• スタート地点で応援活動を行うブルーペガサス=熱田神宮で(田上佳雅撮影)

  • 駒大のアンカー山下一貴(左)が通過すると、ひと際大きい声でエールを送った=伊勢神宮で(中川達夫撮影)

  • エール交換では東洋大應援指導部からエールを受け、東海大応援団にエールを送った

  • 愛知県同窓会と記念撮影を行った=円通寺で(田上佳雅撮影)

ブルペが今年も全日本大学駅伝応援。25分間のエンドレス応援などで選手後押し

[その他](2018年11月05日 20時22分)

 秩父宮賜杯第50回全日本大学駅伝対校選手権大会が11月4日、愛知県・熱田神宮~三重県・伊勢神宮間で行われた。應援指導部ブルーペガサスは熱田神宮と伊勢神宮で応援活動を行った。
 スタート地点の熱田神宮ではコンバットマーチなどの演技を披露。8時5分のスタート時は第一応援歌「燃えよ闘魂」で第1走者加藤淳(経2)を後押しした。
 その後移動した伊勢神宮内宮ではゴール地点目前で第一応援歌を25分間エンドレスで演技。スペースが限られているため、チアリーダー部は各学年から1人ずつの4人のみが演技し、他の部員は横で声出しに専念した。スタートから5時間14分後の13時19分に駒大最終走者の山下一貴(市3)が目の前を通過するとひと際大きな声が上がった。
 山下のゴール後は校歌を演奏すると、続いて隣で応援活動を行っていた東洋大應援指導部と東海大応援団と3校でエール交換を行い、全日本大学駅伝での演技を終えた。

◆太田 芙海代表代行兼チアリーダー部長(国4)
「(駅伝応援を終えて)結果に一喜一憂するために来たわけではないし、応援が結果に直結するわけではないが、結果から応援を振り返るともっとやれることがあったんじゃないか、もっと力があれば変わっていたんじゃないかと考えてしまう。さっき大八木さんから『チームで目標にしていた3位に届かなかったことがすごく悔しい。だが、その悔しさの中で、勇気をくれたのが君たちの応援の声だ』と言っていただいた。応援させていただいている組織の方から直接ありがたい言葉をいただいて少し報われた。もう私たちの代は大きな駅伝はないし、野球も終わったが、終わった達成感、開放感よりは次の代に何を残せたかなと考えてしまう。無事に行程は終わったが、何かが途切れちゃったら嫌だなという責任感が残っている。やりたいことはできているし、与えられた環境でできる限りのことはした。それで勇気をもらったという言葉をもらってこれ以上のことはないと思っている。(ゴールに向かう選手が目の前を通過したが)どの大学の選手も、こんなに間近に見れることはない。新鮮さと、毎年誰よりも近くで応援させてもらっていることにすごく感謝の気持ちがあるし、ここに立たせてもらっている責任を感じる。応援に向き合ってこないと味わえない気持ちだと思う。誰でもいつでも経験できることじゃないので、貴重なこと。応援者としてと、競技者を前にして純粋に感じる双方の気持ちがある。(今回の応援は)スタートはいつもコンバットのメドレーをやっていたが、今回は短めだった。スタートはいつも号砲が鳴って選手が目の前を通り過ぎるときに校歌を歌っていたが、もっと声とパフォーマンスの覇気で後押しできればいいねと全部門で話して第一応援歌に変えた。(ゴール前のエンドレスは25分続いたが)長いけど、体感は全然長くないし、苦痛に感じたことはない。体力的にはきついかもしれないけど、気持ちが勝つんだと思う。自分は伊勢に来た1年、3年、4年で全部エンドレスに入れてもらったが、今回は1番短かく感じた。これまでいろいろなエンドレスに入れてもらって感じるのは、エンドレスは先輩から任されているポジションだということ。4年生のチア幹部は今日が最後のエンドレスだったので、4人の配置を全員4年生にしたい気持ちはあったが、次の代に経験させる意味で各学年1人ずつにした。踊りたくても脇で声援に徹してもらった人もいるので、任せてもらっているという気持ちになってくれていれば嬉しい。(隣に他大学の応援組織が並んだが)各大学がいろいろな地から集まって、独特な伝統もあるので、特有の雰囲気がある。(3校でのエール交換は)リーダーが打ち合わせをした。お互いがお互いの礼節を守りながら違う雰囲気で、共通のこと(エール交換)をするのは不思議な感じだった。全く違う演目をする人たちがここに集まって、各大学の応援をして、他大学の応援もするのはすごい機会だと思う」

◆八斗 絵里副代表(英4)
「(駅伝応援を終えて)今回の駅伝は縁を感じた。前日は地蔵寺というお寺に泊まるが、17年間で毎年お世話になっている。なんでこんなに続いているんだろう、すごいなと思った。大人数をお寺に泊めて迷惑じゃないかなと思っていたが、いつもすごく快く受け入れてくれるし、布団とかも準備してくれてすごくありがたい。幹部になって箱根駅伝も全日本駅伝も経験して、見方が変わった。ただ応援すればいいと思っていたが、幹部になるといろんな助けがあってできてるんだなと思う。応援させてもらっているだけで嬉しいと感じる。(今日は)私は5時起きだが、チアやブラスは準備があるので、4時とか3時半とかに起きたみたい。みんなあまり寝ていないけど、すごく頑張っていた。(工夫したことは)全日本駅伝の応援活動の要綱を作って、地蔵寺や愛知県同窓会の方に送り、事前に打ち合わせの連絡を何回もした。そうすると名前も覚えてくれるし、『今年はすごくしっかりしてるね』と言ってもらえる(笑)。負けず嫌いだからいい代にしてやると思っていた。(駅伝応援で独特なことは)エンドレスかな。信じて待つ。野球とかはすぐに勝っているか負けているか見えるが、駅伝は(自分たちが)展開がわからないから、信じて待つしかない。私は責任者だから状況などもいろいろ見ていたが、応援していれば状況は見れないから。それが1番独特だと思う。(選手が前を通過していく瞬間は)やっときた、待ってたよと思って感動する。(3校でのエール交換は)10月25日の応援団会議の後に東洋、東海と3校でやろうと話した。特に東洋とは長い付き合いがあって毎年やっているので、『やらないと終われないよね』となった。これも特に決まりがあるわけではないが、毎年続いていて、縁だなと思った」

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