかりだった。(東都はどのようなところだったか)『戦国東都』と言われるのに相応しいぐらい、紙一重のところで勝負が決まるな、と感じた。(監督から言われて印象に残っていることは)お風呂とかで監督さんと一緒になる場面があって、『何か歌え』とか、野球ではそんなだったんですけど、日常生活だったり、盛り上げるところだったり印象に残っている。ミーティングでの話も心に残るものを毎回言ってくださった。(進路は)JA東京中央。野球も軟式野球をやる。(後輩たちに伝えたいこと、期待することは)4年間で1番感じたのが、技術だけ磨いても勝負にならない。秋もそうだったが、球際の勝負になった時に、日常生活だったり、1球1球のこだわりというのが1番出ると思うので、そこにこだわって1人1人優勝に向かって頑張ってほしい。(同期に一言)僕はあまり野球が上手くない方で、メンバーとメンバー外の立場の差っていうのはあると思うが、野球がなかった時にみんなフラットに話せて、本当に一生の仲になった。(硬式野球部での思い出は)寮生活なので、練習終わった後はご飯に行ったり、休みの日とか、本当に笑いが絶えなくて1日1日が楽しかった。(駒大硬式野球部とは)全員が1つになって野球以外でも学ぶ事が多い場所。他の大学と比べて1番違うのは、チーム全体が目指す場所を与えてくれる。1人1人成長できるところだと思う」

◆赤川 大和(商4)
「(今の気持ちは)非常に悔しい。(4年間は)野球面も、日常生活とかの私生活の面も、大きく成長できた4年間だったと思う。(4年生になってからの1年間は)最上級生なので、責任感だったり自覚というものが強くないと、下級生からの信頼を得ることは難しいなと思っている。秋は混戦だったけど、混戦の中でも駒大の野球らしいところを多く見られたかなと思う。(東都リーグとは)全国の中でもトップレベル。戦国東都と言われているだけあって、今年の、この秋のリーグも混戦だったので、戦国東都だなと思っている。(監督に言われたことで印象に残っていることは)大倉監督からは、殻を破らないとダメだといつも言われていたので、やはり前に出て何かやったり、喋ったりすることの大切さを気づかさせてもらったと思う。(進路は)公務員。(後輩たちに伝えたいことは)僕は怪我をしたので、怪我だけには注意して、しっかりやってほしい。(同期の方々に対しては)4年間辛いときを乗り越えてきたので、一生大切にしたいと思っている。(思い出に残っていることは)去年高尾山に全員で登ったのが印象に残っている。(駒大硬式野球部とは)最高の人生の1ページ」

◆中村 眞人(商4)
「(今の気持ちは)大学では試合には出れなかったが、それ以外で気づけたことがあったので、成長できたと思う。(4年間は)中学校、高校は3年といっても実質2年半だったが、大学は4年間丸々といった感じ。本当に同期と濃い生活を送れた。(この1年は)春からずっと混戦だった。メンバーも大変だったと思うが、僕ら(メンバー外)も必死でやっていた。1つになれたと思う。(印象に残っている試合、場面は)優勝決定戦前の国学戦。僕らの前に亜細亜と東洋の試合があったが、亜細亜にも僕の(高校の)同期がいたので、僕らだけでなくその日1日がとても大事な、印象に残る日だった。(東都は)最近僕の部屋で赤川が『朝起きて夜寝るまでが戦国東都』という川柳を詠んだ。本当その通りだと思う。抜け目のない生活だった。(監督から言われて印象に残っていることは)大倉さんが全体に向けて話すときは『人として』ということが多かった。僕自身も野球より人としてどう成長したいのか考えながら生活してきたので、いつも監督から言われる言葉はこれからにつながることばかりで、ためになることばかりだった。監督がいつも『感謝を持つことが義務』と言っていて、何事にも感謝するのは当然のことだが、もっと自分自身で他人に表現できるようになればいいと思った。(進路は)勤務先は決まっていないが、北海道に戻る。家族には野球で迷惑かけてきたので、家族に恩返ししたい。(後輩に伝えたいことは)4年もやればやる気がなくなる時期もあると思うが、必要じゃない人はいない。新チームになってこれから大変だと思うが、みんなが本気になれば変われると思う。野球の技術だけでなく、人としてという部分でも成長できればいいと思う。(同期に一言)僕はこれまで孤独とかひとりぼっちとか言われることが多かったが、大学に来てからみんな仲良くしてくれた。本当に毎日楽しい時間だったので、本当は勝って終わりたかったが、僕自身この4年間は財産だと思った。(思い出は)毎日がいい思い出。みんながいるだけで思い出だった。(自身にとって駒大硬式野球部とは)二十歳越えてこんな馬鹿をやれたのはこの大学のおかげだと思う。学生らしい大学だと思う」

