• 4年間を戦い抜いた4年生の集合写真=駒澤大学玉川キャンパスサッカー場で(宮下 響撮影)

  • ゴールを決めた大村英哉(国4)(写真中央)は満面の笑みを浮かべた(増田昇悟撮影)

  • 元主務・鈴木翼もこの日はプレーヤーとして躍動(安藤沙帆撮影)

  • 前主将・渡邉は落ち着いてPKを決める。後ろには新主将・大塲淳矢の姿も(奥田葉月撮影)

  • 周囲の期待に応えて一発芸を披露する関根稜平(商4)。後ろから見つめる1年生はなんとも言えない表情(岡田あおい撮影)

仲間と過ごす最後のピッチ。4年生お別れ試合開催!

[サッカー部](2018年02月17日 18時41分)

2月10日、駒澤大学玉川キャンパスサッカー場にて、4年生のお別れサッカーが行われた。各学年でチームを組み、学年対抗で優勝を競う試合形式。各学年の選手がチームメイトとサッカーを楽しみ、4年生は共に戦って来た仲間たちと最後のピッチで思い出を共有した。

以下、前主将・渡邉黎生とリーグ戦登録メンバー以外の選手のコメント。
(一部選手は欠席によりコメントなし)

◆渡邉黎生(G4)
「(久しぶりに同期と集まって)なんか、いいっすね。普段ずっと一緒にいた時には感じられなかったものがあります。そんなに何ヶ月も経ってないけど、やっぱり楽しい。すごいいいなと思う。(新チームを前主将からみて)僕らは引退したが、そんなに実感がなくて。ついこの間まで一緒にやっていたので、客観的に見ている感じはあまりない。普通にチームに自分がいるような目で見ているが、すごくみんな頑張ってやっている。今のチームはすごくいいと思う。(新主将・大塲淳矢の印象)去年から深く物事を考えている選手なので、彼がチームの軸になる選手の一人になれたのはすごくいいと思う。あいつ自身にも自信があると思うので、その強い自信を最後まで信じて、仲間ももっと信じてあげてやっていけばすごいキャプテンになる。僕なんかより全然キャプテンらしいキャプテンになると思う。期待しかしていない。(同期に向けて)同期のみんなにはありがとうという言葉に尽きるというか。幸せな4年間を一緒に過ごさせてもらったので感謝したい。でも、過去には戻れないので、社会人になる人やサッカーを続ける人はそれぞれ置かれた場所で頑張らなくてはいけない。どれだけここで得たものを次のステージに持っていくのかだと思う。お互い今を全力で頑張りましょうとみんなには伝えたい。(後輩に向けて)後輩のみんなにも言うことはあまり変わらない。感謝の気持ちと、新4年生に対してはラスト1年でその先はどうにでもなると思う。やっぱり今を生きて、全力で毎回の練習や1日1日を100%でやっていければいい。なので、一緒にまた頑張って生きましょうという思いです」



◆村松謙(商4)
「(四年間を振り返って)早かった。駒大の4年間は普通の四年間とは違うと思う。走行距離にしたら絶対月まで走ってます(笑)大学サッカーは走るとは言っても、ここまで走る大学はないと思う。高校まで走るのが嫌いだったので、大学に入って受け入れたというか。だから、今の1年生は僕が走ることが嫌いというのは知らないと思う。それくらいまで成長できたので、この大学はすごいと思う。(一番の思い出は)2つあって、ひとつは3年生の時に行った走り合宿。めちゃめちゃ印象的で、こんなに走ることしかしない合宿があるのかと。メンタルも追い込まれるけど、みんなで高め合ってモチベーションを上げて乗り切れたのは大きかった。二つ目は、去年のIリーグの最終戦。雨がすごくて、応援に来なくてもいいですよっていうLINEがみんなに流れたのにもかかわらず応援に来てくれた。雷も鳴って中止になるのではないかという状況の中で試合をして、最初先制されたが、みんなが熱い応援をしてくれてロスタイムに逆転して勝った。結構自分のサッカー人生の締めくくりとして感慨深いところがある。(同期に向けて)この仲間だからできたというのがある。本当に嫌なことが多かったので、そういう時に支え合える仲間になれた。1年生の時はそんな仲ではなかったので、みんなで成長してこれた。この仲間でよかったと思う。(誰に感謝を伝えたいか)両親には感謝の思いを伝えたし、一番言うべき存在だと思う。個人的にはテツさん(岩本哲也コーチ)に面倒見てもらっていたので、気にかけて発破をかけ続けてくれたので、本当に感謝している。(村松謙にとって駒大サッカー部とは)『限界を超えるところ』ですね。自分が一番嫌いだったのが走りだったので、この四年間でこうも人は変わるのか、入った時にできなかったことがこんなにできるようになるか。やれば変われる、自分の殻を破れることを教えてくれた。やり続ける大切さを人生で一番教えてくれた場所」

