• 今季から4番を任された石川=神宮球場で(星野浩司撮影)

  • 愛称の「きんにく」の通り見事な肉体

  • 試合前に国歌を斉唱をする石川

4番の座つかんだHRアーティスト・石川博一

[硬式野球部]06年・東都大学秋季リーグ、注目選手(2006年09月11日 00時00分)

推定飛距離 130 ㍍。打球は高々と美しい放物線を描き、レフトスタンドへ吸い込まれていった。 06 年秋季リーグ、開幕2戦目の青学大2回戦。1点を追う9回二死、2ストライクと追い込まれながら特大同点弾を放った。その後サヨナラ負けを喫したが、完封勝利目前の王者に一泡吹かせたのは、駒大屈指の怪力スラッガー・石川博一だ。

ボールに向かっていく
 奇しくも大学初安打が初本塁打となった。「ヒットが出んでも我慢して使ってくれた監督に感謝したい」。前日の開幕戦の敗戦後すぐにグラウンドに帰り、打撃練習を敢行。世界大学選手権で首位打者に輝いた野本圭主将に「ボールにむかっていけ、どっしり構えていろ」とアドバイスを受けた。その言葉を胸に無心でストレートを叩いた。7打席無安打(4三振)と結果が出ていないなかでの一発に自信がついたという。野本主将には“きんにく”の愛称で可愛がられ、「日本代表から帰って来て、オーラが違う。プロみたいな打球打つんだ。そのあとを打つのはプレッシャーやわ」と印象を語った。
裏方乗り越えレギュラーへ
 高校3年次の夏には甲子園に出場。優勝した常総学院に破れはしたが、4番・中堅としてフル出場し長崎日大、八頭を撃破して3回戦まで勝ち進んだ。 12 打数2安打と振るわなかったものの、「高校球児の憧れやけん、甲子園でプレーできてよかった」と振り返る。しかし、駒大に進学し大学野球の厳しさを知った。1年生から試合に出られる選手はそうはいない。なかでも一番つらかったのは2年春までやった“バットひき”や“ボールボーイ”などの裏方の仕事だという。「選手が試合をしているそばで自分は何をしているんだ。情けない」。この経験がレギュラー獲得への意欲が強まったきっかけとなった。

 転機は3年春だった。太田監督から小椋監督に代わり、代打などで出場機会を得た。そして今夏のオープン戦初戦の創価大戦。6番・DHで先発出場し、本塁打を放ち期待に応えた。その後は5番、4番と打順を上げていき3HR。「もう3年だし、監督がくれたチャンスをものにしたかった」。途中、クロスプレーで右ひざの靭帯を痛め手術する可能性もあった。だが、思ったより症状が軽かったこともあり2週間足らずで戦列に復帰し、開幕4番の座を不動のものとした。
  理想とするのは清原(オリックス)や小久保(巨人)のような放物線を描くような打球だ。同じ3年生の榊原浩司内野手との毎晩2時間の特打ちも、始めて1ヶ月になる。バットを振りこんだ手には、大きくてかたいまめができている。「とにかく試合に出ることが大事。結果を残せる4番になりたい」。新井良太( 05 年度卒・中日)の後を継ぐ右の4番打者として、HRアーティスト・石川博一が5年ぶりの優勝への救世主となる。
石川博一(いしかわ・ひろかず)
1985 年5月4日、静岡県生まれ。
静岡高-駒大。外野手。右投げ右打ち。 180 センチ、 85 キロ。

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