◆花田 隆記(現4)
「(今の気持ちは)4年間あっという間だった。この仲間に出会えてよかった。(この1年は)試合には出れず、裏方にまわった。チームの役に立つことは何か考えてきた。()優勝して日本一の景色をみんなで見たかった。残念な結果になってしまったが、みんなでやってきたことの価値は変わらない。(東都とは)日本一レベルの高いリーグ。その中の1部員であることを誇りに思う。(監督から言われて印象に残っていることは)野球以前に人間力を高めることを言われた。社会に出ても通じる人間作りをすることを伝えてくれた。(進路は)福岡の大和ハウスで営業をやる。(後輩に伝えたいことは)4年間あっという間なので、悔いの残らないように頑張ってほしい。(同期に一言)同期のピッチャー9人が全員おもしろくて、とても素晴らしい同期だった。(思い出は)1年目はめちゃめちゃ厳しかった。それをみんなで乗り切ったこと」

◆多崎 蒼司(経4)
「(今の気持ちは)長かった気がします。引退するまで長かったし、試合出たのは最後の1年だけだが、最後1年だけでも出られたので良かった。(どんな4年間だったか)1、2、3年は全然出られる気配もなかったが、最後出られて、終わり良ければすべて良しではないが良かった。(4年生としての1年間は)結構しんどかった。ずっと試合に出たいと思っていたが、いざ出るってなると結構しんどいところがあった。秋はちょっと消化不良というか、思ったようにもいかなかった。(印象に残っている試合・場面)自分が点数を取られて代わっても追いついてくれた試合。そういう試合が3試合くらい、春の東洋と國學と秋の東洋、リードされている中で9回に追いついてくれた試合が3回もあった。その試合がすごく印象深い。(東都リーグはどんなところか)中途半端な気持ちでマウンドに立っていると絶対に抑えられなかったし、気持ちを前面に出していかないと自分の力じゃ通用しなかった。(監督から言われて印象に残っていることは)あまりない。ほとんど西村さんとは喋ったことがないし、大倉さんにもほとんど同じことを言われていた。あまり覚えていることはない(笑)。印象深いことはない。特別なことを言われたことはない。(野球部として印象に残っていることは)1年目の仕事がいっぱいあったとき、先輩に怒られた後学年で集まって『ちゃんとやろう』という話をしたこととかが結構記憶の中に残っている。(進路は)日本製紙石巻。都市対抗に出場して、その中で自分も主戦投手として活躍出来るような選手になれればと思う。(後輩たちに伝えたいこと、期待したいこと)今年1年は4年生3人で投げていたので。来年は3年生以下どんなピッチャーが投げるかというのもあるが、そういうのも楽しみにしたい。来年頑張れば良いやとか、そういう気持ちでやってるとすぐ終わっちゃうので今すぐ頑張って欲しい。(同期に一言)楽しかったです。ずっとにぎやかな感じで、面白いやつが多かった。見ているだけで楽しかった。(野球部としての思い出は)入替戦勝ったとき。スタンドですげえなって思っていた。(駒大野球部とは)変なところもあったが、人として強くはなれるところなのかなと思う」

◆白銀 滉大(法4)
「(4年間を終えて)いろいろな経験ができたと思う。(4年間は)2部に落ちたり、1部に上がって優勝争いができたり、波乱万丈というかいろいろな経験をした4年間だった。(この1年は)先輩が抜けて頼る人がいなくて、自分がやらなきゃと思った1年だった。(印象に残っている試合、場面は)去年の入替戦。(監督から言われて印象に残っている言葉は)『やってきたことをやるだけだ』。大倉監督からいつも試合のときに言われていたので。(後輩に伝えたいことは)自分たちのできる限りのことをして頑張ってほしい。(同期に一言)今までメンバーもメンバー外も全員でやってこれた。お疲れ様というのと、やりきったなというのと。(自身にとって硬式野球部は)全て。野球があって当たり前だった」

◆久保 翔磨(法4)
「(今の気持ちは)みんなでもう少し野球をしていたかったが、負けて悔しい。(4年間は)きついこともたくさんあったが同期のみんなと一緒に4年間は濃いものだった。(そんな同期へなにか一言)つらいときに助けて貰ったりした。楽しいこと、つらいこと全て一緒に共有してきた。いい仲間です。(特に仲のいい同期は)林(哲平)とか、花田(隆記)とか。(花田さんの学注を見てて)すごい面白かった。(ラストシーズンは)優勝目指して全員でやってきて、その目標に向けてみんなで一丸でやってきて、負けてしまったが全員でやってきたことに変わりはないのですごくやり切ったと思う。悔いはなく頑張れた。(東都リーグとはどんなところか)レベルが高く、2部降格も経験して、生半可な気持ちではできないという厳しさがあると思う。(指導者からの言葉で印象に残っているものは)やはり礼明慮かと。野球のこと以外でも気配りだったりをしっかりしていくっていうことを教えてもらった。(4年間で印象に残っている場面は)みんなとたわいもないことで笑いあったりして、きつい練習を乗り切ってきたこと。どこというより、過ごしてきた日々かな。(進路は)一般就職。野球は続けない。(後輩へ)駒大でやってきたこと、例えば礼明慮であったり、そういったことを引き継いでいって欲しい。(駒大野球部はどんなところか)楽しい4年間を過ごせたところ。(社会に出て、この4年間は)自身初めての寮生活できついこともたくさんあったけれど、嬉しかったこときつかったこと含めて、いい経験になった」