◆岡田祐太(経4)
「(四年間を振り返って)色々な人に支えられて、素晴らしい指導を受けた印象。(誰に一番感謝を伝えたいか)僕は1年生の時からBチームでやっていたので、テツさん(岩本哲也コーチ)や2年生の時はザキさん(石崎憲昭コーチ)に見てもらっていたので、強いて挙げるとすればテツさんとザキさん(学連の仕事をされていたが、選手と学連の両立はいかにしていたか)ものすごく大変でした。監督からは選手と学連の二つをやるからこそすごい選手になれると言われて来たので、両立は大変だった。時間を作るのが難しかった。駒大の練習時間は夕方からなので、他校との都合上会議等で練習をどうしても休まなければいけないときがある。そういうときはものすごく大変だった。(同期への思い)練習に出れない時期が多い中で、それを理解してくれて本当に感謝している(一番印象に残っていることは)(渡邉)黎生が退場した時ですね。自分は本部で間近で見ていたので、どうしてかなというのがあった。ああ言う形で黎生の大学サッカーを終わらせたくなかったので、(袴田)敬司と一緒に頑張って、監督も一緒にやってくださって、黎生が最終的に試合に出れた。学連をやってよかったと思ったし、敬司も元々は学連だったので、『よかったね』と言う話はした。そう言う意味で印象に残っている。(岡田祐太にとって駒大サッカー部とは)『色々な意味で成長できる場所』。サッカーだけではなく人間としても成長できる場所なので」

◆末永健博(経4)
「(四年間を振り返って)楽しいことや嬉しいことよりは、きついことや辛いことの方が多かった。でも、きついことや辛いことがあったぶん、一回の嬉しかったことが人一倍感じられる四年間だった。(誰に感謝を伝えたいか)ノリ(熱川徳政)ですね。ノリとは1年生の時から一番仲が良くて、プライベートでもよく遊んでいた。飯行ったりしてもサッカーのことを熱く語ったりして。自分は3年生の終わりに怪我をして、7、8ヶ月サッカーができなくなってしまった。その時に僕のためかどうかはわからないけど、ノリが頑張ってくれたので、ノリには感謝したいです。(一番印象に残っている出来事)いっぱいあるなあ。一番面白かったのは、1年生の入学前に駒大高出身で駒大サッカー部に入るメンバーで大分遠征に連れていってもらった時。ホテルのロビーに着いた時に誠史さん(岡田誠史コーチ)が通りがかったことに気がつかなくて挨拶をし忘れてすごく怒られてしまった。その説教中に眞砂慶太郎が倒れたことです(笑)一番面白かったです。なんだかわからないけど倒れちゃいました。僕らも『え!?』ってなりました。個人的に言えばトルコの遠征。トルコのプロのチームと試合をやらせてもらって、その時の試合が結構自分としては印象深い試合だった。(同期への思い)これからも付き合いたいですね。せっかくこの4年間サッカーした仲なので。サッカーから離れてしまうと、毎日会っていた仲間と会えないと思うと寂しい。月1は無理だけど年1であっていけるような仲になりたい。(末永健博にとって駒大サッカー部とは)『家族』ですね。あったかいんですよ。ストレスなく温かい目で見てくれるような感じで。実際の家族よりも長く一緒にいたと思うので。いつも頼れるし、相談できるので『家族』です。」

