• 鈴木裕也(すずき・ゆうや)

  • 坂田篤彦(さかた・あつひこ)

  • 秋山章悟(あきやま・しょうご)

ラストシーズンに賭ける男たち・後編

[硬式野球部](2005年09月17日 00時00分)

「レギュラーは渡さない」
◆鈴木裕也(すずき・ゆうや)
 鈴木には誰にも負けないものがある。『バットの短さ』だ。グリップエンドから拳3つほど上を握って打席に立ち、大学通算で.292と安定した打率を残してきた。もちろん、入学当初からこれほど短かったわけではない。
  それは2年前の秋だった。俊足と器用さを買われてベンチ入り。主力選手であった秦(現トヨタ自動車)の負傷もあり、試合出場のチャンスを得る。しかし、青学大・山岸(現西武)の前に手も足も出ず、大きな壁にぶち当たった。すると、太田監督は鈴木を呼んで「バットを短く持ってみろ。もっとだ。どこの大学にもこんなに短いやつはいないぞ」とアドバイス。鈴木は言われるがまま、どんどん短くしていくと、バットの半分より少し下を握っていた。「あの頃は半信半疑だった。でも、短くしてよかった」。ここからヒットの数が増えていった。
  これまで鈴木は1シーズンを通して出場したことがない。今春も1年生の佐々木に開幕スタメンを明け渡した。そして最後の秋、「結果を残して、レギュラーは渡さない」と定位置奪取に燃えている。『駒大野球の申し子』が監督直伝の短いバットで栄光へと導く。
1983年12月9日、静岡県生まれ。
浜松商高-駒大。内野手。右投げ左打ち。171センチ、65キロ。



「気持ちで勝つ」
◆坂田篤彦(さかた・あつひこ)
  ゴールデングラブ賞があれば、二塁手部門は坂田以外には考えられない。ヒット性の打球も華麗にさばき、その抜群の判断力でピンチを救ってきた。経験の少ない下級生投手には「俺のところに打たせろ。絶対アウトにしてやる」と声をかけるのだから頼もしい。
  高校時代、尽誠学園(香川)の主将としてチームの甲子園出場に大きく貢献。日本代表にも選出され、数々の栄光を手にしてきた。しかし、まず大学で待っていたのは2部降格という悪夢だった。実績があっても結果を残せなければスタメンの保証はなく、ベンチを暖める日々も。そんな苦境を、誰よりも強い『気持ち』で乗り越えてきた。打撃でも守備でも、ひとつひとつのプレーに気持ちを込めて最後まで戦うのが坂田のスタイルだ。
  そして迎えるラストシーズン。「他人以上にボールに食らいつく気持ちは強い。みんなと1日でも多く野球がしたいし、悔いが残らないようにやる」と全力プレーを誓った。セカンドゴロの山を築き、その先に見える頂点を目指す。
1983年4月2日、大阪府生まれ。
尽誠学園高-駒大。内野手。右投げ右打ち。173センチ、70キロ。


「投げて貢献したい」
◆秋山章悟(あきやま・しょうご)
 エース候補と言われた大型右腕も、ついにラストシーズンを迎えた。140キロ台の直球は威力十分で、落差の大きなカーブもある。ただ、常に『制球』という課題がついて回った。投手陣の軸として期待された今春、7試合に登板したものの先発はわずか2試合。いずれも3イニングを持たずに降板している。この不本意な成績に「首脳陣から信頼を得られなかった」と投手陣崩壊の責任を誰よりも痛感している。
  この夏、野村コーチが投手力強化のために付きっきりで指導。秋山も走り込みやフォームを修正しながら、課題の克服に取り組んだ。その効果はすぐに現れ、オープン戦では投手を中心とした守りの野球で結果を出した。「六大学のチームに勝ったのは自信になる。4年間の中で今が一番充実している」。最後の秋に向けて準備は整った。
 「昔はマウンドでイライラしていた」という秋山が、今ではチームメイトから「(秋山は)以前とは比べものにならない」と評されるまでに成長した。この4年間で太田監督から『心』を教わったのだ。「とにかく、投げて貢献したい」。すべてのマイナスをプラスにするため、求めるものは結果だけだ。
1983年4月26日、香川県生まれ。
観音寺一高-駒大。投手。右投げ右打ち。181センチ、80キロ。

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