◆木下 塁希(仏4)
「(今の気持ちは)ここまで全員でやって来て、惜しいところまで行ったが、仲間がいてくれたからこそここまでやってこれたというのがあった。悔しいという気持ちもあるが、ちょっとした達成感もある。(どんな4年間だったか)全国からいろんな人が来ていて、駒大で野球をやっていたからこそ、出来た仲間というのが(ある)。やって来てよかったなと思える瞬間だった。(4年生としての1年間は)4年生になって一番上の立場ということで、サポート面でチームを支えていくという中で自分がどういう役割を担ったら良いのかとか、どういう立ち位置なのかとか考えてやって来たんじゃないかな。(印象に残っている試合・場面)試合というか一試合一試合が、みんなで勝って行こうとやって来たので、一試合一試合というよりここまでの過程が全て合わさって印象に残っている。(監督から言われて印象に残っていること)(西村前監督・大倉監督とも)チームで徹底してやるということを言っていた。細かいことを気にしてやるというか、自分が今まで思っていなかったことを言われて、こういうことなんだなと、今まで見えてなかったものが見えて来た。(進路は)はっきりは決まっていないが、今のところは専門学校。(どんな専門学校)靴を作る専門学校。(後輩たちに伝えたいこと)1年間やって来て、自分たちが積み上げてきたことを受け継いでもらいながら、新しい何かを発見して自分たちが出来なかった1勝をして欲しい。(同期に一言)4年間やってきて野球のつながりで出来た仲間なので、これから先も、一生仲間と言い合える人たち。これからもよろしくお願いします。(駒大野球部とはどんなところか)他のチームを経験したことないので分からないが、自己成長が出来る(場所)。高校生の自分よりも気付けなかったことが気付け成長できるところなんじゃないかな。(高校・大学と同期だった多崎投手が今年登板した)多崎自身もいろんなことを考えながら、あまり表には出さないが、その中で自分で考えているものがあるんじゃないかな、と7年間の付き合いで分かったところがある。これから先も頑張ってほしい」

◆吉田 甫(歴4)
「(今の気持ちは)やっと終わったなという感じ。長かった。(下級生時代はしんどいことが多いか)1、2年はしんどいと思う。みんなそう言うのでは。3年生からはそんなに辛い思いはしてない。(4年生になってからの1年は)いちばん濃かった1年。野球に関して。元々自分もメンバーとしてやってた側だから、優勝したくてやってきたし、大倉監督も新垣コーチも優勝させたいっていう気持ちが強かったと思う。 (指導者からの言葉で印象に残っているものは)みんな言うと思うが、チームとして掲げていた礼明慮かな。それをみんな意識してやってきた。深くて意味のある言葉だなと思いながら野球をやっていたなと思う。(東都リーグとはどんなところか)言葉の通り戦国東都というか、ある意味怖いところでもあり、楽しさでもあると思う。(印象に残っている試合などは)いちばん記憶にあるのは入替戦に勝った時に酒井(良樹)が本塁打打って。そのシーンは鮮明に、今でもくっきり覚えている。(私生活では)学年自体仲良くて、飲み会とか結構定期的にやっていたので、そういった時間が楽しかった。(仲のいい同期へ)ありがとうという言葉くらいかな。(後輩へ)チームで自分らしくひとつのことを全力でやってくれたら、自分達としても良いな、と思う。優勝もして欲しいとは思うが、優勝なんてそんな簡単なことではない。自分もスタメン、ベンチ外など色んなことを経験してるタイプの人間なので、自分のことをしっかりやってから、それをチームに向けれるくらいの全力さがあればいいと思う。(進路は)野球は続けない。(駒大野球部はどんなところか)人間として磨かれた場所」

◆内山 頼人(商4)
「(今の気持ちは)悔しい。優勝したかった。(4年間は)きつかった。1年生の時は辻本といつもやめたいと話していた。(この1年は)優勝したかったのできつかった。試合に出たかったが、ベンチには入れてもらったのはよかった。(印象に残っている試合、場面は)今年の、たぶん春だったと思うけど、巴山がベンチでガッツポーズしたらラバーのところから落ちて尻もちついたこと(笑)。(東都は)親父も駒大だったので聞いてはいたけど、すごく戦国だった。(監督から言われて印象に残っている言葉は)大倉監督が空振りを『かなぶり』と言うところ。これ鉄板です(笑)。(進路は)明治神宮外苑。来年も神宮にいるよ。(後輩に伝えたいことは)粘って1部に残れるよう頑張ってほしい。(同期に一言)愛してる。(硬式野球部での思い出は)1秒1秒全てが思い出。(自身にとって駒大硬式野球部とは)トイレットペーパー。なくてはならないもの(笑)」

※後編に続く。

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