◆渡邉愛一朗(営4)
「(4年間を振り返って)自分はけがが多くて、なかなかサッカーに打ち込める時間というのが少なかった。4年目の最後のほうはけがの調子を見ながらだが、休みながら何とか続けることができたので、最後はやることができたので良かったかなと思う。(駒大サッカー部に入部して良かったと思うこと)同い年のこの人たちと出会えたのが1番かなと思う。(この部で学んだこと)技術面というよりかは、『誰かのために』とか『人のために』とか人として成長できた。そこは駒大サッカー部だけなのではないかなと思う。(1番の思い出は)1番というか、最後の4年の時のリーグ戦の毎試合。印象に残っているのは、雨の中の専修大戦。結構負けが続いていて、ロスタイムの最後にゴールを決めて勝ったというのがすごく印象に残っている。(自分たちの代について)仲が良い。それはすごく思う。(同期へ)「ありがとう」とは伝えたい。この先もたまにで良いので、会ったり、ご飯食べたり呑んだりっていうのはしていきたいなと思う。(監督へ)けがをしていたので、あまりサッカーという形で活躍できなかったので申し訳ない。(1番感謝を伝えたい人は)両親。自分は小学校からサッカーをやっていて、高校で辞めるか悩んだ時期もあったが、「大学サッカーは今しかできない」と背中を押してもらった。感謝したい。(後輩へ)自分はけがが多かったので、けがだけはしてほしくないなと思う。(駒大サッカー部を一言で表すと)LOVE」

◆生駒友輝(商4)
「(4年間を振り返って)楽しかった。最後の年は出し尽くそうと思っていたが、最後のほうでけがをしてしまった。(駒大サッカー部に入部して良かったと思うところ)厳しい環境で、サッカー面でも良かったし、監督の言っている『人としての成長』『感謝の言葉気持ち』というのが高校の時と比べて変わったかなと思うところ。(1番の思い出は)トイレにスパイクで走って行ったところを、監督・コーチ全員に見られて怒られたこと。(自分たちの代は)仲が良い。同期へ伝えたいことは感謝。(監督へ伝えたいことは)感謝。(後輩へ)全国に出ている子たちもだが、自分みたいに試合に出れていない人や、B・Cチームで頑張っている子たちを見てきたので、その人たちには悔いの残らない生活を送ってほしいと思う。(駒大サッカー部を一言で表すと)獅子吼」


◆吉尾拓(仏4)
「(4年間を振り返って)楽しかった。駒大だからではないけれどサッカーをやっていたからいろいろな仲間に出会えたかなと思う。(駒大サッカー部で学んだこと)感謝というか、サッカーをやれていることが当たり前ではないということ。親がお金を出してくれたり、指導者の方々が自分の休みを削ってまで練習を見てくれていたので、そういう面で感謝することを学んだ。(自分たちの代は)個性豊かな感じ。(同期へ)4年間ありがとう。ありがとうしかない。(監督へ伝えたいこと)たくさんあるが、やはり監督にもすごく感謝している。考え方なども、監督がそんなにミーティングに出ていたわけではないけれど、ミーティングなどで考え方が変わって、そういう意味でも自分の幅が広がったというのは感謝している。(1番感謝を伝えたい人は)本人には言えないけれど、高校からずっと袴田敬司と一緒なので敬司にありがとうを伝えたい。(後輩へ)きついこともあるけれどサッカーを楽しんでがんばってほしい。(駒大サッカー部を一言で表すと)ありきたりかもしれないけれど、家族みたいな」

◆吉岡龍作(市4)
「(4年間を振り返って)最初はめちゃくちゃ厳しかった。自分は一般で入学したので、みんなより遅れもとってたし、下手くそで、走れなかったりもしたので、すごく最初は辛かった。でも4年半通じて走れるようになって、辛いけれどけど自分たちの代がいい代だったのもあって続けてこれた。(4年間での1番の思い出は)全部終わってからの寮での飲み会。サッカーとかももうないので気持ちよく飲めた。いい意味で、いろんなものから解放されてから飲んだお酒の味が一番うまかった。(同期に)こんなボンクラな自分ですけど最後までサッカーを一緒にしてくれてありがとう。感謝の気持ちを伝えるならやっぱり同期になってくると思う。(コーチに対して)4年間ずっと言われてきたことは同じだったが、諦めずにずっと真剣に教えていただいてすごくありがたかった。そういう感謝の気持ちがある。(駒大サッカー部を一言で表すなら)メンタル。すごく心が強くなる。社会人になっても通用するようなメンタルを手に入れたかなと思う」


