• 菊地光将選手(織原祥平撮影)

  • 塚本泰史さん

  • 那須大亮選手

コマスポ20周年記念‼ OB特集ーサッカー部編ー

[サッカー部]第79号4面掲載のOBコメント全文(2016年03月27日 21時36分)

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◆菊地光将選手(2008年卒、現・大宮アルディージャ)
―コマスポの印象は
「大学の中で新聞とか配ったりして、サッカー部はこういう活動をしているということを知らせてくれたし、大事な試合とかは色々な人を巻き込んで盛り上げようとしてくれていたから、すごく感謝している」

―駒大の印象は
「印象は学食がおいしかったという感じ。学食に揚げ鳥定食があってそれを食べに学食に行っていたね」

―サッカー部時代の練習は
「今はどうか分からないけど当時の練習はきつかったよね」

―大学時代の思い出は
「俺らの時は練習がきつかったけど、結果もついてきた時代だった。インカレ3連覇やリーグ制覇できたから、良い思い出しかないね」
―プロ生活で印象に残っている選手は
「やっぱり今プレミアで活躍している岡崎選手は清水時代もすごく嫌な選手だったね」

―印象的な試合は
「J1では川崎時代にナビスコの決勝で負けたのは、タイトルに手が届きそうで届かなかったからそれはすごく今でも悔しいし、印象に残っているかな。J2だったら去年の大分戦で最後逆転して優勝を決めた時はJ2ではあったけど、プロ入って初めてのタイトルだったし、クラブにとっても初めてのタイトルで、あの瞬間はクラブ全体でみんな幸せな気持ちになった瞬間だった」

―アルディージャというチームは
「アットホームなチームだと思うし、今年も新加入選手も多くて去年から10人くらい入れ替わったけど、新加入選手も飛び込みやすい環境だと思うし、みんな隔たりなく良いチームだと思う」

―ホームスタジアムはピッチとスタンドの距離が近いが
「俺は浦和東高校だったから、大宮公園のサッカー場をよく使っていた。nack5は高校時代から埼玉のサッカーの聖地だったから、今こうやってプロになってプレーできているというのは幸せだと思う。ピッチとの距離が近いから、お客さんも臨場感を味わえると思うし、声援とかヤジとかももろに聞こえてくるから選手も下手なプレーできないよね。あとサッカー専用だから良いスタジアムだと思う」

―菊地選手のこれからの目標
「クラブとして勝ち点48という目標があるから、それにいかに自分が貢献できるかだと思う。まずは勝ち点48を達成して+αでこうどんどん上に行ければいいと思うし、個人としては残りのサッカー人生も30歳超えてそう長くはないだろうから、しっかり一日一日を過ごして所属しているクラブに貢献できるようにしていけたらなと思う」

―駒大生に向けてメッセージ
「サークルや部活も大事だけど、しっかり単位を取るように頑張ってください」





◆塚本泰史さん(2008年卒、現・大宮アルディージャ アンバサダー)
―在学時代のサッカー部での思い出
「やっぱり走りはきつかったよね」

―大宮アルディージャというチームは
「僕は大学卒業からずっと大宮アルディージャにお世話になっているのですごい思い入れもあるし、骨肉腫の手術したときにもほんとにクラブに温かくしてもらって感謝している。もちろん強くなって毎年J1で優勝争いするチームになってほしい気持ちもあるが、今と変わらずに他のチームとは違う温かいチームであってほしい」

―駒大生に向けてメッセージ
「大学は楽しむところだと思うので勉強も大事だけど、とにかく楽しんでもらいたいと思う。就職が待っているけど、楽しみながら色々な人と出会って色々な経験をしてその中で自分のやりたいことなどを見つけてもらいたい」





◆那須大亮選手(2002年卒、現・浦和レッズ)
―大学時代コマスポの取材を受けたことは
「海外遠征やU-19に関することを聞かれた記憶があるね」

―大学時代のサッカーとプロとして今のサッカーを比較して
「秋田監督は練習がすごく厳しかったし、高い(レベル)ものを求めていた。当時のサッカー部はレベルが高かったのでそんなにプロへ行って差があるようには感じなかったね」

