• 05年秋の入替戦で勝負をつけ仲間と喜びを分かち合う伊東=駒沢屋内球技場で(玉造千慧撮影)

  • 3年次の全日本学生選手権では自身初のシングルス全国16強入りを果たした=北海道立総合体育センターで(葛西紘太郎撮影)

  • 田中(右)と組んだダブルスでもリーグ戦通算14勝を挙げるなど活躍した=尼崎市記念公園総合体育館で(葛西紘太郎撮影)

最強トリオそれぞれの4年間~伊東伸也~

[卓球部]最強トリオ卒業記念特集(2007年03月28日 05時13分)

 4年間で目覚しい成長を遂げた伊東伸也(政4)。田中満雄(政4)に次ぐチームの柱は3年次秋の入替戦では2勝をマークし、シングルスでも3年次に自身初となる全国16強入りを果たした。
 活躍の舞台を実業団へと移そうとしている今、伊東が歩んできた4年間の軌跡を辿る。

 駒澤に方向転換
岩手県屈指の進学校である水沢高校に通っていた伊東は、高校時代から文武両道に励み、「体育教師になりたい」という夢を叶えるために他大学への進学を考えていた。そんな伊東に転機が訪れたのは高校3年夏のインターハイだった。選手のスカウトに訪れていた仁王聖雄前監督は、1点を取るたびに雄叫びをあげる伊東の姿を見て「絶対に大学の団体戦で通用する」とすぐにオファーをかけた。また田中からの誘いも受けていた伊東は「自分が必要とされているのが嬉しかった。駒澤で頑張ろうという気持ちになれた」と入学を決意。こうして『みちのくのガッツマン』は駒澤の門を叩くこととなった。

 貢献できた1戦 
 高校時代に目立った成績こそなかったものの、入学後から着実に実力をつけた伊東は1年次秋からレギュラーに定着し、2年秋からは田中とダブルスを組み、リーグ戦ではダブルス1、2部通算14勝をマーク。シングルスでも3年次の全日本学生選手権で自身初の全国16強入りを果たし成長の跡を残した。
 そんな伊東にとって「1番チームに貢献できた試合」がある。それは3年次秋の入替戦。春の入替戦で敗れていた大正大にリベンジを果たし1部復帰を決めた試合だ。伊東はダブルスで白星を挙げると、ラスト勝負でも逆転勝ちを収め、自らの手で5時間近くに渡る熱戦に終止符を打った。「過去の入替戦では自分が負けてチームに迷惑をかけた。だからこそあの入替戦に勝てたのが嬉しい」と伊東は振り返る。誰よりも入替戦で負ける悔しさを知るからこそ、この試合を制した喜びは大きかった。
 
 「勝って恩返し」

 「波瀾万丈の4年間」。伊東は大学生活をこう振り返る。楽しいことばかりではなかった。苦しいことも、辛いこともあった。だが幾多の試練を乗り越えたからこそ「駒澤に入って良かった」と心から思える伊東がいる。「大学を最後に本格的にプレーするのは辞めるつもりだった」という卓球。だがこの4年間を経て伊東にとって卓球は「人生そのもの」という存在になった。「チャンスがある限り続けたい」と卒業後は実業団リーグ1部の信号器材に入社しプレーを続ける。社会人での目標は「勝ってお世話になった方々へ恩返しをする」こと。そして「満雄には1番負けたくない。絶対に勝つ」と苦楽を共にした仲間へライバルとして挑戦状をたたきつけた。
「どんな相手にも負けたくない」という気持ちを持ち続け、夢中になって駆け抜けた4年間。高校3年の夏に自らが下した決断が正しかったことを証明した。そして次に選んだ道が正しかったことを証明するため、伊東は新たな歩みを始める。
伊東伸也(いとう しんや)
1984年5月8日、岩手県生まれ。
岩手県・水沢高校出身。

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