◆田邉彬人(営4)
「(4年間を振り返って)結構きつくて、自分でも辞めたくなるような時期とかあったが、1人じゃなくて、仲間が支えてくれていた。多分みんながいなかったら辞めていると思う。試合とかにはあまり関われなかったが、試合以外で自分に何ができるかを考えたりできたので成長できたと思う。(4年間での1番の思い出は)僕らの代が勝手にやってるパーティーがあるんですけどそれがとても思い出に残っている。サッカーではやっぱり走り期間。めっちゃきつい。4年間の中では4年生での1年間が一番濃かった。自分が、パリピキャラみたいなのが定着して、みんなからのフリにすごく応えてて、ノリでみんなを盛り上げていた。(同期には)感謝しかない。めっちゃいいやつらで、みんな仲もいい。全員で集まるってなった時もほとんどみんな参加する。多分どの学年よりも仲がいいと思う。(感謝の気持ちを伝えたいのは)やっぱり同期。辛い時も楽しい時も常に一緒にいてくれた。本当にありがとう。(後輩へ)結構仲良くしてて、仲良くし過ぎて威厳がなくなってしまった。本当に同じ学年じゃないかみたいな距離感だったが、こんな俺でもちゃんとついて来てくれてありがとう。(駒大サッカー部を一言で表すなら)第2の青春。最初の頃はサッカーだけで青春できるのかなあと思っていたが、このメンバーだけでもすごく楽しいことがあった。恋愛だけが青春だと思っていたが、男だけでも楽しくいい生活ができた。だけどもうサッカーはお腹いっぱい」

◆藤田力也(営4)
「(4年間を振り返ってみて)監督とかもやり続けた奴が最後に笑うとういことを言っていて、そういう部分で自分は継続ができていなかったなあと思う。やれば必ず結果がついて来るというわけではないが、やるに越したことはないそれがなんでできなかったのかと考えた時に強い意志とか自分の考えをしっかりまとめてから行動を起こすことが大切だということがわかった。これからはその4年間の反省を活かしていきたいと思う。(4年間での1番の思い出は)何気ない部室での会話だったりが楽しかったこと。なんで楽しいのかなと考えた時に、みんなと辛いことを乗り越えた反動で、こんななにげない会話が楽しかったのかなと思う。部室に来るのが好きでサッカー部に来ているようなものだった。試合ではIリーグが印象に残っている。なかなか前期では結果出せなくてメンバーでも話し合って苦しんでいた中での最終戦、最後の4連戦で勝てたこと。テツさん(岩本哲也コーチ)にちょっとでも恩返しできたかなと思う。(同期へは)自分は辛いことをポジティブに捉えて前向きにできなかった。だけど周りを見たら自分の考え持って前向きにやってるやつがたくさんいてそいつらの背中見て自分もやってこれなという思いがあって、感謝の気持ちしかない。(監督には)直接指導を受けることはあまりなかったが、ベースとなっているのは監督の「誰かのために」という考えだった。人間性を重視してて、サッカーだけ頑張っていても結果はついてこなくて、私生活で気を配れるやつがサッカーでもプレーにつながっていくということを監督から教わった。(駒大サッカー部を一言で表すなら)誠実の『誠』。自分の思いも込めて。誠実のなんでも受け入れるような選手がたくさん出て来てほしいという願いからこの一言にした」