―大学時代秋田監督から受けた指導は
「主に個人よりもチーム作りでの指導が多かったね。個人に関しては決められた枠の中で
ある程度プレーを自由にやらせてくれた」

―大学時代印象に残っている試合は
「総理大臣杯優勝の時。大学での最初で最後のタイトルで、駒大に何か残したいと思っていたので印象に残っている」

―駒大を選んだ経緯
「最初に選んだ経緯は、語呂がかっこよかったから。そしてサッカー部の中身を見たときに伝統、実績のあるチームだったので選んだ」

―在学時代勉強面での思い出は
「地理学科で、結構難しく、大変だった。周りの仲間に随分と助けられたけど、他とは違うことができたのはいい経験だったね」

―食堂はよく利用していたか
「もうめっちゃ利用していた(笑)。安くておいしいイメージはあったね」

―いざ入ってみたときの駒大の印象は
「やっぱり仏教大学のイメージが強くて、堅いと思っていたが、入ってみれば自由に様々なことを専攻して、そこを伸ばしていけるので、その辺で差はあった」

大学サッカーはどのようにとらえているか
――今では大学サッカーでも力をつけてきているので、大学からプロへ移籍して即戦力になる選手も出てきている。プロへ行かなくても力を伸ばせる場で、もはや“プロ予備軍”ではないなと思っている。それだけの選手を育て上げる指導者がいて、個人の能力を伸ばしていけるだけの環境がある。それに、大学生はサッカーだけじゃなくて勉強もしなくてはいけないので、人間性でも成長ができる場だと思うね」

―今浦和レッズのCBの一角で活躍しているが、大学時代想像できたか
「いや、まったくできなかった。まず自分はマリノス(横浜)からプロを初めて、浦和レッズはマリノスの天敵だったので(笑)。まったくこのクラブでプレーしているとは思わなかった。しかも今年35だが、35歳になってもJ1でプレーできていることも想像でいなかった」

―浦和レッズでプレーしていて思うところは
「年々、これだけの環境でサッカーをできるということはなかなかないので、こういうクラブに来てなお一層、ピッチに立てることのありがたみもすごく感じる。当り前じゃないので、すごく幸せに思っている」

―プロ15年間で特に印象に残っている試合や選手は
「5チームでプレーしてきてその都度印象に残っている選手はいるが、プロ駆け出しの時の中澤裕二選手や、松田直樹選手や、奥大輔選手といった日本を代表する選手にお世話になっていた。その人たちそれぞれの色をもった言葉や背中を見て育ってきたので、それが自分の今のスタイルになっていたりするね」

―その中で覚えている、印象に残っている言葉は
「マツさん(松田)はすごくアツイ選手だったので、自分がプロ1年目で腐りかけていた時に『オマエみたいのが元気じゃなかったら俺がやる気出ねぇんだよ』と言われて。そういった言葉が印象に残っているし、あと自分がサブで試合に絡めていなかった時に、自分が相手の外国の選手に激しくプレスをかけて監督に怒られてしまったことがあった。その後に、俊さん(中村俊輔)に『オマエこういうプレー続けろよ。絶対周りは見ているからな』といった言葉をもらった。奥さん(奥大輔)は、当時自分は先輩に気を遣っていて、自分がレギュラーになったときに先輩を差し置いていくことになったので、そういう時に『お前気ぃ遣ってんじゃねーよ』みたいなことを飯食っているときに言ってくれたりとたくさん印象に残っている」

――浦和レッズはホームスタンドの観客がすごいことで有名だが、傍で感じてみて
「本当に幸せだし、熱いサポーターがいることはありがたい。敵でプレーしていた時にはすごいアウェー感を感じたし、味方になれば、こんなに根狂的な大きなサポーターは日本のクラブチームにないので、活躍できたとき一緒になって喜べるのはやっぱりうれしいね」

―これからの目標は
「現役生活をあと何年続けられるかわからないけど、浦和レッズで全タイトルを取るという目標があるので、それを達成させたいなと思っている。あと一プレーヤーとして、ファンの心に残るようなアツイプレーをしたい。そのためにも熱く燃え尽きるまでプレーを続けていきたいと思う」

―駒大生へ一言
「大なり小なり目標を持つこと。くじけても、その目標に向かって一歩一歩進んでいくことは人生にとって大事な意味を持つと思う。卒業すると駒大の看板を背負うので、『駒大卒です』と胸を張れるような人間になれるように精一杯頑張ってほしい」





取材を受けてくださった駒大OBの皆さま、ありがとうございました。

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