◆島田旬(経4)
「(4年間を振り返って)得たものは一緒に戦って来た仲間だと思っていて、辛い時でも喜んだ時でも嬉しい時も、仲間がいたから嬉しい時はその感情を共有できたし、辛い時もそこを乗り越えてこれた。この最高の仲間たちに出会えたことが自分の4年間振り返って一番良かったことかなと思う。あとは監督の「誰かのために」という教え。自分は高校生くらいの時まで自分のためにという思いが強かったが誰かのためにという思いに監督との出会いで変わった。変わったことと出会えたものがこの4年間で一番大きかったことだと思う。仲間の点で言えば今後一生付き合っていく仲間に出会えたのかなと思っている。ここでしか体験できなかった走り期間であったり、1年間を通したリーグ戦であったり、一戦一戦どうやって勝っていくかであったり、日本一にどうやってなるかというものなどみんなで同じ目標に向かって同じ熱量で向かって行ったからこそ一生の仲間になれたと思う。さっき言った考えの変化という点では、社会に出て自分のために働く人はいないと思っている。家族のためやお客さんのために働く。目の前に人にどうやって自分の価値を与えられるかというものに焦点を当てられるようになった。この2つの得たものは社会で一番必要なものだと思う。(4年間でも1番の思い出は)2つある。直近なんですけど、今年のIリーグ最終戦と、後期の専修戦が一番思い出に残っている。専修戦からいうと後期全く勝てていない時期で、自分は試合に出ておらずベンチで応援をしていた。0-1で負けてて、1-1に追いついて最後のワンプレーで10番の小口(大司)が決めて逆転勝ちをした。チームが一体になった瞬間が2-1で勝った瞬間だった。0-1で負けてて逆転勝ちというシュチュエーションもそうだし、後期勝ててなくて、今まで夏休みとか必死こいて練習して来たのにうまくそれが結果に結びつかない。いい試合はできていても結果に結びついていなかったというもどかしさがあった時期で10番の小口が途中から出てきて点数を決めて。みんな小口が頑張っていたのを知っていて出てほしいという気持ちがあった。その頑張りが実を結んで俺としても嬉しかったし、チームのみんなも喜んでいた。俺らの応援が届いたという実感もあったし、ピッチにいる11人がチームのために頑張っているのが伝わってきた試合だった。Iリーグの試合はその逆で、Iリーグで僕は選手として戦ってて、専修戦で出てたやつらが応援をしてくれていた。それで実際に「やってやるぞ、こいつらのために頑張りたい」という気持ちになった。それも専修戦と同じで0-1で負けてて2-1で逆転という流れだった。その2試合で自分の応援してるのが力になるというのと実際に応援されることで力になるというのを感じられた試合だった。駒澤大学ってめっちゃ素敵だなって思った。Iリーグはすごい遠いところだったのにみんな応援に来てくれて、専修戦なんて雨だったのに必死こいて声が枯れるまで応援してくれるやつもいるし、下級生も勝ってほしいという思いが伝わってくる応援だった。それが形になって、それで勝てたので駒澤のみんな素敵だなと思った。(同期へ)バカみたいな時間とかもそうだし、今引退して思うのが、練習をしてない時とか会うだけで超嬉しいしなんでこんなに嬉しいのかってなった時に、やっぱり同じ思いを共有して来たからかなと思う。大学生にもなるともう自分というものができている。でもその中でこういう風になれたのかというと駒澤の想いというものを監督が伝えてくれたからだと思うし、その想いのもと、活動して来て、その想いをみんな持ってるから自分というものをさらけ出せる。それに自分が辛い時でも仲間が声をかけてくれたり、辛い時でも自分の分まで動いてくれたり「こいつのために頑張ろう、こいつが頑張ってるなら俺も頑張ろう」という思いにさせてくれる仲間だから一言で言うと感謝だしこいつらとずっといたいと思った。でもやっぱり違うフィールドで頑張っていななきゃいけないので、また自分の思いを共有できる場所に戻って来てバカみたいなことをしたいなと思う。ありがとうという気持ちでいっぱい。(感謝の気持ちを伝えたいのは)やはり感謝を伝えるなら同期。監督とかもそうだけど、やっぱりこいつらがいなかったら4年間この思い出サッカーをできていなったと思う。やはり最初は試合に出たいと思って入学してくる。自分は出れなかったけどなんで続けてこれたかっていうとこいつらが一緒にいたから、こいつらと一緒にやってこれたからできてきた。それが一番振り返ってみた時に楽しかった最高だったと言えるものになった。「最高だった、ありがとう」と同期には言いたい。(駒大サッカー部を一言で表すなら)信じる。駒大ってセレクションとかあるけれど結果的にみんな入れてくれる。なんで入れてくれるかってそこに同じ熱量があるって監督が俺らを信じてくれてるからだと思う。例えば、試合でパフォーマンスが上がらない選手も「きっとこいつはやってくれる」って信じる力監督にはある。それに出てるやつらを俺らも信じて応援する。駒大の11人に選ばれたやつらも「仲間を信じて俺らが勝つ」みたいな、「こいつらのために」みたいなところに最終的に行き着くと思うし、「駒大サッカー部は信じる集団、信じ合う集団」だと思う」

◆井浦正人(営4)
「(4年間を振り返って)結果、よかった。自分の今後の成長というか、人生において大事なものを学べた。大事な仲間に出会えたな、という感じ。(1番の思い出は)仲間と過ごした日々。だいぶかっこつけてますが、練習前の部実で過ごした日々とか、そういうサッカーというよりかは、仲間と過ごしたというほうが記憶にある。(同期へ)特にはないですね。たぶん、今後も会うので、同期には特にはないです。(後輩に対して)自分たちができなかったので、ぜひ全国大会に行ってほしい。(感謝を伝えたいのは)スティーブ(行きつけのカフェのオーナーさん)ですね。全力でサッカーをするには、オフの生活も大事で。自分の行きつけのカフェがあって、そのカフェで過ごすことによって、サッカーがより充実できた。そのカフェを作ったオーナーさんに感謝を伝えたいですね。その人がいたことで、スキルが上がったというか、より全力でサッカーにささげることができた。(一言で表すなら)Gooding of my life」

◆山口修徳(商4)
「(4年間を振り返って)きつくもあったが、それ以上に得たものは大きかった。(1番の思い出は)夏のオフの日にみんなでバーベキューをやるときに、がけから落ちて死にかけたこと。(同期へ)何回かやめようと思ったり、走るのきつかったりしたときに、試合出ていたり、出ていないメンバーも支えてくれるような最高の仲間に出会えて本当に感謝しかない。(後輩へ)自分たちができなかった優勝というものをきっと成し遂げてくれると思うので、期待している。(感謝を伝えたいのは)チームを引っ張ってくれたキャプテン、副キャプテン、主務、副務には本当に感謝しかないですし、特にキャプテンの(渡邉)黎生、副キャプテンの眞砂(慶太郎)は本当に自分がつらい時に親身になって相談に乗ってくれたので、感謝しています。(一言で表すなら)家族。もしくは、戦友」

◆山本涼太(法4)
「(4年間を振り返って)正直きつかった、というのが印象。(1番の思い出は)サッカーというよりは、部室とかで騒いでいたことが思い出。今、引退してからすっぽり抜けた感じがしている。(同期へ)最初はみんな我が強い人も多くて、あまり仲良くなかったが、年数を重ねていって、駒大のサッカーを一緒にしていくにあたって、絆が深まって、すごい団結力が強まってみんなで遊ぶとめちゃくちゃ楽しい。(後輩へ)日本一になってくれ。(感謝を伝えたいのは)両親。駒大は私立で、高校から私立だったので、いろいろ負担や迷惑をかけたので、これから少しずつでも恩返ししていきたい。(一言で表すなら)理不尽。社会に出てもそうだと思うが、ここで先に学べたというのは大きいと思うし、うまくいかないことは多いと思うが、それをどう乗り越えていくか、と自分自身成長できたなと思う」

◆富岡秀平(法4)
「(4年間を振り返って)つらかった。中学、高校とサッカーをしてきたが、こんなに走ったのは初めてで、サッカーをするのは楽しいが、とにかく練習は本当にきつかったが、それだけ充実した4年間だった。(1番の思い出は)大会とか、Bチームで優勝したこともあるが、2年生の時に、練習に行くのが嫌になるくらい走っていた。練習に行ったら、1時間半休みなしでパス練習したり、その間にも走り続けて、ゲームになっても休みの間走っていて、ゲームが終わった後は、今度は全員で走るみたいなことを2年生の間ずっとやっていたので、その間の半年間が1番きつかったし、思い出に残っている。(同期へ)試合に出ていたメンバーは少ないと思うが、まあ頑張ってもらって結果残念だったと思うが、かけがえのない仲間。サッカーを通じてできた仲間は、一生付き合っていく仲間なのかな、と思う。(後輩へ)とにかく目標を実現できるように。遊びと化したい気持ちもあると思うが、今はサッカーに集中して残り少ない時間を頑張ってほしい。(感謝を伝えたいのは)監督やコーチに教わったことはもちろんたくさんあるが、やっぱり仲間。家族も、これだけサッカーを自由にやらせてもらって経済的に支援してくれたというのも感謝しているが、こういう仲間に出会って、つらいことがあっても仲間と一緒に頑張ろうという気持ちになれたのは、サッカーを通じて高めあってきた仲間がいたから。(一言で表すなら)走る」

◆庄司将哉(市4)
「(4年間を振り返って)長いようで、短いようで、長かった。人それぞれあるとは思うが、僕は長かった(長いと感じた理由)サッカー面でもそうですし、単純に4年間は高校よりも長いから。きつい練習も多かったので、しんどいことも多かった。2月にになると毎回練習の風景が頭によぎったりする。今も後輩がやってるんだろうなとか考えてしまう。(一番の思い出)「ここだけが」というのはなく、やはり、積み重ねた日々や毎日の練習が一番の思い出。(同期へ)同期はプライベートでは、結構ワイワイガチャガチャしてたが、サッカーになるとみんな信頼できるし、すごい熱くなれるの環境だったので本当に感謝している。(大学でサッカーを続けた理由)きっかけは、高校で「やりきれなかった、燃え尽きなかった」という気持ちがあって、それでまだ大学でもサッカーを続けようと思った。自分自身としても結果としても。(感謝したい相手)ここまで(サッカーを)続けさせてくれた家族にまず感謝したい。そしてここでお世話になった監督・コーチ・スタッフの方々と同期のみんな・後輩たちに感謝したい。(監督への想い)一言で言うのは難しいが、まずここでサッカーをやらせてくれたことにまず感謝したい。監督の話してくれた一言一言が今でも印象に残っている。監督が良くおっしゃっていた「士は己を知る者のために死す」という言葉が今でも自分の中で凄く生き続けている。たぶん、それはこれからも自分の中で生き続けていくのかなと思う。(今後のサッカー人生)一度はサッカーにたずさわっていこうと考えていた時期もあったが、今は警察官を目指してやっているので、今はそれ一本でやろうと決めている。(庄司選手にとって駒大サッカー部を一言で表すと)熱。やはりこのチームが大事にしていることは、最後まであきらめないことや一生懸命だったり、仲間のためだったりするので、そこがやはりチームの土台でもあるので、常に熱かった。楽しかった。(4年間やってきて良かった事)自分の中で一番大きいのは、自分のためじゃなく仲間のため、チームのために汗を流すこと。自分のエゴなどを捨ててチームが勝つため、前に進むために何ができるか、という事を考えられたのが学んだことであり良かったこと。それが大学4年間では大きかった」

◆吉村耕太郎(経4)
「(4年間を振り返って)自分は結構けがの期間が長くて、2年以上けが人だった。しかし、そのけがの中でも川上さんという素晴らしいトレーナーと仲間がいたので4年間やりきれました。(けがの期間に学んだこと)やはり、体をどう使えば「うまく切り返せる」や「うまくドリブルできる」かを川上さんに教えてもらって、体幹が大事だったり、体の柔らかさが大事だったりというのを、すべて教えてもらったので、そういうところは学べた。(1番の思い出)サッカーはもちろん楽しかったが、年末などにやる学年会も楽しくて、やはり毎回集まるのはこのメンツなので盛り上がれる。(同期への想い)この4年間通じて、どの代よりも仲が良い代だと思っているので卒業して終わりじゃなく、卒業後も何年かに一回は集まりたいと思う。(今後のサッカー人生)教える方でサッカーにたずさわるかもしれないが、自分がやるという意味では、体育会系でがっつりはやらないと思う(監督への想い)自分は推薦組ではなく、セレクション組で入ったが、その時一応自分だけ選んでくれたという事にすごく感謝している。選んでもらったにも関わらずけがの期間が長かったが、それでも見放さずにここにいさせてくれたことをすごく感謝している。(セレクションについて)入学後の5月ごろにセレクションがあった。そこで8人ぐらいで受けて、その中で一人だけ入部させてもらった。(大学でサッカーを続けた理由)高校にスポーツ推薦で入学し、サッカーをガッツリやっていて、駒大が関東でも強い大学だと知っていたので選んだ。環境も整っていて、いい選手もたくさんいると知っていたので、その環境でサッカーをしてみたいと思ってセレクションを受けた。(誰に感謝したいか)やはり、親。ここまで学費を出してもらって手術なども受けたりしてその分お金がかかったりしたが、その中でも、お金を出してくれたり、応援してくれたおかげで今の自分があるので、親にはすごく感謝している。(良かったこと)この代の仲間に出会えたこと。他の代だったらイヤという気持ちがあって、この代だからここまで仲良くなれたという気持ちがある。(駒大サッカー部を一言で表すと)ファミリーですね。(理由)やはり、遠征とか試合でも、試合中の声掛けなども団結力があり、練習もみんなで声をかけてやっていて、結構みんなマイナスなことだけではなくプラスなことも言って、士気を高めようする意識があるので、その中で仲間意識も高まっていったので、もう仲間を超えて家族のような感じで毎日サッカーできたので、すごく楽しかった」

◆尾門泰(商4)
「(4年間を振り返って)すごく早く感じたし、入って良かったと思う。(入ったきっかけ)自分は駒大高出身なので、そのまま駒大に上がり、サッカーやろうか迷っていたが結局やった。(駒澤に対する思い)駒大高のコーチも駒大出身だったので、言われていることは似てるなという感じで、駒大に染まっているなという感じ。自分の考え方などは(どのような考え方か)全力。カッコつけたりではなく、全力でやるなど(1番の思い出)(去年の)後期の専修戦の同点ゴールはこれからも忘れないと思う。あの雨の中の。あの試合はすごかった。(同期への想い)これからバラバラになってしまうが、お互い頑張って幸せになりたい。(今後は)社会人になって入ったところにもサッカー(やれる場所)があるので、やるかは決めてないが、やる選択肢はある。(感謝したい相手)自分は両親。今までお金や手間をかけてきてもらって、4年間バイトもしていないし、実家通いなので親。(駒大サッカー部を一言で表すと)気持ち(理由)他の大学よりも気持ちで戦う部分などもあり、そこが売りなのかなと思っているため(監督への想い)自分は全然Aチームではなかったので、あまり関わってはないが、ミーティングでの話など、自分は監督が好きです」

◆藤谷勇人(法4)
「(4年間を振り返って)まず、めちゃくちゃ走ったので、サッカー16年間やってきて1番きつい4年間だった。(1番の思い出)引退してから、自分は内向的な性格なので、家でずっと暇しているが、4年間を振り返ってみて、本当に楽しい4年間だったなと思う。1番選ぶのは難しいが、3年次の走り期間が1番印象に残ってて、ボールの使わずにとにかく走って、今までそんな経験したことなかったのできつかったが、そこで強くなれたかなと思っているので、それが一番印象に残っている。(駒大高から振り返って)駒大高の時に思っていた駒大はとにかく強い。大学と高校で結構試合をやったりするが、1度、45分間で11点取られたことがある。1-11で負けて、90分通しては1-21で負けたことがある。本当にこれが大学生かと思った。(高校生と大学生で一番違うものは)フィジカルで圧倒された。駒大はよく蹴るサッカーと言われるが、それが徹底されていて、自分は最初フィジカル頼りのサッカーは好きじゃなかったが、あそこまで徹底されていたらやはり強いし、初めてこういうサッカーもすごいと実感できた。それが大学でもサッカーを続けようと思ったきっかけでもある。(同期へ)本当に4年間きついことも乗り越えて、楽しくて、この4年間一緒にやった仲間というのは自分の宝で、今後もいい付き合いできればなと思う。(1番感謝したい相手)間違いなく両親。自分は高校にスポーツ推薦で入ったが、試合に最終的に出られず、高校の時は良いおもいをしていなかったので、結構家では愚痴ばかり言っていた。「それなのにサッカーを続ける気があるのか」と親は思ったとは思うが、それでも大学でサッカーをもう少し頑張りたいと言ったときに、頑張りたいならやっていいよと、好きなことをずっとやらせてくれて、16年間経済的にも相当負担がかかったと思うが、本当に支えになってくれてありがたい気持ちでいっぱい。(大学でサッカーを続けた理由)高校でやはり試合に出れなくて、選手権の最後の負け方も東京都予選の決勝まで行って久我山高校に4-0でボコボコにされて、チーム的にもいい終わり方じゃなかったし、自分的にも納得いく終わり方じゃなかったので、これでサッカーを辞めたくないと思った。駒大はすごくいいチームだと思ってサッカーを続けようと思った。(駒大サッカー部を一言で表すと)家族。(理由)ずっと一緒に過ごしてきたから、なんでも言えるし、家族みたいな存在」

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